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社説・コラム

『核の難民』 佐々木英基著 故郷を奪ったのは誰か

 米軍は「ブラボー爆弾」と呼んだ水爆の実験を1954年3月1日、中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行った。広島原爆の約千倍に相当する威力。ビキニの東方約160キロにいたマグロ漁船「第五福竜丸」にも、核汚染されたサンゴが白い灰となって降り注ぐ。40歳の無線長は半年後に亡くなり、日本の降雨からも放射性物質が検出され、大騒ぎになる。

 米軍の占領統治が明けて間もない日本社会は、このビキニ事件を機に原水爆禁止の声を一気に高める。東京・杉並の主婦たちが始めた署名はたちまち3千万を超え、翌年には広島で初の原水禁世界大会が開かれた。

 一方、「原子力の平和利用」を唱える声も政財界から起こる。55年に原子力基本法を成立させ、濃縮ウランと原発施設の輸入へと進む。米国の働き掛けがあった。

 本書は、NHKBS1で昨年9月放送されたドキュメンタリー「除染された故郷へ」を手掛けた広島放送局のディレクターが、幅広い取材を基に著した。

 今も避難生活を強いられるマーシャル諸島ロンゲラップ島ゆかりの人々の過酷な歩みを軸に、核の被害に遭いながら原発を推し進めた日本の恣意(しい)的な政策、米国のしたたかな核戦略をくっきりと浮かび上がらせる。

 島民は米政府の「安全宣言」を信じて実験から3年後に帰還したが、がんの発症などが相次ぎ85年、全員が移住する。米政府は2000年代に入り汚染土の除去や住宅建設などを進め、現在の首長も帰還を呼び掛ける。

 しかし家族の間でも意見は分かれる。故郷の記憶がない世代が増え、生活スタイルも変わってしまった。この間、日本政府は原発から出る「核のごみ」をドラム缶に詰めて太平洋の島々に捨てる計画を持ち掛ける。そうした「原発大国」の政策を「核超大国」が認めているのはなぜなのか―。

 「核の難民」の現実を知ることで、私たちが「3・11」以前から突き付けられていたはずの問題が見えてくる。(西本雅実・編集委員)

NHK出版・1680円

(2013年4月28日朝刊掲載)

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