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社説・コラム

『今を読む』 米デュポール大准教授 宮本(みやもと)ゆき

身近にいる被ばく者

「思い」継承へ耳を傾けよう

 被ばく75年を迎え、米国人の核意識に変化が起きているような調査がある一方、終末時計で知られる「原子力科学者会報」の9月3日付には、あまり好ましくない結果のまとめ記事が掲載されている。

 それによると、全世界の43%の核兵器を保持する米国、しかも長崎原爆のプルトニウムを製造したハンフォードを抱えるワシントン州で、1100人の高校生に核保有国の名前を挙げさせたところ、正解した生徒は1%にも満たなかったという。

 また同じ2018年の調査によると、大学教育で「気候変動」に関するクラスは1学期で19~30コースも教えられているのに、核兵器だと1学期に全学年で2コースあるかないか、だったそうだ。

 ワシントン州から離れた、マンハッタン計画にゆかりの深いシカゴで教えていても同じような感触を覚える。また核兵器のコースが必ずしも廃絶や軍縮のクラスとは限らず「安全保障」の一環として核兵器が扱われることも経験している。

 こうした核兵器、特にその非人道的な側面に対する無関心を象徴するような出来事が昨年シカゴ市であった。公立高校の図書館で大量のジョン・ハーシーの「ヒロシマ」が破棄されるという事件だ。

 多くの米国の教育機関同様、予算削減に苦しむこの高校は、図書館のスペース確保と図書館員の負担軽減のための措置であり、「ヒロシマ」は今、オンラインで読めるからと弁明した。

 しかし、一時は米国の高校で「課題図書」のように扱われていたこの本が、野外に設置された、大人が十分寝そべられるほど大きなごみ箱に何十冊と破棄されている光景はショックだった。

 教えていても「ヒロシマ」を高校で読んだという学生は年々減っている印象だ。そこで、ニューヨークを拠点とし、ジョン・ハーシーの孫に当たるキャノン・ハーシーの設立したNGO、広島でそれを応援する友人、シカゴの教育関係者の力を借りて「ヒロシマ」を何とか学校教育に戻せないか、画策している。

 米国で教え、被ばく者の思いである核兵器廃絶を念頭に被ばく証言の機会を設ける時、聴衆には講話をきっかけとして自分の周りの「被ばく者」の声に耳を傾けてほしい、と常に思っている。

 米国は被ばく大国でもあるので、今も多くの住民が、使われていないのに公式には閉山しないウラン鉱山の廃虚の周りで、核実験場の風下で、核施設の周辺で、核のごみがずさんに放置された土地で、被ばくに苦しんでいる。

 このように核の問題は外交だけではなく、環境や人権の問題でもあることも広く伝えなければならない。広島・長崎の被ばく者の講話を元に自分事として取り組むために、こうした身近な被ばくに関心を向けること、それが「核抑止論」を抑止する最大の方策ではないかと考えている。

 「身近な被ばく」は国境や出身地に縛られることを意味するのではない。自分のこととして考えるため、自分の住む地域、ゆかりのある場所、興味のある土地の人々の話を聞くことから始めることを意味する。そうすることが、つながるための発信に貢献するのではないかと思う。

 「ヒロシマ」が読まれない、被ばく体験の継承の難しさなどは日本でも同じだと聞いている。もしそうなら、米国の聴衆が広島・長崎の被ばく体験を聞いて身近な被ばくに目を向けるように、日本の、特に広島や長崎の若い人たちが、つながるための発信を念頭に受信にも目を向け、米国の同年代の被ばく者や日本のその他の地域―核実験による静岡、高知、沖縄などの漁船の乗組員、そして福島―の被ばく者の話を聞く機会を設けることも、足元の被ばくの伝え方を再考する機会とならないか。被爆体験の継承とはいえないまでも、少なくとも被ばく者の方の「思い」の継承はできるのではないか、と希望を抱いている。

    ◇

 原水爆による「被爆」と爆発を伴わないウラン鉱山などによる「被曝(ひばく)」を通常使い分けるが、一律に「被ばく」とした。「被爆」においても放射線にさらされる「被曝」を伴うことを忘れないためだ。

宮本ゆき
 68年広島市生まれ。安古市高卒。米国のシカゴ大で修士・博士号取得後、同じシカゴ市内のデュポール大の宗教学部で倫理学を教える傍ら「原爆論説」「核の時代」の授業、広島・長崎研修旅行を受け持つ。著書「なぜ原爆が悪ではないのか」など。シカゴ市在住。

(2020年9月19日朝刊掲載)

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