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フクシマとヒロシマ3年 <下> 補償の行方 「援護法」 救済モデルに

 2月下旬、雪が残る福島市内の仮設住宅。福島県飯舘村からの避難者たちがこたつを囲み、しみじみ語り合っていた。「『帰れない』っていう諦めが進んだなあ」。福島第1原発事故による放射能汚染でいまなお、全村避難が続く。

 村民グループ「負げねど飯舘!!」事務局の菅野哲さん(65)はこの少し前、「居住制限区域」の自宅の様子を見に戻っていた。部屋はカビだらけで、水回りはさびて使えない状態。除染も遅れており、帰村の気持ちがなえていくのを感じた。

 「負げねど」メンバーの渡辺富士男さん(60)は「除染が済んでも、納得して帰村できる放射線量に下がるにはさらに年月がかかる。除染より、避難先での生活再建にお金を回してほしい」と訴える。

 メンバーはいま、納得できる線量に下がる前に村が「帰村宣言」するのを恐れている。避難が「自主」扱いになり、いずれ東京電力の補償金が打ち切られるからだ。国策でできた原発の事故で古里を追われた被災者への補償は、国がもっと前面に出るべきだとの声もあるが、原子力損害賠償法でも、国の負担は1原発当たり1200億円にとどまる。

 将来の健康と生活に不安が募るメンバーは、国による医療費免除や最大で月約13万円の手当を可能にした被爆者援護法を、被災者が必要とする救済制度の一つのモデルとして着目する。

 菅野さんは昨夏、広島市を訪ね、専門家たちから「国はなかなか因果関係を認めない。将来に備え、記録を残しておくべきだ」などと助言を受けた。今は会報などで健診データの保管などを呼び掛けている。

 国の被爆者対策を方向付けた原爆被爆者対策基本問題懇談会の意見書(1980年)では、戦時中の被害は受忍すべきだが放射能被害だけは特別とし、広島・長崎への国による補償につながった。秋葉忠利前広島市長は「平時に起きた放射能被害はなおさら国が補償すべきだ。自治体、特に福島県が先頭に立つべきだ」と強調する。

 だが、菅野さんには「行政は個人への補償より、自治体の人口回復ありきで土地の除染を優先している」と映る。被災者の中でも意見が分かれ、国に補償を求める動きは、福島では大きなうねりにはなっていない。

 広島大平和科学研究センターの川野徳幸教授は「広島・長崎は超党派で団結し、毎年の式典でかたくなに核廃絶と援護施策の充実の訴えを発信してきた」と指摘。「福島県民が一丸になるしかないが、被爆者が権利を得たプロセスをもっと知ってもらえば参考になるはずだ」と提案する。(馬場洋太)

(2014年3月8日朝刊掲載)

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