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連載・特集

『コレクション再発見』 イサム・ノグチ「広島の原爆死没者慰霊碑(模型)」

胎内回帰 再生イメージ

丹下案と異なる生々しさ

 「幻の原爆慰霊碑」として、つとに知られた模型だろう。日系米国人の美術家イサム・ノグチ(1904~88年)の作。広島市中区の平和記念公園を設計した建築家丹下健三(1913~2005年)から依頼され、1952年に設計図を市に届けている。

 不採用になったのは、原爆を落とした側の米国人であることが影響したとされる。現行の慰霊碑は、丹下が急きょ作った代案だった。

 広島市内の三つの美術館で今、共同展「アート・アーチ・ひろしま2013」が開かれている。ノグチは3館が共通して取り上げる。市現代美術館(南区)の展示の冒頭を飾るのが、玄武岩でできた5分の1サイズのこの模型だ。

 ノグチが思い描いた慰霊碑は、逆U字のアーチを描く柱が地下空間まで貫く構造だった。資料写真と並べ、それを示す展示にした神谷幸江学芸担当課長は「地下や周辺と合わせた空間全体で捉えたい作品」と話す。

 構想では碑の南側に、地下へ導く細い階段の入り口もあった。「産道を通って胎内に戻るようなイメージ」と神谷課長。丹下案との違いが際立ってくる。

 偶然にも今、東京都小平市の武蔵野美術大美術館でも、ノグチの慰霊碑構想が模型で再現されている。10日まで開かれている「墓は語るか」展。再現を監修した同大客員教授で造形作家の岡崎乾二郎さん(57)は、碑に先行するノグチの彫刻「クロノス」(47年)に注目する。骨のような断片のぶらさがる逆U字のアーチが、ほぼ同じ形なのだ。

 クロノスはギリシャ神話に現れる農業神で、自らの子どもをのみ込む逸話で知られる。ややグロテスクだが、体内での解体、変容、再生を示唆する。岡崎さんは「慰霊碑の地下はクロノスの体内に重なる。敵と味方、民族といった地上の差異はそこで昇華される」と解説する。

 ノグチは慰霊碑についての報告書に「われわれ全てが大地へと帰るための記念碑」と記した。原爆犠牲者を含めた誰もが地球の「胎内」に帰り、生まれ変わるイメージだろうか。洗練を極めたデザインに生々しさが潜む。

 50年代に丹下の元で平和記念公園の設計を支えた建築家の大谷幸夫(さちお)さんも、その生々しさを直感した一人だ。今年1月に88歳で亡くなったが、2004年、広島市現代美術館で講演した際の記録が残る。

 「あ、これは内臓だと思った」。東京大の丹下研究室で、できたばかりのノグチの模型を見た大谷さんの印象だ。そして、丹下が出した代案。「これは覆いだ。何もしてあげられなかった死者の遺体へ差し掛ける覆いだと思った」

 地中から原子力を引きずり出す印象さえはらむノグチの案と、犠牲者へのいたわりに満ちた丹下の案。どちらがいいかは人それぞれだろう。しかし、ノグチは自らの案に確信を持ち、実現への意欲を折に触れ周囲に語っている。

 広島市現代美術館が所蔵する模型は、ノグチが晩年に書いた指示に沿って、没後の91年に制作された。岡崎さんによると、当初のデザインと微妙に違う。アーチの柱が膨らみを増し、いっそう力がみなぎる。「地上部だけで力強い完結性を示している」とみる。

 地下も含めた建て替えは無理かもしれないが、地上の碑だけでもいつか、自分の案に戻せないか―。もしかすると、そんな願いを映すのかもしれない。(道面雅量)

<広島市現代美術館>
 現代美術に特化した全国初の公立館として、1989年開館。第2次大戦後の思潮を示す作品や、ヒロシマと関わる作品を軸に収集している。広島市南区比治山公園。「アート・アーチ・ひろしま2013」は10月14日まで。

(2013年8月2日朝刊掲載)

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