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爆心地の島病院 33年8月31日付 開業告げるあいさつ状現存

 爆心地の広島市細工町(現中区)で島薫さん(1977年に79歳で死去)が開いていた島病院の開業を知らせる33年8月31日付のあいさつ状が現存していた。同じ地で今も医院を営む長男の島一秀名誉院長(86)の自宅で6枚が見つかった。近く1枚を原爆資料館に寄贈する。

 二つ折りで縦約14センチ、横約18センチ。「廣島(ひろしま)郵便局東側に於(お)いて外科病院を經營(けいえい)」「外科一般特に内臟(ないぞう)外科の診療に從事(じゅうじ)」と記す。周辺の旧地名「猿楽町」「革屋町」が入った地図や内臓外科、小児外科、X光線科など八つの診療科目が並ぶ。

 原爆資料館の下村真理学芸員は「高い志を持ち、最新設備を備える大きな病院だったことが分かる貴重な資料」と話す。

 薫さんは24年に大阪医科大(現大阪大医学部)を卒業後、欧米留学を経て島病院を開業。45年8月6日は郊外へ手術に出かけて無事だったが、医師や看護師、幼児を含む入院患者たち約80人が亡くなったという。あいさつ状は中野村(現安芸区)の薫さんの実家にあったため焼けずに残ったとみられる。(桑島美帆)

(2020年11月23日朝刊掲載)

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