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爆心地で「鎮魂の薪能」 広島 今秋上演 実行委が準備

 今秋、広島市中区の原爆ドーム付近に仮設の能舞台を施し「爆心地鎮魂薪能」を上演する構想が進んでいる。原爆ドームの前身、広島県産業奨励館の東隣に生家があった田辺雅章さん(83)が企画し、実行委員会を結成した。広島に根差してきた能文化を通じ、一瞬にして奪われた命と生活に思いをはせてほしい―。舞台はインターネットでライブ配信する。

 構想では原爆ドームの南側に1日限りの能舞台を設け、無観客で行う。喜多流大島家5代目の大島輝久さんと女性能楽師の大島衣恵さんが主役のシテを務め、「高砂」と「羽衣」の2演目を披露する。インターネット配信では、演目の解説や広島の歴史などに英語字幕を付ける。

 原爆で壊滅的な被害を受けた市中心部は古くから、能とつながりがあったとみられる。江戸時代、旧広島藩主浅野氏は武家社会の儀式に用いる芸能として能楽を重用した。「新修広島市史」によると3代綱晟(つなあきら)のころ、現在の中区袋町あたりに役者多門と呼ばれる長屋が建てられ、能役者の住居に充てられたとの記述がある。

 また原爆ドームかいわいは戦前、猿楽町という地名だった。その由来について、江戸後期に編まれた「知新集」には「かつて能楽師が多く住んでいたことによるのではないか」とある。他に猿楽町と能を結び付ける文献があるかどうかは不明だが、田辺さんは「戦前、謡曲や鼓を稽古する音が日常的に聞こえていた」と幼い日の記憶をたどる。「人々の心豊かな暮らしがそこにあった」と―。

 実行委には、猿楽町の隣の細工町(現大手町)の元住民1人も名を連ねる。今後、文化庁の助成制度に応募するほか、クラウドファンディングなどで支援金を募る。田辺さんは「原爆は人々の命だけでなく文化も奪った。核兵器はむごい、無くさなければならないということを世界の人と共有するために、鎮魂薪能を実現させたい」と話している。(里田明美)

(2021年1月10日朝刊掲載)

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