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山本繁太郎氏が死去 65歳 前山口県知事

 病気療養のため1月14日に辞職した前山口県知事の山本繁太郎(やまもと・しげたろう)氏が15日午前10時37分、肺がんのため宇部市の病院で死去した。65歳。柳井市出身。自宅は柳井市伊保庄1516。葬儀は18日午後1時から柳井市新庄689の1、柳井市斎苑で。喪主は妻久仁子(くにこ)さん。

 二井関成元知事の後継として2012年7月の知事選に無所属で立ち、初当選。「やまぐち産業戦略推進計画」をまとめ、瀬戸内海沿岸の産業再生や観光振興に取り組んだ。13年7月に山口、島根両県を襲った記録的豪雨では安倍晋三首相(山口4区)とのパイプや国土交通省官僚の経験を生かし、被災地の早期復旧を進めた。

 一方で、当選直後に39日間、肺炎や肺気胸の治療を理由に入院。その後も視察をキャンセルしたり、庁内で足元をふらつかせたりするなど体調不良が続いた。

 13年10月28日に佐賀市での九州地方知事会議を途中退席して緊急入院。入院先や詳しい病状を公表しないまま、ことし1月9日に辞表を提出し、県議会の同意を得て辞職した。療養に努めたが、3月に入って容体が悪化したという。

 東京大法学部を卒業後、旧建設省入り。国交省住宅局長、国土交通審議官、内閣官房地域活性化統合事務局長などを歴任した。08年4月の衆院補選と09年8月の衆院選に、山口2区から自民党公認で立候補し、いずれも落選した。

 在任期間は12年8月22日から511日間で、ことし2月25日に就任した村岡嗣政知事を除く戦後6人の知事では最短。全国知事会によると、戦後の47都道府県の知事では、13年12月に辞職した東京都の猪瀬直樹前知事(372日)たちに続き、7番目に短かった。(村田拓也)

産業戦略引き継ぐ

 村岡嗣政知事の話 一日も早い回復を願っていたので、残念な思いでいっぱいだ。企業の競争力強化や観光振興などに力を入れ、幅広い人脈も含めて高い能力を持たれていた。掲げられた産業戦略をしっかりと引き継ぎ、発展させたい。ご冥福をお祈りする。

前山口知事死去 産業再生に注力 上関原発で発言ぶれも

 15日死去した山口県の山本繁太郎前知事は511日の在任期間で、瀬戸内海沿いの製造業や観光産業を強化する基盤づくりに道筋をつけた。中国電力が上関町で計画する上関原発建設では発言がぶれるなど、安倍政権寄りの対応も目についた。在任期間の2割近い96日間を病室で過ごし、病状を明かさず批判を受けたが、活力を失いつつある古里を再生させようと力を注いだ。

 出身の国土交通省で培った人脈を生かし、初当選から1年後の2013年7月にまとめたのが成長戦略「やまぐち産業戦略推進計画」。インフラ整備、宿泊客や外国人観光客の増加など16年度までに取り組む事業を明記した。周南市の木村健一郎市長は「周南コンビナートの強化や徳山下松港の整備が県経済の立て直しにつながると信じ、尽力された」と惜しんだ。

 08年衆院補選と09年衆院選では山口2区で落選するなど、選挙に強いタイプではなかった。周到に準備した知事選でも「脱原発」を訴える対立候補に短期間で猛追された。その構図が、上関原発建設予定地の公有水面埋め立て問題での発言のぶれにつながった。

 知事選直前には「脱原発依存は当たり前」とし、中電が12年10月に免許の延長を申請した時には「不許可処分をすることになる」と発言。しかし13年3月の県議会本会議では一転、許可不許可の判断を1年程度先送りすると表明した。

 12年12月に安倍晋三首相(山口4区)が就任、民主党政権の「原発ゼロ」見直しを加速させたことが背景にある。推進派の上関町議でつくる原電推進議員会の右田勝会長は「国策として計画を尊重してくれた」。上関原発を建てさせない祝島島民の会の清水敏保代表は「不許可の判断をしてほしかった」と話した。

 知事選最終盤に体調を崩して以降、健康不安がつきまとった。13年10月に2度目の入院を発表したが、病状や入院先は非公表を貫いた。関係者によると当初は復帰に強い意欲を示したものの、14年1月の辞表提出前には体力的に限界だったという。

 選挙戦や県政運営を支えた山口県議会の柳居俊学議長は「実現したい政策は数多くあったはず。回復できなかった無念さは表現しようもない」と沈痛な表情で話した。安倍首相は「豊富な行政経験で手腕に期待していた。残念でならない」とコメントした。

(2014年3月16日朝刊掲載)

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