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連載・特集

3.11半年 あすへ 中国地方の避難者 <中> 支え合う力

 9月上旬、岡山県南部の玉野市の市営住宅。「服やタオル、使ってください」。福島県川内村から岡山市内に避難中の大塚愛さん(37)の言葉に、同県郡山市から小学生の息子2人と2日前に入居した丹野あき子さん(36)の顔が、ほころんだ。ネットで知り合い、対面は初めてだった。

 丹野さんは、家財道具がそろうまで、大塚さんの紹介で3日間、玉野市の寺院に滞在した。「見知らぬ土地で心強い」と感謝する。  震災直後、大塚さんは夫の尚幹さん(39)と長男(6)、長女(2)の4人で実家に身を寄せた。福島第1原発事故で、自然農業を営んでいた家の周りは緊急時避難準備区域に。土地を失い、仲間と離れ「ぼうぜんとした」。

 被災者支援に奔走するきっかけは4月、文部科学省のホームページで見た放射性物質による福島県の汚染地図。「自分たちも大変だが、もっと大変な人もいる」と、夫婦で被災家族の受け入れを支える会をつくった。これまで約20人を支え、住まいや仕事の情報を伝え、交流会も催す。

 被災した古里に通い、避難先から支援を届ける動きもある。8月下旬、福島県南相馬市の仮設住宅に、同市から広島市南区に避難中の後藤孝明さん(48)の姿があった。広島市被災者支援ボランティア本部の職員を案内しながら、同本部が現地で計画する交流サロンの準備に汗を流す。

 後藤さんは3月中旬に家族5人で原発の北約24キロの自宅を離れ、広島へ。親類や知人のいない土地で善意に支えられた。ただ、仕事は見つからず「人の世話になってばかりいられない」と悩んだ。

 そんなとき、自分たちを献身的に世話するボランティアの姿が目に留まった。8月6日の平和記念式典では、車いすの介助奉仕に夫婦で参加。交流サロンの話を聞き、自ら橋渡し役を買って出た。

 古里の支援には、もう一つ理由がある。県外避難者に対し「逃げている」との批判も聞くからだ。「交流を通じて県外避難者の気持ちも理解してほしい」と打ち明ける。

 中国地方への避難者が増える中、大塚さんは岡山市から広島県東部にも支援の輪を広げている。学生や主婦、会社員など支える側はさまざまだ。大塚さんは「再出発の支援はもちろん、福島と中国地方をつないでいきたい」と力を込める。(赤江裕紀、川井直哉)

(2011年9月14日朝刊掲載)

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