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社説・コラム

表現の自由後退に危惧 ドキュメンタリー「選挙2」 想田和弘監督

 東日本大震災直後の2011年4月の川崎市議選を追った想田和弘監督(43)のドキュメンタリー映画「選挙2」が公開中だ。組織選挙の舞台裏に迫ったデビュー作「選挙」(07年)の続編。選挙を題材にした作品から見えてきたものは何か。舞台あいさつで広島市を訪れた想田監督に聞いた。(渡辺敬子)

震災後の社会 限界と可能性

 ―選挙を撮り続けるのはなぜですか。
 前作で取り上げた大学の同級生が再び立候補するとブログで知り、急きょ撮影を決めた。震災直後の日本を撮っておきたい気持ちもあった。戦後最大の危機に直面しながら、日本的な選挙風景が繰り広げられていた。素材を編集するうちに、震災直後の混乱の中で行われた小さな選挙に、この国の限界と可能性が凝縮されていると感じた。

 ―可能性とは。
 映画を見に来てくれた人たちの熱気もそうだが、現状への危機感を持って何かを変えようとしている人は確かにいる。

 ―独自の撮影方法ですね。
 僕は事前の調査や打ち合わせは一切せず、台本なしでカメラを回す。編集もナレーションやBGMは付けない。それは映画のスタイルではなく、「よく見て、よく聞く」という僕の生きる態度でもある。

 ―「選挙」にも登場した現職議員が、街頭演説を撮らないよう申し入れるシーンがあります。
 まさか公道での選挙活動を「撮るな」と言われるとは思わなかったので驚いた。その夜、「撮った映像を使うな」「直ちに処分しろ」という内容の通知書が弁護士から届いた。もちろんカメラを止めるわけがないし、映像を捨てるはずもない。

 ―なぜ、そんなことが起こったのでしょう。
 今回のような撮影拒否が、表現の自由に関わる重大な問題だという自覚が関係者に乏しいのではないか。表現者やジャーナリストのセンサーも鈍っている。おそらく今まで闘うことなく、不戦敗を続けてきた積み重ねがあるのではないか。根は深い。

 東京大学新聞の編集長を務めていた学生時代、上の世代から民主主義についてうるさいぐらい聞かされた。でも今は、表現者やジャーナリズムが備えているはずの常識や伝統が途絶えてきて、表現の自由が脅かされても危機として認識できていない。僕自身もバトンを渡してこなかった反省がある。

 ―憲法や原発など重要課題をめぐる論議をどう見ますか。
 センサーを持つ人には警報が鳴り響いているけれど、それが壊れている人やない人には聞こえない。そんな状況だ。憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。権利は使わないと意味がないが、使おうとすると摩擦が起きる。

 僕はぎりぎりのところで抵抗していく。それが不断の努力。不戦敗では、どんどん後退してしまうだけ。一人一人にその責任があるはずだ。

 「選挙2」は広島市西区の横川シネマで公開中。

そうだ・かずひろ
 栃木県足利市生まれ。東京大を卒業後、渡米。「観察映画」と呼ぶ手法で取り組むドキュメンタリー映画に「精神」「演劇1」「演劇2」がある。著書に「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」など。米ニューヨーク在住。

映画「選挙2」
 新人候補として「どぶ板選挙」を繰り広げて当選した元市議が、任期満了後の4年間の空白を経て、「脱原発」を掲げ、あらためて市議選に挑む。東日本大震災の直後で、節電ムードの中をマスク着用で暮らす有権者と、元市議を含めた各候補者の選挙運動を追う。

(2013年7月20日朝刊掲載)

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