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連載・特集

ヒロシマの記録2013 1~6月 核廃絶 進歩と後退

 ヒロシマと被爆国政府。被爆68年のことし、「核の傘」や被爆者救済をめぐり埋めきれない溝を露呈した。

 10月、国連総会第1委員会(軍縮)で、125カ国が賛同して「核兵器の非人道性と不使用に関する共同声明」が発表された。日本は初めて署名した。

 同様の声明は4月の2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会などで3度まとめられた。だが、日本は賛同を見送ってきた経緯がある。「いかなる状況下でも核兵器は二度と使われるべきではない」。当たり前の道理を説いた文言を問題視した。

 米国の核抑止力に頼る安全保障政策と相いれないとの考えだ。だが矛盾するのは核兵器廃絶を唱えながら「核の傘」の下にいる被爆国のありようの方で、被爆者は怒り、嘆いた。松井一実広島市長は8月6日の平和宣言で、政府に「核兵器廃絶をめざす国々との連携強化」を求めた。

 こうした声を受け、賛同へ調整に動いたのは被爆地を地盤にする岸田文雄外相だった。一歩前進と言えるが、安全保障政策は従来のままで、やはり米国と同盟関係のオーストラリアなどとも類似の共同声明を発表。非人道性を訴えつつ「単に核兵器を禁止しても廃絶される保証はない」とする内容で、廃絶に向けた機運に水を差す動きだった。

 原爆症認定制度の見直しをめぐり、厚生労働省は新たな審査方針をまとめた。心筋梗塞など三つの病気で「放射線起因性」との文言を要件から削除する一方、「爆心地から約2キロ以内で被爆」など距離条件を狭めた。新たな線引きにより切り捨てられる被爆者が出る。今後も訴訟が続く可能性が残った。

 日本被団協が集団訴訟を主導して勝訴を重ね、基準緩和を実現した。なのに、がん以外の病気で申請が相次いで却下されてきた。被団協は「司法判断に対する厚労省の挑戦」と強く反発した。訴訟は老いた被爆者には酷で、被害の実態を踏まえた解決が必要だ。

 2月には北朝鮮が核実験を実施。米国も核兵器の性能を確かめるための新型核実験を繰り返した。福島第1原発事故で再考を迫られた「核の平和利用」も、わずか2年余りで経済とのてんびんにかけられた。原発再稼働への動きが相次ぐ。

 年が明ければ4月12日、広島で核兵器を持たない12カ国の「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」外相会合が開かれる。4月には米国のオバマ大統領が来日する可能性もあり、被爆地訪問を求める声が高まる。ヒロシマの訴えとともに、ヒロシマからの訴えを核兵器廃絶の実現につなげる重要な年となる。(下久保聖司)

1月

 1日 原爆資料館が初めて元日に開館

10日 漫画「はだしのゲン」の作者で、2012年12月に73歳で亡くなった中沢啓治さんをしのぶ原画展が原爆資料館
    東館で始まる 18日 平和市長会議が長崎市で国内加盟都市会議を開き、広島市の平和記念公園の「平和の
    灯(ともしび)」の分火を決定

21日 広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の新所長に稲葉俊哉教授が決定

23日 自民党の広島、長崎両県選出の国会議員たちが「被爆者救済を進める議員連盟」設立

28日 広島市立大広島平和研究所が、中区の大手町平和ビルから安佐南区の大学構内に移転

29日 広島市が原爆ドームの耐震性のコンピューター解析結果を発表。震度6弱ではすぐに崩壊しないが、一部損傷
    の恐れ

30日 国連軍縮会議が静岡市で開幕。天野万利・軍縮会議政府代表部大使(当時)が核兵器の非合法化に難色を
    示す

2月

 1日 広島市の松井一実市長が岸田文雄外相(広島1区)と外務省で会談し、核兵器禁止条約の早期実現を主導す
    るよう要請

 2日 広島で被爆し、10年後に渡米しケロイド治療を受けた女性25人の一人、山岡ミチコさんが死去、82歳

12日 北朝鮮が3度目の核実験。豊渓里(プンゲリ)の実験場で実施か。金正恩(キムジョンウン)第1書記の体制下
    で初▽原爆資料館が、最後の核実験からの日数を示す「地球平和監視時計」の表示を「69」から「0」にリセット

13日 北朝鮮の核実験を受け、二つの広島県被団協が原爆慰霊碑前で隣り合って抗議の座り込み▽ヒロシマ平和
    創造基金が国際交流奨励賞に広島県内の3団体を選ぶ▽原爆で黒焦げになった木で組んだ広島流川教会
    (広島市中区)の「被爆十字架」の保存処理が終わり、新しい礼拝堂に掲げられる

15日 米ワシントン州政府は、長崎原爆のプルトニウム製造で知られるハンフォード核施設で放射性廃棄物の貯蔵タ
    ンクから汚染水漏れが確認されたと発表

17日 原爆の「黒い雨」を浴びたとされる1万3千人分のデータ保管が判明した放射線影響研究所(放影研)が原爆資
    料館東館でシンポジウムを開催。外部研究者から詳細解析を求める声が相次ぐ

19日 北朝鮮の核実験は前回2009年の2・5倍の規模と、米シンクタンクが見解を示す

28日 広島県や広島市、県内の大学などが「ひろしま平和研究・教育機関ネットワーク」設立

3月

 1日 米国がビキニ環礁で実施した水爆実験で第五福竜丸が被曝(ひばく)して59年。日本原水協、原水禁国民会
    議などがそれぞれ静岡県内で「ビキニデー」の関連行事を開催

 4日 初めての「核兵器の非人道性に関する国際会議」がノルウェー・オスロで120カ国以上が参加して開幕。米国
    など核保有5大国は不参加

 6日 放射線影響研究所(放影研)の科学諮問委員会は、原発事故に伴う福島県民健康管理調査を組織的に支援
    するよう勧告。放影研は「困難」との見解

11日 爆心地近くの相生橋で被爆した路面電車の敷石が記念碑になり、広島市中区の広島電鉄本社ビル前で除幕
    ▽広島市南区のJR広島駅南口Bブロック市街地再開発事業で、被爆建物の旧住友銀行東松原支店の取り壊
     しが始まる

12日 米国が強力なエックス線発生装置「Zマシン」で核兵器の性能を調べる新たなタイプの核実験を、2012年10
    ~12月に2回、ニューメキシコ州のサンディア国立研究所で実施していたことが判明。実施日は10月3日と11
    月7日

14日 広島市が、原爆資料館から被爆者の姿を再現したプラスチック製人形を16年にも撤去する方針を示す

16日 岸信介政権下の1958年、外務省内で「防衛用兵器」として核兵器を保有する選択肢が議論されていたことが
    判明。秘密指定を解除された米公文書で明らかに

19日 原爆資料館の展示見直しの有識者検討会議が改修後の新たな展示内容をまとめる。遺品など「実物」資料が
     軸。被爆者の姿を再現した人形の撤去方針をあらためて確認

28日 広島市が1999年から14年がかりで実施した第7期被爆者動態調査の結果を公表。1万7253人の被爆者を
    新たに突き止める一方、第1~6期調査(79~98年度)で1592人の重複も判明。45年末までに死亡が確認さ
    れた被爆者数は8万8978人となり、第6期調査に比べ961人減った

4月

 1日 広島平和文化センターの新理事長に前駐クウェート大使の小溝泰義氏が就任。外務省出身者の起用は初め
    て▽原爆資料館の新館長に志賀賢治氏が就任

 9日 日本など核兵器を保有しない10カ国(当時)でつくる「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」の外相会合がオラン
    ダ・ハーグであり、核保有国が核兵器削減の進行状況を共通の様式で報告することなど核軍縮に向けた新たな
    提案をまとめる

11日 漫画「はだしのゲン」で未完となった第2部の新たな遺稿16ページ分を、作者故中沢啓治さんの妻ミサヨさんが
    原爆資料館に寄贈▽広島県が、核兵器保有国など19カ国の核軍縮や核不拡散の取り組みを採点した「ひろし
    まレポート」を発表

12日 平和記念式典で松井一実市長が読み上げる平和宣言の内容を検討する被爆体験に関する懇談会の初会合。
    公募する体験談のテーマは「心身の傷や差別、偏見に苦しみながら、広島の復興を支えてきた被爆者の姿」▽
    原爆資料館が、広島の原爆で大やけどを負った通称「被爆馬」の剝製を8年ぶりに展示

16日 ドイツ国連協会ベルリン・ブランデンブルク支部が秋葉忠利前広島市長に、2013年の「オットー・ハーン平和メ
    ダル」を授与

17日 広島平和文化センターが、原爆資料館の12年度の入館者数を128万297人と発表。11年度に比べ5・5%
    増。東日本大震災などの影響で半減した外国人入館者が回復し、3年ぶりに増加

18日 日本被団協などが、原爆症認定制度の抜本改正を求める集会を国会内で開催。7党・政治団体の国会議員に
    支援を要請

20日 原爆で校舎が全壊し、戦後間もなく廃校になった広島陸軍偕行社付属済美国民学校の同窓生が広島市中区
    で会合。当時の記憶を語り合う

21日 東京都在住の被爆2、3世の「東京被爆二世の会」が結成総会を開く

22日 15年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会がスイス・ジュネーブの国連欧州本部
    で開幕。NPT再検討会議を15年4月27日~5月22日に米ニューヨークで開くことを決める

22日 中国の12年版国防白書で、核兵器の「先制不使用」政策が明記されていないことが判明

24日 NPT再検討会議の第2回準備委で、南アフリカが核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明を発表。賛同
    74カ国。米国の提供する「核の傘」への影響を懸念する日本は加わらず、被爆者たちが現地で抗議のデモ行
    進

26日 核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明に日本が賛同しなかった問題で、岸田文雄外相は衆院外務
    委員会で「わが国の安全保障環境を鑑みた結果」と述べる

5月

 1日 平和記念公園の「原爆の子の像」の建設母体「平和をきずく児童、生徒の会」の募金呼び掛けビラなどを、モデ
    ルとなった佐々木禎子さんの同級生が原爆資料館に寄贈

 2日 核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第2回準備委が、2017年以降の準備委開催地を協議。日本政府は広
    島市を挙げ、誘致に前向きな考えを示す

 3日 NPT再検討会議の第2回準備委は核兵器の非人道性の再確認などを盛り込んだ総括文書を発表し、閉幕

13日 広島市が原爆ドームの耐震性の詳細調査を始める。建物の一部から試料を抜き取るのは96年の世界遺産登
    録後、初めて

17日 24カ国の赤十字社・赤新月社と赤十字国際委員会(ICRC)などが広島市南区で開いた国際会議は、「核兵器
    は人道の理念に反する」との主張を広めることを柱とする行動計画をまとめ閉幕

18日 広島市中区の広島国際会議場で開かれたロータリー世界平和フォーラムが、平和的手段による紛争解決など
    を求める「ひろしま平和宣言」を採択

20日 韓国紙の中央日報が広島、長崎への原爆投下を「神の懲罰」とするコラムを掲載

23日 茨城県東海村の日本原子力研究開発機構の加速器実験施設「J―PARC」で放射性物質が管理区域の外に
    漏れる

25日 中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンター設立5周年記念シンポジウムが、広島国際会議場で開催される

28日 広島県被団協(坪井直理事長)は被爆70年に向け、被爆者に呼び掛けて後世に伝えたい一言を短冊に書き
     残す取り組みを始めると決定

29日 福島第1原発事故を受け中断していた日本とインドの原子力協定交渉の再開が決まる。安倍晋三首相とシン
     首相が会談し、原発輸出を視野に交渉を加速することで合意

30日 原爆資料館と原爆ドームが、世界最大の旅行口コミサイトがまとめた外国人に人気の国内観光地ランキングで
    2年連続の1位と判明

6月

 2日 病棟の改修を進めている広島市中区の広島赤十字・原爆病院が、旧本館の被爆窓枠のモニュメントを、正門
    脇から近くの日本赤十字社県支部に移設▽原子爆弾後障害研究会が広島市中区であり、広島大原爆放射線
    医科学研究所(原医研)の大滝慈教授が、広島で被爆時10~44歳の人は「残留放射線の影響により、がんで
    死亡するリスクが高まったとみられる」と報告

 3日 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が2013年版年鑑を発表。1月時点の世界の核兵器
    は米ロの削減などにより推定約1万7265個で減少傾向が継続。核保有5大国では中国だけが増加と分析

 4日 日本被団協が東京都内で定期総会。社団法人日本被団協中央相談所(東京)を11月に解散し、相談業務を
    日本被団協事務局で続ける方針を報告

 6日 非政府組織(NGO)ピースボートが核廃絶を訴える被爆者の「証言の航海」に同行する「おりづるユース特使」
    に呉市出身の早稲田大生瀬戸麻由さんを選ぶ▽被爆者の姿を再現した人形を原爆資料館から撤去する
    広島市の方針に反対する1700人分の署名が資料館に提出される

10日 原発建設や医療現場での放射線利用が進むアジアの研究者向けの被曝医療の研修会が広島市中区で始ま
    る。放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)と国際原子力機関(IAEA)が初めて企画

16日 連合、原水禁国民会議、核禁会議の3団体主催で毎年8月に開いていた平和ヒロシマ大会が、原発をめぐる路
    線対立で規模を大幅に縮小されることが判明

18日 放射線影響研究所(放影研)が、保管する被爆者の血液や臓器をデータベース(DB)化する作業に14年から
    取り掛かる方針を表明

19日 米国のオバマ大統領がロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)に基づき1550発まで減らす配備済み戦
    略核弾頭を、さらに最大3分の1減らし千発水準にする用意があると発表

25日 原爆ドームの壁から抜き取った試料の強度分析が、大阪府吹田市の日本建築総合試験所で始まる

27日 広島市立大広島平和研究所が核兵器廃絶の課題など探る「核・軍縮研究会」を設立

29日 平和記念公園を設計した丹下健三の51年時点の設計図が、原爆資料館であった丹下の生誕100周年シンポ
     ジウムで披露される

(2013年12月31日朝刊掲載)

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