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光海軍工廠 歴史知って 郷土史家秋本さんが冊子

兵器生産や空襲被害 児童向けに工夫も

 旧日本海軍の兵器を製造した光海軍工廠(こうしょう)の歴史について、光市虹ケ浜の郷土史家秋本元之さん(84)が2冊の冊子にまとめた。人間魚雷「回天」の基地になったことや学徒動員で働いた若者、米軍機のじゅうたん爆撃で徹底的に破壊された被害などを地元の子どもたちに知ってもらおうと分かりやすく紹介。米国にまで足を運んだ10年間の研究成果が詰まっている。

 ともにB5判の「光海軍工廠秘史概説」63ページと、難しい語句に解説を付けた小学生向けの「光海軍工廠」32ページ。概説では旧海軍の予算書を基に建設計画から廃止までを四つの年代に区分して工廠の役割や能力をひもといた。小学生向けでは図や写真を多用し、漢字にルビを振っている。空襲体験者の聞き取りなども載せている。

 光海軍工廠は1940年に日本で7番目の海軍工廠として開庁し、46年の廃止までの間、魚雷や爆弾など軍の兵器生産を担った。終戦前日の45年8月14日には空襲で748人が犠牲になった。現在、跡地には日鉄ステンレスや武田薬品工業の工場があり工業のまちとしての歴史を継承する。

 秋本さんは浅江小の元校長。インドネシア・ボルネオ島の旧海軍燃料廠で戦病死した父の記憶をたどろうと防衛省防衛研究所(東京)で資料を探していたところ故郷の海軍工廠について知った。2010年から調査を開始。米国の国立公文書館に足を運ぶなどして資料を集め、これまでに4冊を自費出版している。

 今年が工廠開庁80年の節目であることから、市内の全小中学校やコミュニティーセンターなどに計48冊を寄贈した。秋本さんは「戦争の記憶が人々の心から消え去ろうとしている中、故郷の歴史を思い起こす資料になってほしい」と願う。(山本真帆)

(2020年10月8日朝刊掲載)

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