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連載・特集

平和大通り―復興の軌跡 <1> デルタを貫く

緑豊か ヒロシマの骨格

 幅員100メートルの平和大通りが広島デルタを東西に貫く。平和大通りは、原爆資料館、原爆慰霊碑、原爆ドームを一直線に結ぶ「軸線」と垂直に交わるこの場所こそが、平和の尊さを世界に伝えるヒロシマの骨格となった。被爆から67年目の夏に平和大通りをあらためて歩いた。

 焦土と化した古里に、平和実現の理想の象徴を建設する―。復興の道筋を指し示した広島平和記念都市建設法に基づき、平和記念公園などは生まれた。平和大通りも約20年かけ、鶴見橋西詰から新己斐橋東詰までの約3・5キロが全通した。

 平和都市の原形を描き、公園を設計したのは、戦前に旧制広島高校で学んだ建築家丹下健三氏(1913~2005年)だった。

 孫弟子に当たる広島市佐伯区の都市計画家松波龍一さん(65)は「軸線とともに、緑あふれる平和大通りはいまも、豊かな都市空間を生み出す市民の宝物だ」と話す。

 大通りは1975年の広島東洋カープの優勝パレードに沸いた。毎年8月6日には、祈りをささげる遺族や世界中の人々が一帯に集う。その涙や喜びを平和大通りは受け止め続けている。(写真・荒木肇、文・神下慶吾)

(2012年7月23日夕刊掲載)

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