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社説・コラム

ヒロシマと世界:「核神話」生んだ8月6日 原爆投下正当化許すな

■スコット・リター氏 著述家・コンサルタント(米国)

リター氏プロフィル
1961年7月、フロリダ州ゲインズビル出身。軍人の家庭に生まれる。ペンシルベニア州にあるフランクリン・マーシャル大学卒後、米陸軍に入隊。1984年から米海兵隊情報将校に就任。1991年から1998年まで、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の査察官。その後、中東における米国の外交政策を率直に批判するようになる。米国のイラク侵攻前には、イラクが安全保障上の脅威となっているというジョージ・ブッシュ大統領の主張に対し、イラクには大量破壊兵器は存在しないと異議を唱えた。ネイションブックスから著書『危険区域にて:米国の軍備管理政策の失敗をたどる』が今年後半に出版予定。


「核神話」生んだ8月6日 原爆投下正当化許すな


 私は1991年9月から7年間、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)のメンバーとしてイラクで活動するという栄誉を得た。UNSCOMは、化学兵器、生物兵器、長距離ミサイル、核兵器を含むイラクの大量破壊兵器を撤収、破壊、無力化するよう国連安全保障理事会より委任されていた。査察官の活動は、第二次世界大戦後の世界において前例のないものであった。というのも、その活動はサダム・フセイン政権下のイラクに限られていたとはいえ、大量破壊兵器の拡散を単に制限したり封じ込めたりするだけでなく、すべての大量破壊兵器の廃絶を目的としたものであった。純粋に技術的な観点からすれば、われわれ査察官は命じられた基本的な目的を達成した。

 しかし、イラクに大量破壊兵器が存在し続けているとの見方は、現実性を持っていた。そしてそのことを理由に国際的な政策が形成され、2003年には米国とその同盟国によってイラク侵攻が始まり、占領という結果を招くことになった。

 イラクへの侵攻を正当化する理由として挙げられた最たるものは、イラクが核兵器計画を再構築しているという前提であった。結局、それは虚偽だった。しかし、核兵器という幻の脅威に対する恐怖が、膨大な核兵器を保有する国々を含め、国連憲章に定める国際法の基準や価値とは相いれない違反行為へと駆り立てた。

 イラクでの大失態後も、核兵器開発能力の拡散は食い止められておらず、むしろ拡大している。このことは次の疑問を突きつけている。核拡散問題は、核拡散防止条約(NPT)など容認された国際的枠組みの外で核兵器を獲得しようとするイラクのような国々に限られたものなのか、それとも自国の核兵器は維持しながら他国の核兵器開発を拒否する権利を主張する米国のような国々をも含む問題なのか、という疑問である。

 バラク・オバマ大統領が4月4日(日本時間5日)、チェコの首都プラハで行った感動的なスピーチで核兵器問題を取り上げ、世界中の核兵器を廃絶するための方策を追求する必要性を語った。「私は、米国が核兵器なき世界の平和と安全保障を追求することを明言する」と宣言し、「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」と述べた。

 しかし、ここには落とし穴がある。オバマ大統領は「世界中の人々が21世紀を、恐怖を感じることなく生きる権利を得るために、われわれは共に立ち上がらなければならない」と強調した。だが一方で「これらの兵器が存在する限り、敵に対する抑止と同盟国の防衛を保障するために、米国は安全かつ効果的な核兵器保有を維持する」との警告も発した。

 オバマ大統領が述べた意図の実現性を評価するには、この警告に着目しなければならない。この忌まわしい兵器が初めて実験され、実際に使用された1945年以来、核兵器は米国の国家安全保障戦略の要となってきた。戦争終結のためにという公然の必要性から生まれた米国の核兵器は、抑止により戦争を回避できるという伝説を打ち立て、神話的重要性を持つに至った。

 しかし、現実に核兵器は、米国や全世界の頭上に極細の髪の毛でつるされた現代の「ダモクレスの剣」にほかならない。核兵器の脅威は、使用可能であるとみなされなければその意義を維持できない。それ故にローマの哲学者キケロによる物語の核心、「常に何らかの恐怖にさらされている者は決して幸福ではない」ことを明確に示している。簡単に言えば、どのような形であれ、どのような国の管理下であれ、核兵器が存在する限り真の安全保障などあり得ないのである。

 米国には多くの友がいるが、この国の核兵器問題に関していえば、日本以上に重要な友はいない。オバマ大統領はプラハで行った演説で、米国が核兵器を使用した唯一の国であると述べた。言及しなかったのは、核兵器を使用した相手が日本だったという事実である。日本は、親友であり同盟国でもある米国に働きかけ、核兵器の存在が安全保障をもたらすという偽りの約束から抜け出して、核兵器廃絶を進めるよう圧力をかける道義的権威と責務を負っている。核兵器が合理的で正当な安全保障を約束するという神話が存在する限り、核兵器が廃絶されることはない。

 広島は史上初の被爆都市として重要な役割を果たしている。広島や日本全体が被爆の実態を伝えるうえで先頭に立つことが何よりも肝要である。日本と世界は、初めて核兵器を使用した歴史について、米国のみに語らせておくべきではない。というのも、現在の米国にみられる核兵器に依拠した国家安全保障態勢は、広島への原爆投下という悲惨な出来事に端を発しているからである。最近の歴史からも、米国が広島の被爆の実態を偏見なく語ることができないのは明らかである。

 1994年、スミソニアン協会は、1945年8月6日に広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ号」の復元された機体を中心にした展示を企画した。「岐路:第二次世界大戦の終結、原子爆弾、そして冷戦の始まり」と名づけられたこの展示プロジェクトは、米国在郷軍人会や空軍協会をはじめ、多くの個人や団体から強い反対を受けた。反対派はスミソニアン協会が歴史を歪め、核攻撃による日本人の犠牲者の死や苦しみに力点を置き過ぎており、原爆投下の決定に至った理由(すなわち米軍が日本本土に大規模上陸を展開する前に日本を降伏させるという背景)に十分な焦点が当てられていないと感じたのである。結果的に反対派が勝利し、1995年の展示では、エノラ・ゲイのみが展示され、広島・長崎の被災資料の展示は中止された。こうして軍部擁護派の諸団体によって流布された神話は、日本に対する米国の原爆使用が正当であったというだけではない。特に広島と長崎の壊滅的な結果により醸成された抑止的価値のために、核兵器自体が戦争の正当な兵器であるとの神話が永続することになったのである。

 米国の戦略政策立案者たちだけでなく、米国民全体の考え方の中にある核兵器の正当化は、世界で米国の軍事的優位を確立する手段として、冷戦時代に生まれ今日まで続いている核抑止力への価値基盤のうえに築かれた。米国の核兵器信奉は、現在起こっている脅威を反映したものではなく、むしろ広島への原爆投下決定から生まれた「核が必要だ」という神話からきている。

 広島への原爆投下という一つの行為からすべてが始まったのである。仮に原爆投下の決定が、戦争の厳しい現実を示す正当な行為であると主張するならば、核兵器を米国の国家安全保障の中心と見なしている人々に対して、核廃絶を考えるように説得するのは非常に困難である。逆に、日本の二つの都市への原爆投下という行為が、単に核によるホロコーストにより何十万人もの死者を出したという以外に何も生み出さなかったということが実証できるならば、核兵器保有を正当化している基盤そのものが崩壊することになる。

 歴史のこの部分に関しては、日本側からの包括的な答えが必要である。1945年の夏、大日本帝国の立場から戦争を終わらせた本当の要因は何だったのだろうか。無条件降伏を求めた1945年7月のポツダム宣言への日本の回答はいかなるものであったのか。ソ連との間で行われていた和平交渉はどれほど重要なものであったのか。また、降伏の最終決定を行ううえで、ソ連が1945年8月に参戦したことはどれほどの影響があったのか。

 日本の歴史家たちは、過去にこうした問題を扱ってもいる。が、往々にして愛国的な立場から発言する米国の歴史家たちが、この重要な歴史上の問題について、米国や全世界で主導権を持って解説するのを看過している。

 広島はオバマ大統領のプラハ演説から生まれた歴史的好機がもたらした使命を担い、米国や世界に史上初の原爆投下の起源を再考させることで、地球規模で核軍縮を推進する一助となるべきである。それは原爆投下の記念日に、核兵器使用の決定に関して広島で国際会議を開き、歴史検証を加えることで達成できるかもしれない。こうした研究によって、原爆投下が一つの国、あるいは複数の国々の安全保障を高めたのではなく、全人類を脅威にさらす現代のダモクレスの剣を生み出したのだと断固として明言すべきである。

(2009年5月11日朝刊掲載)

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