×

連載・特集

「放影研60年」 第1部 歴史を超えて <1> 科学の功罪

■記者 森田裕美

「平和」「軍事」揺れた過去 研究者、使命を自問

 放射線影響研究所(放影研、広島市南区)は、被爆者調査という人類史上、前例のない研究を積み上げ、放射線が人体にもたらす影響を少しずつ明らかにしてきた。その成果は、ヒロシマの財産であると同時に、被爆者を二度とつくってはならないとの戒めでもある。人類の英知を未来にどう継承していくのか。60年を迎える放影研のいまに迫る。

 あの日、原爆は広島に大量の放射線を浴びせた。人類史上、未曾有の悲劇―。だが、米国の科学者はそれを「NATURAL LABORATORY(自然の実験所)」と呼んだ。

 放影研の前身である原爆傷害調査委員会。通称ABCC。1951年、その設立意義を訴える米国務省の科学アドバイザーが、米原子力委員会(現エネルギー省)生物医学部長にあてた手紙で使った表現だ。

 「ABCCの被爆者研究は、米国が次の核戦争に対応するための材料だった。ジープで連れて行かれ血を抜かれ、まるで人体実験だと反感を持つ人も多かった」。50年代から医師としてABCCを見つめてきた中本康雄さん(80)は振り返る。

 軍事的側面が色濃かった過去の研究は、多くの機密解除文書がそれを裏付けている。ただ、中本さんは「職員らは一生懸命に励み、被爆者に協力してもらうため涙ぐましい努力をしていたものです」とも付け加えた。

 暗い歴史を背負った放影研は1975年、日米共同運営の財団法人として再出発する。「平和のために、放射線が人体に及ぼす影響を解明するのが私たちの使命。忘れてならないのは、こうした被爆者の研究を最後にしなければいけないということだ」。ABCC時代から勤務する児玉和紀疫学部長(59)は、自身に言い聞かせるように話す。

 広島市内で1月下旬にあった日本疫学会学術総会。「世界最大規模で信頼度の高いデータを世界に提供している」。講演に立った京都大放射線生物研究センター丹羽太貫教授は、放影研をそう評価した。

 国際放射線防護基準の策定や国連放射線科学委のリスク推定で中心的役割を果たす。被爆者集団を追跡し続け、放射線被曝(ひばく)と白血病やがんとの因果関係を立証し、着実に成果を残してきた。

 だが、半世紀以上の歴史を重ねた今も、答えが出せぬ命題も多い。がん年齢を迎える若年被爆者や胎内被爆者、2世への影響。「なぜ同じ組織でもがんが出やすい部位とそうでない部位があるのか」「喫煙のように放射線に別要因が加わることでリスクが高まる疾病はないのか」。さらに調査が必要な項目として低線量被曝も挙がる。

 放影研の研究は、注目されればされるほど、その「成果」が社会を揺さぶってきた。被爆者援護をめぐる訴訟では、放影研のデータが被爆者の訴えを退ける国の論拠にもされる。「軍事」「平和」に揺れた科学の危うさを今も引き継ぐ。

 広島でともに被爆し、9年後に白血病で亡くなった兄が、健診や病理解剖に協力したという西区の被爆者渡辺美代子さん(76)は「兄のような苦しみを二度と人類が経験しないよう、人類を救うため、平和のために生かしてほしい」と望む。その願いにどう応えるのか。放影研の将来像が問われている。

(2007年2月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ