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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 「どこにいても被爆者」 奔走 ブラジルの団体 36年で解散

国境越えると援護なしの不条理 切り崩す

 ブラジルの被爆者団体「ブラジル被爆者平和協会」(旧・在ブラジル原爆被爆者協会)が昨年末、解散した。日本にいる被爆者と同等の援護が受けられるようになったことに加え、被爆者の高齢化で、現地政府の登録団体として活動を続けるには、財政的にも肉体的にも厳しいことが背景にあるという。36年にわたる協会の歩みは、南米被爆者の存在を世界に知らしめ「被爆者はどこにいても被爆者」という当たり前の援護を勝ち取る闘いの歴史でもあった。来し方を振り返り、これからを考える。(森田裕美)

継承と行動 人類に責務

 協会は1984年、広島で被爆後にブラジルへ渡った森田隆さん(96)と妻の故・綾子さんら27人がサンパウロに集い、発足させた。

 現地の邦字紙が協会の発足を報じると、被爆者だと名乗る人が次々に森田夫妻を訪ねてきたという。その一人一人と会い、被爆状況を聞いて日本の法律に照らして被爆者と認められるか確認しては会員を集めた。

 広大な国土を有するブラジルには、戦後に新天地を求め、海を渡った日本人移民も多い。被爆者もサンパウロを中心にリオデジャネイロやパラナ州、遠く離れた北部の町ベレンなどにもいた。原爆の後障害の知識もないまま、病気や健康不安に悩まされていた。

 協会メンバーは被爆者の掘り起こしを続けながら、出向いたり電話をかけたりして相談に乗った。声を集め、証言集も編んだ。

 被爆者同士、悩みを打ち明けられる場はメンバーにとって大きな安心につながっていたのだろう。現地の被爆者からは「協会の方角に足を向けて寝られない」との言葉も聞いた。

 日本政府による援護を求める活動にも奔走した。森田夫妻は発足した年に早速、請願書などを持って厚生省(当時)に赴いた。しかし投げ掛けられたのは「ブラジル政府に頼みなさい。あなたたちは国を捨てたのだから」との言葉。「前途多難と思われました。疲れ果ててブラジルに戻りました」と森田さんは手記につづっている。

 韓国や米国の被爆者団体とも連帯した。日本政府に被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給などを求めた在韓被爆者郭貴勲さんの訴訟では、森田さんは米国原爆被爆者協会の名誉会長だった故・倉本寛司さんと出廷。国境を一歩超えると被爆者でなくなる不条理を訴えた。森田さん自身も2002年3月、国や広島県を相手取り広島地裁に提訴。その後も協会メンバーたちは訴訟を重ね、援護に立ちはだかる壁を一つずつ切り崩していった。

 「在ブラジル・在アメリカ被爆者を支援する会」代表世話人の田村和之・広島大名誉教授は「在韓被爆者の問題とされていた課題が広く在外被爆者の問題であると認識された」と協会が果たした役割を語る。

 被爆者が援護を求める運動は、「ほかの誰にも同じ目に遭わせてはならない」との思いと表裏一体をなす。「核のない世界」を求め、被爆の実情を伝える活動にも力を入れた。学校などを回って証言活動を続け、「ヒバクシャ」の言葉を現地に浸透させた。

 先月には核兵器禁止条約が発効した。核は人類にとって、地球規模の問題に押し上げられている。

 核兵器が人類に何をもたらすのか。この世の地獄を体験し、生き残った被爆者が日本を離れてどんな苦労をし、闘ってきたのか…。「そんな記録をきちんと残し、若い人たちが考え、行動するために役立ててほしい」と、協会で理事を務めた渡辺淳子さん(78)は話す。多いときには270人いたメンバーは74人にまで減ったが、解散後も被爆者相談や証言活動、資料保存は有志で続けるという。

 悩ましいのはその先だ。被爆者なき後をどうするのか。受け継ぎたいと手を挙げる若者もいるが、ブラジル育ちの次世代には言葉の壁もあるという。被爆者が少ない海外でいかに被爆の記憶を継承していくかは、さらに大きな課題だろう。

 被爆者の苦難の歴史を胸に刻み、「核なき未来」につなぐ―。そうした責務は、地球上の「どこにいても」、私たち人類にあるはずだ。

〈在ブラジル被爆者と援護の歩み〉

1945年 8月6日に広島、9日長崎に米軍が原爆投下
  56年 広島県原爆被害者団体協議会、日本原水爆被害者団体協議会が発足
  57年 原爆医療法施行。被爆者健康手帳の交付、認定疾病への医療費を給付
  67年 韓国原爆被害者援護協会(現韓国原爆被害者協会)発足
  68年 被爆者特別措置法施行。特別手当や健康管理手当など創設
  71年 米国原爆被爆者協会が発足(92年に分裂、2003年にはさらに分か
      れ、三つの団体に)
  72年 広島で被爆し、韓国から密入国した孫振斗さんが、被爆者健康手帳交付
      申請の却下処分取り消しを求め福岡地裁に提訴
  74年 同訴訟で福岡地裁が「却下処分は違法」と判決▽厚生省が402号通
      達。日本を出国したら手当の受給権を失うとした
  78年 最高裁で孫さんの勝訴確定
  84年 在ブラジル原爆被爆者協会(現ブラジル被爆者平和協会)発足
  85年 広島県が南米に医師らによる健診団派遣。以降も継続
  94年 被爆者援護法成立
  98年 韓国の郭貴勲さんが大阪地裁に提訴
2001年 大阪地裁で郭さん勝訴▽在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長夫妻が
      「ブラジル・南米被爆者の歩み」刊行
  02年 森田会長が健康管理手当支給を求め提訴▽国が援護法の枠外で在外被爆
      者支援事業開始。手帳の交付申請や渡日治療の旅費を支給▽大阪高裁が
      郭さんの勝訴を支持。国は上告を断念
  03年 国が402号通達廃止、在外被爆者への手当送金を開始
  04年 在外被爆者の医療費一部助成開始
  05年 在外被爆者の居住地での手当申請手続き開始
  07年 ブラジルの被爆者3人が5年の時効を理由に手当を支払わなかった広島
      県を相手取った上告審で、最高裁は「違法」と判断▽広島で被爆した韓
      国人元徴用工らに対し、最高裁は402号通達の違法性を認め、1人
      当たり120万円の支払いを国に命じる
  08年 通達による損害賠償は厚労省が提訴を条件としたため在外被爆者の第1
      陣163人が広島地裁に提訴▽改正被爆者援護法施行。手帳交付申請を
      在外公館で受け付け
  09年 402号通達による損害賠償請求訴訟の広島地裁協議で和解が初成立
  10年 原爆症の認定などの申請が居住国で可能に
  11年 医療費の全額助成を受けられないのは不当だとして在韓被爆者と遺族の
      3人が提訴
  13年 在韓被爆者が医療費の全額支給を求めた訴訟で大阪地裁が支給認める判
      決
  14年 国が医療費助成の上限額を年間約18万円から約30万円に引き上げ▽
      ブラジル被爆者平和協会が証言集「南米在住ヒバクシャ魂の叫び」刊行
  15年 最高裁が、在外被爆者が現地で受けた医療費の支給を認める判決。被爆
      者援護法に基づく医療費支給の対象に
  19年 ブラジル・サンパウロの3医療機関で被爆者への医療費支給制度が改善
  20年 ブラジル被爆者平和協会解散

在外被爆者
 広島、長崎で被爆し、海外で暮らす被爆者。厚生労働省によると2020年3月末現在で、29カ国・地域の2887人が被爆者健康手帳を持つ。内訳は多い順に韓国2052人、米国636人、ブラジル87人と続く。南米ではほかにアルゼンチンに4人、ボリビアに2人、パラグアイとウルグアイにも1人ずついる。北朝鮮は現地団体が08年に382人の生存を確認したとする調査結果を明らかにしているが、日本と国交がないため、事実上手続きが取れずにいる。

(2021年2月16日朝刊掲載)

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