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社説・コラム

社説 ボストン・テロ 暴力の連鎖をどう防ぐ

 テロの恐怖が、またも米国を揺さぶっている。日本でもなじみのあるボストン・マラソンの会場が標的となった。

 ゴール付近で2度の爆発があり、8歳の男児を含む3人が死亡、170人以上が負傷した。犠牲になったのは外国人を含む無辜(むこ)の市民であり、断じて許されない。

 今回のテロは、多くの人に開かれたスポーツイベントが舞台となった。どうすれば再発を防ぐことができるのか。米国だけでなく、国際社会全体に重い問いが突きつけられている。

 多くのランナーと観客がゴールに集まるタイミングが狙われ、被害が拡大した。絶え間なく人が行き交う市街地で、持ち物検査などは徹底できない。不審者や不審物を洗い出すことが非常に困難な、大都市の「弱点」を突かれたといえる。

 警備や情報収集に死角がなかったか、検証が必要であろう。当面さまざまな面で警戒が強まることになる。

 今回のテロは、米国が今なおその脅威にさらされていることを鮮明にしたといえる。

 米政府は、2001年の米中枢同時テロ以降、対策を強めてきた。圧倒的な軍事力を背景に、テロ組織をかくまったとされるアフガニスタンに戦争を仕掛けた。戦争は泥沼化し、罪のない多数の市民が巻き添えとなった。

 テロは決して許されるものではない。ただ力ずくですべてを封じ込める動きが、かえって米国への憎悪をかき立てた面もある。この10年余り、未遂に終わったもののテロを企てる動きが相次いでいる。

 併せて米社会の格差問題がある。グローバル化の陰で貧富の差が拡大し、社会問題化しつつある。一昨年にはニューヨーク市で大規模な反格差デモもあった。こうした社会のひずみが積み重なり、過激な一部のグループが動きを強めている点は見逃せない。

 忘れてならないのは、テロ対策だけでは市民の安全を守る解決にはならないことだ。銃がまん延し、年1万人もの命が銃で奪われている。

 折しもおととい、米上院本会議は銃規制強化の関連法案を否決した。オバマ大統領が、昨年12月のコネティカット州で児童たち26人が死亡した銃乱射事件を受け、法制化を目指してきた。

 しかし、開拓時代から「自らの身は自ら守る」という価値観が米社会には強い。米議会に強い影響力を持つロビー団体の抵抗もあって頓挫した形だ。

 米国には2億7千万丁の小型武器があるとされる。国民10人当たり9丁という驚異的な数である。日常の暮らしの中に銃があり、凶悪犯罪の温床ともなっている。テロ対策と合わせ、銃規制を強化する取り組みが迫られよう。

 テロや凶悪事件に決然と立ち向かうのは当然である。ただ、犯行の動機や背景が複雑化する中、力での解決には限界があることも真実だ。警戒をいくら強めても、かえってそれをかいくぐる動きが広がるという、いたちごっこになりかねない。

 まずは、事件の真相解明が急務である。そして米国が抱える課題の背景を見据え、暴力の連鎖の芽を摘み取る息の長い取り組みが欠かせない。

(2013年4月19日朝刊掲載)

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