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社説・コラム

『潮流』 広の膺懲碑

呉支社編集部長 道面雅量

 今どき、会話にはまず上らない言葉だろう。「膺懲(ようちょう)」、やっつけるとか懲らしめるといった意味だ。呉市広の広市民センター北側に昨秋、1885(明治18)年建立の「膺懲碑」が地区内の別の場所から移設された。石をきれいに洗い、読みづらくなっていた碑文には墨入れをした。

 さかのぼればこの言葉、日中戦争の始まった1937(昭和12)年ごろに盛んに使われたとされる。横暴な中国(当時の中華民国)を懲らしめよ、という軍のスローガンの中で。だが、広の膺懲碑はそれに先立つこと半世紀、戦争とは関係ない。建立の前年、当時の広村を襲った高潮の惨状を記憶に刻み、後世への教訓とする碑である。

 移設を担った広まちづくり推進協議会は、碑に刻まれた漢文を読み解き、説明板も設けた。それによると碑文は、堤を破壊し一帯の家や農地を海と化した台風の高波の猛威と、村を挙げて堤を修築した熱意と勉励について記すとともに、開墾で村を大きくした自分たちにおごりがあった、と言及する。これまでも潮害や日照りで苦労した仲間がいたのに対処せず、この悲劇を招いた、と。

 広の碑の「膺懲」は、災害を天からの「戒め」と捉え、反省と行動を促す言葉なのだ。説明板の解説は、広地区が伝統として掲げる「教育第一」の思想の起点となったとも位置づけている。

 今、新型コロナウイルス禍が世界を覆う。広村の先人に習い、ここに人類への「戒め」を読み取らなければ、未来はいっそう暗いように思う。

 コロナ対策にはどの国もすさまじい出費を強いられている。相互不信を深めて軍備増強を競う愚からは、抜け出す努力を求めたい。明治の広村ではなく、破滅を招いた昭和の「膺懲」の亡霊をよみがえらせることがないように。

(2021年1月26日朝刊掲載)

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