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連載・特集

被爆地の願い広がる輪 公益財団法人ヒロシマ平和創造基金「平和サポーター制度」

 被爆地広島から平和な社会と核兵器廃絶の実現に向けた発信を拡充させようと、公益財団法人ヒロシマ平和創造基金(理事長・岡谷義則中国新聞社社長)が今年創設した「平和サポーター制度」。1都2府11県の421人・法人が賛同し、211万7333円の寄付が集まった(5日現在)。全額、基金が取り組む平和・国際交流活動に充てられる。事務局は「皆さんのご支援を基に広島からの平和発信をさらに強めていきたい」と協力を呼び掛けている。賛同者のうち5人に、期待や思いを聞いた。(二井理江、増田咲子、安道啓子)

広島・長崎が世界動かす

前広島平和文化センター理事長で広島女学院大客員教授 スティーブン・リーパーさん(66)=広島市東区

 「被爆地広島といっても、平和や核廃絶について無関心な人が多いのが現実。そんな中、平和のためにみんなで協力しよう、という取り組みを今するのは、本当に素晴らしい」。広島平和文化センター理事長を務めた経験から、サポーター制度について、そう話す。

 というのも、核兵器の廃絶実現に向けて重要な時期と位置付けるからだ。メキシコで先月開かれた核兵器の非人道性に関する国際会議で、来年の被爆70年に核兵器禁止条約を作ろう、との議長総括が発表された。

 「150カ国は条約に賛同するだろう。日本はどうするのか。平和のリーダーになるのか、軍事国になるのか。軍事力を高めれば平和が保てるというのは、レベルの低い考え方だ」と指摘する。

 政府を、そして世界を動かすには、キャンペーンが必要とみる。それには、広島、長崎が訴えるのが最適だという。「飲酒運転撲滅キャンペーンだって、飲酒運転している人はやらない。被害を受けた人が始める。なら、核廃絶キャンペーンは広島、長崎がやらなきゃ」と訴える。

 サポーター制度で集まった寄付金も、広島、長崎両市と連携して、核兵器廃絶キャンペーンに活用しては、と提案する。

 「広島、長崎両市が核兵器禁止条約を作ってもいい。それを持って、約6千都市が加盟する平和首長会議のメンバーと一緒に、その国のトップに会い、条約にサインしてもらう、というのはどうだろう」

命とは…ゲンと考える

漫画家中沢啓治さんのドキュメント映画を制作した被爆3世 渡部久仁子さん(33)=広島市安佐南区

 2011年に完成した映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」の制作プロデューサーを務めた。自らの被爆体験を基に描いた「はだしのゲン」で知られる広島市出身の漫画家、中沢啓治さんのドキュメンタリーだ。

 踏まれても踏まれても、立ち上がる麦のように強く生きたゲン。12年12月に73歳で亡くなった中沢さんの生き方とも重なる。「戦争や原爆の悲惨さはもちろん、命とは何かを考えるきっかけにしてほしい、との願いを込めた」

 平和サポーターへの思いとも共通する。「市民一人一人が原爆について考えるきっかけになる。みんなで平和を築いていこうという思いも共有できるはず」。賛同の広がりに期待する。

 被爆地広島で何をしていくべきか、道を示してくれたのが中沢さんだった。海外で人のために働きたいと思った20代前半。訪れたカンボジアで貧困や虐待に苦しむ子どもたちを目の当たりにして国際協力の難しさを痛感。2カ月半ほどで帰国した。抱え続けていた悩みを聞いてくれた中沢さんから「自分なりの方法でやればいい」と諭された。視界が晴れた気がした。

 中沢さんが亡くなるまで訴えていた核兵器廃絶や戦争反対の思いを世界に届けようと、13年春には映画の英語字幕版を完成させた。広島の子どもたちにも伝えていきたいと、ゲンが「あの日」にたどった足取りを追うフィールドワークも開催した。「平和サポーターの一人として、核兵器のない平和な世界を実現するため、一緒に考え、行動する人の輪を広げたい」

芸術でつながりたい

彫刻家 ゼロ・ヒガシダさん(55)=東広島市八本松東

 「平和はいつでも実現可能なものである」。米国の劇作家エドワード・オールビーの言葉を胸に制作を続けてきた。幼い頃からの平和教育や母親に聞かされた被爆体験が自然に心に染みた。海外留学で心の中にあった種が芽を出し、花を咲かせ実を付け始めている。

 被爆2世。原爆の子の像(広島市中区)のモデルになった佐々木禎子さんは幟町中(同)の先輩。平和や戦争への思いを伝えていくのが運命なんだと思う。

 寄付金は、純粋にアートに向き合っている人のために役立ててほしい。将来、広島で芸術オリンピックを開いてもらいたい。芸術に言葉の壁はない。心と心でぶつかり合える。国際間の摩擦を乗り越え、向き合うことができるはずだ。

 58年広島市南区生まれ。鉄や木を用いた作品を手掛ける。東京芸大大学院修士課程を修了後、渡米。08年、第10回KAJIMA彫刻コンクール金賞。

原爆は絶対悪 発信を

被爆者 田中稔子さん(75)=広島市東区

 6歳の時、爆心地から約2・3キロの牛田町(現広島市東区)で閃光(せんこう)を浴び、頭や腕をやけどした。2008年から被爆証言を始め、核兵器のない世界をつくろうと米国など海外でも訴えてきた。世界には原爆に無関心な人が多いのも事実。原爆は絶対悪だと伝えていかなければいけない。

 「平和はつくり出すもの」と理解してもらうためにも、被爆地広島からのメッセージがますます重要になる。平和サポーター制度を通じ、被爆者の願いを世界にたゆまず発信してもらえるよう期待している。

 38年広島市中区生まれ。七宝作家として反核平和の祈りを作品に込めている。

生き証人を絵で残す

アマチュア画家 藤登弘郎さん(78)=広島市安芸区

 銀行退職後に始めた水彩画で被爆建物や被爆樹木を描いている。被爆体験が風化する中、継承の必要性を感じているからだ。被爆建物は「原爆の生き証人」だが、老朽化などで次々に姿を消している。原爆の惨禍をくぐり抜け、力強く生きる姿が人々に勇気を与えている被爆樹木も、枯れてしまう木がある。絵を通して後世に残したいという気持ちで絵筆を握っている。

 平和サポーター制度は、被爆地広島の平和への思いを継承し、世界から争いをなくしていこうという取り組み。期待したい。国内外の一人でも多くの人に、賛同の輪が広がってほしい。

 36年呉市安浦町生まれ。家族のうち広島市内の学校に通っていた2番目の兄が被爆。けがはなく、健在。

平和サポーター賛同者募る
 ヒロシマ平和創造基金は平和サポーターの賛同者を、幅広く国内外の個人や法人から募っている。寄付金は3千円以上。10日から始まるインターネットでのクレジットカード決済のほか、平日に基金事務局(広島市中区土橋町7の1、中国新聞ビル8階)に持参するか、最寄りの銀行から振り込む。広島銀行と、もみじ銀行で専用振込用紙を使った場合は、振込手数料が無料になる。用紙は、中国新聞本社支社総局や中国新聞販売所などで入手できる。

 専用口座は次の通り。

 広島銀行本店営業部(普通)3943411
 もみじ銀行本店  (普通)3889785

 問い合わせは、基金事務局Tel082(234)0061(月―金曜の午前9時半~午後5時半、土日祝日は休み)。

クレジット決済 10日からOK
 平和サポーター制度の賛同者募集に、インターネットでのクレジットカード決済が10日から導入される。国内外から幅広く寄付を寄せられるようになった。

 パソコンやスマートフォン、タブレット端末などからヒロシマ平和創造基金のホームページにアクセスして、クレジットカードで寄付金を振り込めば、自宅からでも手続きができる。ホームページhttp://www.hiroshima-pcf.or.jp/

(2014年3月6日朝刊掲載)

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