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「核」が結ぶ3都市の記憶 道浦母都子さん第8歌集 「記さねば」 にじむ決意

 中国歌壇の選者を務める歌人道浦母都子さん(66)=大阪府吹田市=が、第8歌集「はやぶさ」(砂子屋書房)を刊行した。自らの歩みや亡き父との関わりを重層的にたどりつつ、東日本大震災と原発事故で被災した福島への思い、被爆地広島の平和記念公園、チェルノブイリを訪れて感じた核の脅威を伝えている。(石井雄一)

 <今ここに立ちていること奇妙なり福島原発見ゆる護岸に><白昼の緊急避難準備地区すれちがう人もクルマも無くてひんやり><ここに来て何を知るべし浪江町検問ゲート通り過ぎつつ>

 昨年5月、知人を訪ねて福島県の南相馬市や浪江町に足を運んだ。全町避難が続く浪江町では無人の街並みが続き、沿岸部はがれきが手付かずのままだった。海岸から福島第1原発を眺めた。「目に見えない放射能の恐怖や、圧倒的な被害を前に、歌にするのは難しい」と感じた。それでも、記しておかなければならないと思って詠んだ。

 歌集では今回初めて、1995年に広島のテレビ局の企画で訪れたチェルノブイリ原子力発電所を詠んだ歌も収めた。忘れられないのは、チェルノブイリから4・5キロのプリピャチ市の光景だ。住宅のカーテンは風にそよぎ、学校や保育所もある。だが、人影はどこにもなかった。福島で見た光景と重なった。

 <怖(おそ)れつつ近付きゆけばチェルノブイリ第四発電所は棺桶(かんおけ)のごとし><無人都市にも風の道ありプリピアチ街区を歩む吾(わ)が髪摩(さす)る>

 道浦さんは1975年から約4年間、廿日市市と広島市南区で暮らした。「当時、とてもヒロシマを簡単に歌にはできなかった」と振り返る。そんな気持ちに変化をもたらしたのは、東日本大震災、とりわけ原発事故だった。その前年、小説執筆のため取材した平和記念式典には、震災後も毎年参列している。

 <水陽炎(みずかげろう) ゆわゆわ昇る爆心地平和公園夏空の芯><鎮魂のヒロシマ 不安のフクシマ だまって咲いてる夾竹桃(きょうちくとう)の花><東へと移る白雲ヒロシマのこの悲しみを広げないでね>

 ヒロシマ、チェルノブイリ、フクシマ―。「導かれるように、三つがつながった。歌人として、書き留めておかないといけないという気持ちが強まった」と力を込める。「核は長いスパンで影響を与え続ける。仮に原発を止めたとしてもフクシマの問題はずっと続いていく。これからどうなるのだろう」と憂う。

 401首の歌集には、父の死をめぐる葛藤や悲しみのこもる歌も並ぶ。10年以上前、過労などで歌がまったく作れなくなった時期がある。ここ5年間は、通院や服薬をしながらも、再び歌と生きる意欲が湧いてきた。歌には、日々の暮らしや花を見つめるまなざしも表れる。「歌集を出し続けるのは、そんな自分史のようでもあります」と穏やかに語る。四六判、239ページ。3150円。

(2014年3月19日朝刊掲載)

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