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連載・特集

『生きて』 洋画家 入野忠芳さん <11> ヒロシマ

「生命」描く創作の基点

 振り返って、自分が描いたどの作品もヒロシマと関わりがあると思います。ヒロシマをどう表現するか、単なる記録画とは違うものをずっと追い求めてきた。

 ヒロシマと銘打った展覧会は1966年の「ヒロシマ幻想展」が最初

 広島市内の会館で開いた、画家の貫(ぬき)志朗さんとの2人展。当時、原爆ドームを永久保存するかどうかの議論が盛んでね。ドームを残すのはいいが、ドームが残ればヒロシマは伝わるのか、そんな思いを「幻想展」の名に込めた。口だけの顔面を描いた絵などを出しました。翌年にも4人展にして開いた。

 75年に始めたシリーズ、現代日本美術展大賞を受賞した「裂罅(れっか)」も、被爆体験を含めた僕の半生を映しています。「描くのにどれくらいかかるか」と聞かれると、「年齢プラス1年」なんて答えるようになった。

 95年には「ヒロシマ50」展を広島県内の6会場で開く

 被爆50年の節目、かなり力を入れてね。田谷行平さん、香川龍介さんとの3人展。「裂罅」に続く「流形」シリーズなどを出した。

 広島市を最初に東広島、尾道などを回りました。ヒロシマをテーマに何をどう表現できるのか、来場者と語るギャラリートークを全会場でやった。段ボールを座布団代わりにね。

 10年後にも同じ3人で「ヒロシマ60」展を広島市で開いた。僕は、圧縮空気で描いた「風成」シリーズを出しました。

 無数の人間がせめぎ合う宇宙のようにも見える絵。命の営みを超然と眺める趣がある

 ヒロシマを被爆者だけの問題にしない、ヒロシマを基点に生命そのものを捉えていくような表現を、僕は目指してきたつもりです。

 被爆体験を直接描いた作品には、絵本「もえたじゃがいも」(89年刊、汐文社)がある

 子ども向けの絵本だから、分かりやすさが主眼。でも、ジャガイモを食べそびれた悔しさで原爆を描いた本は珍しいでしょう。飢えと戦争、食べ物や命について、思いを広げてくれたらうれしい。

 毎年8月6日、わが家では丸ゆでのジャガイモだけを食べることにしています。あの日を忘れないために。

(2013年6月29日朝刊掲載)

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