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「われらの詩」復刻 峠三吉を中心に創刊 地域文芸発展の土台

 広島で被爆した詩人峠三吉(1917~53年)を中心に49年、広島で創刊した詩と評論のサークル誌「われらの詩(うた)」の復刻版が刊行された。岩国、福山、倉敷など山陽地方の労働者運動の連絡誌の顔を持ち、4年間で19冊を紡いだ。散逸し、まとめて読むことは難しかったが、峠の没後60年を記念して実現した。(渡辺敬子)

反戦・労働…題材幅広く

 「われらの詩」1~20号(7号は未発行)の原本は、広島文学資料保全の会(土屋時子代表)が提供した。保全の会顧問の水島裕雅・広島大名誉教授(70)は「包容力とリーダーシップを備えた峠には、人を引きつける魅力があった」とみる。被爆体験や反戦平和にとどまらず、農村と都市、労働問題など幅広く題材を求め、地域文芸の土壌を育む受け皿となった。

 掲載作品の筆名を調べると、当時のサークル誌では珍しく書き手の2割以上を女性が占めた。例えば、こんな詩がある。

 (略)大根をきざむ指先は微妙に動く/わたしは指先の神経を意識しながら/なぜこの神経で台所の仕事だけしかできないのか/この神経で家庭を動かし社会を動かし/世界を動かす事ができないのか/と思ふ。(略)

 (第3号・引地きみ「だいこん」から)

 日本国憲法の「民主主義」「男女平等」が流布する中、台所で感じる社会への違和感や疎外感を表現する自分の言葉を身に付けようと格闘する女性の姿も見える。

 復刻のきっかけは、原爆や核をめぐる表現を検証する「原爆文学研究会」が2009年、広島市で開いた例会だった。水島名誉教授が「われらの詩」について報告。戦後のサークル誌運動に詳しい宇野田尚哉・大阪大大学院准教授(45)ら関心を持つ研究者の輪が広がった。

 復刻版に解説文を寄せた川口隆行・広島大大学院准教授(41)は「核兵器の使用が現実味を帯びた朝鮮戦争と向き合おうとする意識が、原爆の記憶を呼び戻し、被爆体験の表現化を強く促したのだろう」と指摘する。今後は「同じ時代に問題を共有していた他の同人誌やサークル誌とのつながりも明らかにしていきたい」。

 保全の会の調査で、峠の遺品から「われらの詩」の生原稿も見つかっている。土屋代表(65)は「安心して資料を預けることができる公的な場所があれば」と願う。

 三人社(京都市)刊。「反戦詩歌集」1~2集▽「広島文学サークル」1~4号▽「とだえざる詩」1~3号▽「風のように炎のように」も収める。A5判、全3巻。73500円。Tel075(762)0368。

「原爆詩集」重ねた推敲

自筆稿本も復刻 付録に

 峠三吉への理解を深め、さらなる研究の手掛かりにしようと「原爆詩集」の自筆稿本を復刻し、付録とした。

 1951年9月にガリ版刷り私家版として「原爆詩集」を刊行する数カ月前、いったん清書した原稿とみられ、異なる色のペンで加筆し、言葉を練り直した過程が残る。保全の会が原本を提供し、B4判をA4判に縮小した。

 原爆文学資料の保全に取り組み、2012年1月に70歳で亡くなった元中国新聞記者の海老根勲さんによる解説「格闘する詩人」もある。「生々しいまでの推敲(すいこう)の跡は、リアリズム詩人へ変貌していく峠自身の自己変革の軌跡でもある」と評する。

 病弱な文学青年が仲間に支えられ、「原爆詩人」として一歩を踏み出す人生のダイナミズムをも伝えている。

(2013年8月1日朝刊掲載)

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