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連載・特集

折り鶴に乗せて <1> 病床の祈り

形見の1羽 沖縄と結ぶ

 佐々木禎子さんが広島に生を受け、ことしで70年になる。2歳の時に被爆し、12歳で白血病のため亡くなった。病床で鶴を折りながら回復を祈った少女はいま、平和のシンボルとして生きる。折り鶴に乗せた希望は、時代を、海を渡る。

 円筒状のケースに収められた40羽の折り鶴を光が照らす。薬包紙、セロハン、千代紙…。原爆資料館(広島市中区)に、禎子さんが病床で折った鶴が展示されている。

 1955年2月、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)に入院。見舞いの千羽鶴を見て、夏に折り始めたという。「いつも黙々と無心で手を動かしていた」。幟町小(中区)の同級生川野登美子さん(71)=中区=はそう振り返る。

 鶴の大きさは次第に小さくなっていった。その理由を兄佐々木雅弘さん(72)=福岡県=は「より難しいことに打ち込めば、それだけ快方に近づけると思ったのではないか」とみる。願いはかなわず2カ月後に命を閉じた。

 資料館が保管する折り鶴は約140羽。その1羽が9月7日から、沖縄市役所で常設展示される。届ける雅弘さんは「戦争でたくさんのものを失った二つの地をつなぎたい」。折り鶴に役目を託す。(写真・山崎亮、文・小笠原芳)

(2013年7月29日夕刊掲載)

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