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連載・特集

「放影研60年」 第2部 被爆2世 <3> 揺れる思い

■記者 石川昌義

偏見への恐れ 家族縛る

 尾道市の小学校教諭柏原弥生さん(52)は、大阪で過ごした短大時代に聞いた言葉を忘れない。「広島のミカンがおいしいのはなんで?」。知人の男性は、原爆が瀬戸内のミカンの味にも影響を与えたと誤解していた。絶句する柏原さんに、男性は追い打ちをかけた。「広島には絶対行かん」

 目に見えない放射線の恐怖。確かに原爆投下直後の広島は「75年は草木も生えない」と言われた。それが誤解であることはすぐに証明されたが、各地に刻まれた被爆者や2世への偏見は、容易には消えない。

 三十数年前、路線バスの車内。前席に座った女性が声をひそめて話す。「被爆2世と結婚しちゃだめよ」。福山市の主婦占部郁枝さん(72)が聞いた会話だ。夫の成人さん(昨年9月に75歳で死去)は爆心地から約2キロ離れた学生寮で被爆した。当時、親子とも健康だったとはいえ、「主人と息子が気の毒に思えましてね」。今も言葉を詰まらせる。

 前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)時代も含め、放射線影響研究所(放影研)が60年近く調べても、被爆2世への遺伝的影響は解明されていない。にもかかわらず無知や誤解が、被爆した親とその子を苦しめる。

 放影研でも、こんな出来事があった。今年2月末、「非被爆者の子との有意差(明確な差)は現段階ではない」と結論づけた2世の健康影響調査。その準備をしていた1997年のことだ。

 調査対象者にアンケート用紙を発送しようと、放影研は住所を確認する戸籍付票の写しを自治体から取り寄せた。だが、公表せずに手続きを進めたため、2世の間に動揺が広がった。

 研究目的の戸籍利用は法的に問題はない。しかし、被爆2世と知られたくない人は少なくない。偏見を恐れる親が被爆の事実を告げていないケースもある。そんな人たちに突然、放影研の封筒が届いたらどうなる―。被爆2世団体は反発した。

 「微妙な心情への無理解や、科学者と官僚のおごりがあった」。当時、放影研顧問だった元遺伝学部長の阿波章夫さん(74)=広島市佐伯区=は不手際を認める。放影研は学者や弁護士ら第三者を招いて倫理委員会を設け、調査の進ちょく状況の説明や公表手法について2世団体と協議を重ねるようになった。

 占部さんの長男正弘さん(48)は教職員組合の被爆2世団体役員として、そんな放影研とのやりとりを見つめた。その間、被爆者である父の姿を思い浮かべたという。

 生前の父を学友が訪ねてきた。被爆者健康手帳の取得に必要な証人を依頼するためだった。応接間のソファで向き合う父に、かつての同級生はこう語りかけた。「娘も結婚し、心配せず手帳を取れるようになった」

 被爆者が手帳取得をためらい、いわれのない偏見が2世や3世に及ぶ現状には憤りを覚える。同時に正弘さんは、子や孫の安穏を祈る親心を思うとき、「被爆の事実はしまい込んだほうがいいのか」と揺れる。

(2007年3月24日朝刊掲載)

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