×

ニュース

[ヒロシマの空白 街並み再現] 帰還兵もてなす「婦人会」 「軍都広島」の宇品港

 「愛国婦人会」ののぼりを立てた着物姿の女性たちが、日の丸を手に並んでいる。満州事変から1年余り後の1933年1月、中国大陸から宇品港(現広島港、広島市南区)の軍用桟橋を渡って帰還した兵士たちを出迎えている写真だという。

 梶矢祥弘さん(84)=同=が保管してきた。祖母の故マエさんの遺品のアルバムにあった16枚の中の1枚だ。野外で茶を振る舞うカットには、日本髪を結ったマエさん自身が写る。兵士の襟の記章を拡大すると「30」の数字。新潟県に駐屯した歩兵第30連隊が同時期に宇品港に到着しており、事実関係は符合する。

 梶矢家は当時、三篠本町(現西区)で筆の製造・販売をしていた。41年に太平洋戦争が始まると、マエさんは古里の今吉田(現北広島町)に疎開。アルバムは原爆で焼けずに残った。軍港は原爆投下後、大勢の負傷者を沖合の似島に運ぶ拠点となった。

 梶矢さんは最近まで、いずれの写真も市中心部の西練兵場だと思っていた。市郷土資料館(南区)の本田美和子学芸員に鑑定してもらい、南区の自宅から見える場所だと知った。「写真から、かつての『軍都広島』を実感できた。優しかった祖母の思い出もよみがえります」(山本祐司)

(2021年1月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ