×

社説・コラム

『潮流』 佐喜真道夫さんの思い

■東京支社編集部長・守田靖

 今、あの人はどう考えているだろうかと思う。先月会いに行った沖縄県宜野湾市の佐喜真道夫さん(67)。市域の4分の1を占める米軍普天間飛行場の敷地を一部返還させ、佐喜真美術館を開館した人だ。

 広島市出身の画家丸木位里さんと親しかった。「沖縄戦の図」を置きたいという丸木さんの思いを聞き、「ぜひ実現させたい」と米軍と粘り強く交渉した。来年で開館20周年になる。

 美術館の屋上から基地を見下ろしながら、「戦前は本当に美しい場所だったと父から聞いて育った」と語った。特に天然記念物だった松並木が美しかったと。しかし、今、代々受け継いだ自分の土地の大半に立ち入ることができない。

 普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が大詰めを迎えた。11月下旬には、「県外移設」を公約にしていた自民党沖縄県連が党本部に押し切られた。仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は、年内に政府の埋め立て申請の可否を判断する意向を表明。それが条件付きになることを警戒する米国が日本政府にくぎを刺すなど、移設を前提とした駆け引きが続いている。

 移設は既定路線―。そう言われることに佐喜真さんは憤る。先日も、安全保障を勉強しているという東京の学生が見学に訪れ、「辺野古に移設すれば問題は解決するのに」と言い放った。「情けない」と思った。「普天間から基地がなくなるのはいいが、辺野古の人たちが苦しむ」。美術館は沖縄の記憶を受け継ぎ、思いを寄せる場にと願う。

 館内で買い求めた本に、沖縄の言葉「命(ぬち)どぅ宝」を織り込んだ琉歌が紹介されていた。「戦争は終わった。平和で豊かな時代がくるだろう。だから命は粗末にしてはいけない」との歌。東アジア情勢が混迷する中、米軍基地に複雑な思いを抱く住民は少なくないだろう。その問いに私たちはどうこたえるか。

(2013年12月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ