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連載・特集

国際シンポ 問われる被爆地・被ばく国の役割―3・11原発事故を受けて

ヒバクシャ救う支えに

 原爆被爆と福島第1原発事故を経験した日本の役割を考える国際シンポジウム(広島市立大、中国新聞社主催)が19日、広島市中区の広島国際会議場で開かれた。「問われる被爆地・被ばく国の役割―3・11原発事故を受けて」がテーマ。国内外の専門家が、核兵器廃絶を訴えてきた被爆地に何が問われているのかを議論した。(文中敬称略)


≪パネリスト≫

独環境問題研究者 フランク・ユケッター氏

米反核団体代表  マリリア・ケリー氏

九州大副学長   吉岡斉氏

わたり病院医師  斎藤紀氏

≪報告者≫

被爆者    田中稔子氏

中国新聞記者 下久保聖司

≪司会≫

広島市立大広島平和研究所副所長 水本和実氏


繰り返された核被害

 ―原爆が投下されて66年の年に、福島第1原発事故が起きました。事故をどうとらえていますか。
 吉岡 深刻さは、史上最悪のチェルノブイリ原発事故(1986年)に匹敵する。何より問題なのは、安全対策の不備だ。日本は地震大国なのに、原発建設を進めてきた。その多くが立地するのは沿岸部でありながら、津波被害の想定は甘かった。

 ユケッター 「3・11」以前は、日本以外の国でも原発建設が進み、推進派は「原子力ルネサンスだ」「第2の原子力時代が訪れている」と言い、浮かれていた。

 吉岡 私は、政府の事故調査・検証委員会の委員を務めている。あらためて思うのは、政府、東京電力の事故対応のひどさだ。対策本部は首相官邸に置かれた。でも、情報発表などの権限を当初握っていたのは東電だった。政府は受け身で、当然ながら決定は遅れた。危機管理の体を成していなかった。

 下久保 情報発表の不備は、原発に近い福島県東部の浜通り地域の住民たちの証言からも明らかだ。中国新聞の連載「フクシマとヒロシマ」で、浜通り地域の50人から証言を集めた。福島県大熊町長の話には驚いた。政府の避難勧告を知ったのは、町役場に詰めていた警察官との立ち話だった。

 ―日本の原子力政策は今後どうあるべきなのでしょうか。
 斎藤 福島県の現状が示すとおり、ひとたび原発事故が起きると、農林漁業は放射能汚染や風評被害で壊滅的な状況になる。たとえ事故がないにしても、原発労働者が危険な放射線を浴びながら仕事をしている現状に疑問はぬぐえない。これは憲法が許す労働形態なのだろうか。

 田中 多くの福島県民が住む場所だけでなく、安全な空気や水、食料を奪われた。こんな仕打ちをする権利は、誰にもない。被爆国日本は、原爆にも、ビキニ水爆実験(54年)で被曝(ひばく)した第五福竜丸にも、チェルノブイリ原発事故にも、何も学ばなかったということ。

 吉岡 福島第1原発事故は、脱原発に向けて時代が進む一歩になるのではないか。私は、すぐに国内すべての原発を止めても、電力不足にはならないと考える。ただし、火力発電などで補うのには、現状ではコストが高くつくのも事実。無理のない方法で脱原発を果たすには、20年ぐらいは必要だろう。その間に、政府は、原発の新設が事実上不可能になるぐらいの厳格な安全基準を定めるべきだ。

国際社会は今

  ―「フクシマ」を国際社会はどう受け止めたのでしょうか。
 ユケッター ドイツは6月、2022年末までに国内の原発をすべて閉鎖する法案などを閣議決定した。その直後、イタリアも国民投票で脱原発を決定付けた。ドイツのメルケル首相がスピーチした通り、フクシマは世界のエネルギー政策の分岐点になった。ただし、ドイツにおける脱原発の流れは、事故前から確かにあった。

 原子力の平和利用の技術を高めようと1950年代から多額の資金を注ぎ込み、60年代後半から70年代にかけ原発建設が進んだ。その流れに疑問を投げかけたのはほかならぬ、電力会社だった。採算性を疑問視したのだ。

 市民からも反対の声が上がり、脱原発を掲げ、反対派の受け皿になる政党ができた。選挙のたびに争点になった。政府も原発は「再生可能エネルギーに転換するまでのつなぎ」と位置付けてきた。

 水本 日本の今後を考える上で参考になる事例。それにしても驚かされるのは、電力会社が自ら、原発に疑問を持ったこと。日本ではあり得ない。

 吉岡 日本には、安全保障の観点から原発の維持に固執する人もいる。核武装をできるだけの原子力技術を保持しておきたい、という考えではないか。

 ケリー 核兵器と原子力発電は不可分の関係にある。ウラン濃縮や使用済み燃料再処理のプロセスがそのまま、核兵器開発に転用できるのだから。核兵器と原発の両方を廃絶すべきだ。

 米国のオバマ大統領は2009年4月、チェコの首都プラハで「核兵器なき世界の追求」を唱えた。ところが、その裏で、核兵器の近代化を図るなど核軍縮の流れに逆行している。福島の事故は米国でも国民の反原発感情に火を付けた。核兵器廃絶の運動も高まりを見せている。ドイツが脱原発を果たしたように住民の動きが国際的に広まり、政府を変えていけたらいい。日本にその主導的役割を果たしてほしい。

フクシマとヒロシマ

 ―被爆地の広島は、原発事故をどう受け止めたのでしょうか。
 田中 被爆者の一人として、忸怩(じくじ)たる思いだ。原発に大賛成という被爆者はこれまでも、まずいなかっただろう。でも、原子力の平和利用という名の下、経済成長のためと信じて、原発の「安全神話」を信じようとしてきた。私自身、大変な勉強不足、無関心だったと言わざるをえない。

 被爆国で、新たなヒバクシャが出たという事実をこのまま見過ごせば、また同じような悲劇が繰り返される。私自身、被爆体験を伝え続けることは責務だと思っている。

 下久保 「被爆地は原発とどう向き合ってきたのか」と、福島県で尋ねられた。連載取材班は、ヒロシマの足元を見つめ直すべきだと考えた。1956年、原爆資料館(広島市中区)で開かれた原子力平和利用博覧会は、原発を夢のエネルギーとして礼賛する内容だった。「軍事利用の核兵器とは別物」という考えが広まるきっかけとなった。被爆地が原発推進の一翼を担った歴史をあらためて知った。

 ―これから何をすべきなのでしょうか。
 斎藤 私の念頭には、原爆被爆者の闘いの軌跡がある。わが国の歴代政府は、被爆者の全面救済に積極的でなかった。民を棄(す)てる、棄民ということ。それに対し、被爆者は国家補償を粘り強く求め反核・平和の訴えを国内外に発信してきた。福島の原発事故被災者は今、全国からの支えの声を求めている。広島からは「国の棄民的姿勢は二度と許さない」という被爆者の声を届けてほしい。

 ケリー ヒロシマ、ナガサキの反核・平和に向けた揺るぎない気持ちは世界を変える力になる。私たちの子や孫の世代は、いつの日か驚くだろう。「核物質で水を沸かし、電気をつくっていた時代があったの?」と。そんな時代を実現したい。

 ユケッター 東西の冷戦構造終結を受け、ドイツでは1990年以降、核被害への恐怖が薄れ、ヒロシマやナガサキについて語られる機会が減った。今回の原発事故もそうだが、記憶を風化させないことが大事だ。

 吉岡 米国では、日本のメーカーの技術協力なくしては原発を造れない。日本が原発を止めれば、いや応なく新規原発はなくなる。逆に言うと、米国が原子力政策を転換すれば、今の日本も原発を止めやすくなるだろう。

 下久保 原爆被爆者が体験したような偏見や風評被害が、福島でも起きている。過ちが繰り返されないよう、正しい報道を続けていきたい。

 水本 締めくくりになるが、核の危険性には民生利用と軍事利用の違いはないということだ。被害の実相をとことん掘り下げ、考えていくべきだ。


フランク・ユケッター 
1970年ドイツ・ミュンスター生まれ。ミュンヘン大講師などを経て、今年からレイチェル・カーソン・センター特別研究員。専門は環境史。

よしおか・ひとし
1953年富山県生まれ。東京大理学部物理学科卒。専攻は科学技術史、科学技術政策で、原発事故の政府事故調査・検証委員会委員を務める。

マリリア・ケリー
1951年米シカゴ生まれ。米国の核開発拠点施設の監視を目的に、83年に反核団体のトライバリー・ケアーズを創設。核問題専門誌に多くの論文を発表。

さいとう・おさむ
1947年宮城県生まれ。福島県立医科大卒。福島生協病院(広島市西区)の院長を20年務めるなど、原爆被爆者と向き合った。09年から、わたり病院(福島市)に勤務。

みずもと・かずみ
1957年広島市中区生まれ。東京大法学部卒。朝日新聞ロサンゼルス支局長などを経て、10年から現職。専門は国際政治・国際関係論、核軍縮。

(2011年11月21日朝刊掲載)

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