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社説・コラム

天風録 「鉄の女の言葉」

 おぼつかぬ足取りで家に戻り、ミルクが高いとぐちをこぼす。先立った夫の幻影に向かって。「鉄の女の涙」と副題がついた映画は、認知症を患う晩年の痛々しい姿から始まる。メリル・ストリープさんの演技が真に迫っていた▲英国のサッチャー元首相が亡くなった。冒頭の場面と違い、思い出されるのは自信に満ちた表情ばかり。自由主義経済、反共産主義を貫いた。経済低迷という長患いの「英国病」も克服した。各国の政治家がたたえ、悼む▲フォークランド紛争時の言葉を、安倍晋三首相は施政方針演説で引用した。領土をめぐる安全保障の危機に「国際法が力の行使に勝たなくてはならない」と。11年半も政権を握った剛腕にあやかりたいのかもしれない▲信念の政治家には一方で「血も涙もない」と酷評も。社会保障をカットする政策は弱者に厳しかった。レーガノミクスに影響を与えたというサッチャリズム。格差への無頓着さまで、アベノミクスが倣っては困る▲20世紀の傑出した指導者。だが冷戦期に在職した故か、「核戦争は恐ろしい脅威」と認めつつも核抑止力への信奉は揺るがなかった。こちらは前時代の遺物として丁重に葬りたい。

(2013年4月10日朝刊掲載)

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