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伝える 戦争知らなくても 「広島第二県女二年西組」関さんの思い卒論に 

東京の学生、急死直前まで交流

 明星大(東京都日野市)人文学部4年の林田宏大さん(22)=福生市=は、被爆死した級友たちの最期を追った「広島第二県女二年西組」で知られるジャーナリスト関千枝子さんから聞き取りを重ね、卒業論文にまとめた。88歳で急死する2月21日の直前まで交流を深めた。「戦争を知らない若い人も、関心を持ってくれれば私たちが残したものを活用して伝えることはできる」。残された言葉と向き合い続けるつもりだ。(金崎由美)

 林田さんは、高校の時の沖縄への修学旅行を機に、戦争体験の継承のあり方に関心を持った。大学2年で人間社会学科の竹峰誠一郎教授のゼミを受講。卒論テーマを探る中、元高校教員の竹内良男さん(立川市)を通じて関さんを知った。

 生前の聞き取りは毎回5、6時間で、計十数回に及んだ。県立広島第二高等女学校2年の級友は雑魚場町(現広島市中区)の建物疎開作業で熱線を浴びたが、自身は体調不良のため爆心地から約3キロの自宅にいたこと。13歳で被爆して以来、「生き残った負い目」を抱え「一人一人の生きた証しを記録に残すことが供養になる」と38人の足取りを執念で調べたこと―。広島での慰霊碑巡りにも同行した。

 戦争中の日常について、若者には想像しにくい内容もあった。書きかけの論文を見せると、鋭い指摘が飛んできた。「こちらが真剣になるほど、厳しさは増し、鍛えられた」

 林田さんは1月、「未完の『ヒロシマ』―関千枝子さんとの対話から見えたもの―」を仕上げた。「1945年の『あの日』の場面を知るだけで、分かった気になっていたと気付いた」。被爆者がどんな人生を送り何を抱えてきたのか。「思い」に近づこうとする「継承」の大切さをつづる。

 2月6日、完成した卒論のオンライン報告会があり学外に公開された。関さんから、戦後の学制改革などについて「理解が不十分」と厳しく指摘された。

 関さんは、中学生も戦争協力に動員して被爆死に至らせた国の責任を、首相の靖国神社参拝違憲訴訟などでも問うていた。学制改革は、軍国主義教育からの解放や女性の自由の象徴でもあり、「原爆」だけが広島の戦後ではない―。報告会の後、完成済みの論文を巡りメールで何度もやりとりした。関さんからの最後の着信は2月15日。返信したが、それきりになった。

 竹峰教授は「時に食らいつくように、信頼関係を築きながら書き上げた」と感服する。林田さんは春から小学校の教諭になる。関さんに「子どもたちに伝えていって。また相談にのりますよ」と優しく言われたという。「今度は自分が次世代に渡していきます」

(2021年3月8日朝刊掲載)

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