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連載・特集

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

 ヒロシマを代表する現代アーティスト殿敷侃(とのしき・ただし)さん(1942~92年)の原爆ドームを囲んだインスタレーション「まっ赤にぬられてヒロシマが視えた」(87年)を知り、私はヒロシマを基軸に据えた表現を目指すことを決意した。

 殿敷さんは両親を原爆で亡くした。国鉄(現JR)職員時代に絵を描き始め、30歳で長門市に移住。絵画から版画へと変遷し、82年の「ドクメンタⅦ」でヨーゼフ・ボイスに出会った。殿敷さんは、ボイスが打ち立てた「社会彫刻」という理念は芸術を社会的、政治的、教育的な使命と交差させたことを瞬時に理解し、周縁の人々を巻き込んで精力的に活動を始めた。

 通称「お好み焼き」と言われる作品は33年前、長門市の二位ノ浜で130人の住民と6時間をかけて制作。対岸各国から流れ着くプラスチック製の漂流物などを、直径2・5メートル、深さ2メートルの穴に入れて焼き固める行為が作品である。

 重さ2トンの「お好み焼き」は益田市の画廊「草花舎」で保管されていた。2012年、それを見つけた彫刻家の三木俊治さんが、福島第一原発の建屋を模した鉄製の箱に入れ日本各地を回る旅を始めた。これが契機となり、14年の横浜トリエンナーレでディレクターを務めた森村泰昌さんが「お好み焼き」を展示し衆目を集めた。17年の広島市現代美術館「殿敷侃 逆流の生まれるところ」展に出品された後、同館に寄託された。

 殿敷さんはわずか50年間の人生を駆け抜け、終盤に怒涛(どとう)のごとく巨大な作品を出現させた。美術館の枠を超えた表現は時を経ても色あせず、新たな視点を呼び起こす。(美術家=広島市)

(2020年11月25日朝刊掲載)

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート①

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート②

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート③

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑤

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑥

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑦

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

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