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旧満州引き揚げ 苦難刻む短歌 三次の藤原さん 妻家族の体験詠む

 旧満州(中国東北部)で戦時中を過ごした親族が経験した過酷な引き揚げ体験を、三次市四拾貫町の元教諭藤原勇次さん(69)が15首の短歌にした。父親と離ればなれの逃避行や、乳飲み子を亡くした悲劇…。戦後75年を経て、苦難の記憶を三十一(みそひと)文字に刻んだ。(高橋穂)

 旧満州からの引き揚げを経験したのは藤原さんの妻の姉、甲口和子さん(78)=広島市東区。甲口さんの両親は1940年ごろ、田総村(現庄原市総領町)から旧満州に渡航。甲口さんは42年に現在の黒竜江省牡丹江市で生まれた。44年に生まれた弟、守さんとの4人暮らしは45年8月9日、ソ連軍の侵攻で一変した。

 「貨車に乗り女、子どもの逃げるこゑ義父ら残さるる牡丹江駅」

 軍属だった父と別れ、母親と幼子2人の逃避行は過酷だった。母乳が出なくなり、空腹で泣き続ける弟に母が水を与えると、弟はひどい下痢に襲われて命を落とした。

 「日本人の墓地に守を埋めむとし髪きり爪はぎ鞄にしまふ」

 現在の遼寧省瀋陽市で合流した父と一緒に、現地の墓地に弟を埋葬した。「母は94歳で亡くなるまで『私が守を殺した』と水を飲ませたことを後悔していた」と甲口さん。3人になった一家は46年7月に葫蘆(ころ)島(現遼寧省)から引き揚げ、戦後は総領町で暮らした。

 藤原さんは「義母からは聞いたことがなかった引き揚げ経験を、和子さんはぽつりぽつりと話してくれた」と振り返る。陸軍の下士官だった藤原さんの父も旧満州で終戦を迎え、シベリア抑留を経験した。

 藤原さんの父は約1年半の抑留を経て、故郷の島根県奥出雲町で戦後を過ごした。「父は帰国直後、祖父から『なぜ腹を切らなかったのか』と責められた経験を繰り返し語っていた。義姉一家の経験と併せて、兵士と民間人の区別なく苦難を強いるのが戦争だと実感した」と語る。

 藤原さんの短歌は、三次くれなゐ短歌会が8月に発行した歌集「銀嶺第12集」に掲載している。

(2020年10月20日朝刊掲載)

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