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連載・特集

「放影研60年」 第2部 被爆2世 <5> 動かぬ国

■記者 石川昌義

不安解消へ遠い道のり

 東京・霞が関の官庁街に横付けしたタクシーから、段ボール箱が次々と降ろされた。2月26日の昼下がり。広島、長崎の被爆2世約10人が、2世の援護充実を求める署名約36万人分を厚生労働省に運び込んだ。

 「被爆者の悩み、苦しみは未来世代へ引き継がれています」。署名を呼び掛けた全国被爆2世団体連絡協議会(2世協)の山崎幸治会長(38)=大竹市=は2世健診の充実や医療費支給を訴えた。しかし厚労省幹部は「放射線影響研究所(放影研)の調査結果を待ちたい」。1年がかりで準備した「数の力」は、肩すかしを食った。

 現在、2世の健康不安に応える行政の施策は限られる。国が1979年に始めた年1回の無料健診は「調査研究」を目的とする単年度事業で、毎年の繰り返しがこの先も続く保証はない。1994年に成立した被爆者援護法にも、2世対策は盛り込まれなかった。

 「被爆との関連が分からず不安だからこそ、援護が必要」。署名提出後の記者会見で山崎会長は声を強めた。

 だが国は「関連が分からないから援護は不要」と逆の立場を取る。2世協が署名を提出した2日後のこと。放影研は、2世が生活習慣病を患う可能性(発症リスク)について「現段階では非被爆者の子との有意差(明確な差)はない」との最新調査結果を発表した。これを基に厚労省健康局総務課は「施策を変更する新たな知見は得られなかった」とする。

 一方、国の施策の枠を超えた独自の対策を講じる自治体がある。なかでも東京都の施策は、がん検診や長期療養時の医療費支給など、全国トップ級だ。

 医療費支給は1976年に始まった。「高福祉」を掲げた革新都政だった。親である被爆者からの働きかけもあった。

 当時、都原爆被害者団体協議会(東友会)事務局長だった藤平(とうへい)典(のり)さん(78)は、2世対策が議論となった1976年7月の都議会が忘れられない。都議の1人は「予算増の懸念がある」とし、「永久的に被爆者援護を続けなければならない。(被爆者を)絶滅する何らかの方法はないか」とも主張した。

 広島で被爆した藤平さんは、参考人として議会で発言した。1人娘から「パパの血が流れている」と問い詰められた経験から、偏見や差別への不安が頭をよぎり、2世援護の必要性を訴えながら涙があふれたという。

 そうして誕生した制度は定着してきた。2005年度は345人が医療費を受け、2440人ががん検診を受けた。都の上乗せ負担は7000万円を超える。2世が年齢を重ねるにつれ、経費は増加傾向にある。

 こうした事情から全国の自治体の腰も重く、東京都の施策が広がる見通しはない。「2世の不安な気持ちは理解されにくい。援護は必要と思うが、風当たりが強くなるのも困る」。藤平さんは深く、ため息をつく。=第2部おわり

(2007年3月26日朝刊掲載)

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