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連載・特集

「放影研60年」 第1部 歴史を超えて <5> 地域との融和

■記者 森田裕美

対話を重ね被害解明へ

 放射線影響研究所(広島市南区、放影研)の敷地に、60センチほどの苗がにょきっと顔を出す。被爆したアオギリの種から芽吹いた二世。職員らが周りにスイセンを植え、成長を見守る。

 「少し幹が太くなったようじゃね」。放影研の成人健康調査に協力を続ける被爆者の深山久郎さん(82)と文子さん(79)夫妻。前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)から財団法人に改組されて30周年の一昨年、記念式典に招かれ植樹した。

 放影研の研究は、深山夫妻のような多くの被爆者に支えられてデータを蓄積、その成果が国際的な評価を得てきた。一方で、地元にはABCC時代の強引な調査の印象や、米国の核開発を担うエネルギー省が所管していることから、いまも不信は残る。

 被爆者が国を相手取り、提訴している原爆症認定集団訴訟。放影研とのかかわりは直接ないとはいえ、国が認定基準としている物差し「原因確率」は、皮肉にも被爆者調査で蓄積したデータから算定された。

 その単純な当てはめは一連の地裁判決で否定されたが、それでも固執する国は高裁に控訴した。大久保利晃理事長は「人間には放射線に強い弱いがあり、同じ量の放射線を浴びても影響が出ない人がいる。可能性の高い低いは科学で証明できても、ないとは言い切れない。だから裁判にもなる」と指摘する。厚労省の所管でありながら、「科学と社会的見地は違う。社会的にどう被爆者を救うかが問われている」として国とは一線を画す。

 放影研はABCC時代の印象から脱皮しようと、改組後の1975年から地域の被爆者や行政、医療関係者による地元連絡協議会を開き、対話を重ねる。4年前からメンバーに加わる日本被団協代表委員坪井直さん(81)は、半世紀以上前、苦い経験を持つ。裸にされ、全身調べられただけで説明もなかった。「いったい私は何なんだ」と不快感を抱き、通うのをやめた。

 その坪井さんも「被爆者は、何でも放射線のせいだと思ってしまう気持ちがある。だからこそ被爆者の思いを届け、逆に現段階での科学的知見を説明してもらう機会は重要だ」と実感を込める。

 原爆投下国の占領下、複雑な市民感情がうずまく中に生まれ、試行錯誤してきた放影研。大久保理事長は「地元の協力で蓄積できた研究と、被爆者が有機的につながる必要がある」と反省を込める。その一つが、放影研の現状を広く知ってもらうために一昨年改定した市民向けパンフレット。事務局には広報機能を持つ広報出版室も置いた。

 原爆被害の全体像は今も解明されていない。特に遺伝的影響、低線量被曝(ひばく)などは謎に包まれている。「私たちのデータがここにある以上、私たちの子どもの世代にちゃんと生かしてほしい」。深山さん夫妻は、アオギリに願いを込める。広島の地にしっかり根付き、次代に枝葉を広げるように―。=第1部おわり

(2007年3月3日朝刊掲載)

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