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社説・コラム

社説 安倍政権と中韓 歴史問題に謙虚であれ

 外交は相手があり、どんな時も細心の配慮が要る。その基本を、安倍晋三首相はおろそかにしつつあるのではないか。

 民主党政権時代から悪化の一途をたどる韓国や中国との関係が、一段とぎくしゃくし始めた。靖国神社の春季例大祭に合わせて麻生太郎副総理ら閣僚が参拝したのに端を発し、安倍政権の歴史認識が問われている。

 尖閣諸島や竹島という日本の領土を守る点では、両国に毅然(きぜん)として向き合うべきだ。ただ過去の負の歴史に関しては、常に謙虚さが求められることを忘れてはならない。

 戦争で国のために命を落とした人たちを追悼するのは当然のことであろう。戦後、遺族や多くの国民にとって靖国参拝は違和感のない行為だった。

 だが中韓の受け止めは違う。1978年に東京裁判のA級戦犯が合祀(ごうし)されている。このため政府要人の靖国参拝は第2次大戦までの歴史の肯定につながる、と主張している。

 安倍首相も第1次政権の時代、前任の小泉純一郎氏が参拝したことの火消しに追われた経験があるはずだ。今回は自らの参拝こそ見合わせたが、見通しが甘かったのではないか。

 とりわけ麻生副総理の参拝は韓国側を刺激したようだ。朴槿恵(パク・クネ)大統領が就任時の会談で「歴史認識は重要」と伝えた相手だからである。対日関係改善への一歩となる外相訪日が、これで流れたとみられる。

 韓国側の過剰反応と見るのは簡単だ。だが今の日韓関係はちょっとしたことでバランスが崩れかねない。中国も同じだ。その現実を、安倍政権はもっと重く受け止めるべきではないか。

 今週の参院予算委員会における首相の答弁を聞く限り、その危機感は感じられなかった。

 一つは閣僚参拝への批判に「どんな脅かしにも屈しない」と言い放ったことだ。首相の言葉としては、乱暴過ぎよう。内政面で絶好調だからか、一時の慎重さが失われた感がある。

 もう一つは侵略や植民地支配への反省と謝罪を表明した1995年の村山談話の扱いだ。

 「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と明言しただけでなく「侵略という定義は定まっていない」と述べたことには首をひねらざるを得ない。まさに戦争の正当化につながる発想ともいえる。

 自民党の歴代首相も受け継いだ村山談話だ。さすがにまずいと考えたのか、菅義偉官房長官は会見で談話の中の「痛切な反省と心からのおわび」を引用して「安倍内閣も認識は同じ」と弁解した。ただ首相とどこまで意を通じているのだろう。

 米オバマ政権も見るに見かねて日本政府に苦言を呈したという。このままでは東アジアの不安定化を招きかねない、との心配はもっともだ。

 現に中国は今週、海洋監視船の日本領海侵入をさらにエスカレートさせている。対話の糸口と期待された太田昭宏国土交通相の訪中も見送りとなった。

 北朝鮮情勢の緊迫化を考えても中韓両国との連携は不可欠だというのに、それぞれとの首脳会談は遠のくばかりである。

 きのう首相は「歴史認識の問題が外交、政治問題化することは望んでいない」と述べた。ならば持論はひとまず封印し、事態打開に自ら乗りだすべきだ。

(2013年4月27日朝刊掲載)

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