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連載・特集

3・11後を撮って <中> 記録映像作家 青原さとしさん 「土徳流離」 真宗移民 仏像の「記憶」

 手のひらほどの阿弥陀(あみだ)如来像。顔や体はすり減り、重ねた歳月を物語る。制作中の映画「土徳流離(どとくりゅうり)」の一場面。福島県東部の相双(そうそう)(相馬双葉)地方を主舞台に撮影が続く
 仏像の傷みは、人々が懐に入れて長旅をしたから。江戸時代、大飢饉(ききん)で人口が激減した相双地方の相馬中村藩は、北陸などから浄土真宗門徒の移民政策を進めました。門徒たちは故郷を忘れまいと仏像を携え、禁制をくぐり、福島へ。それから200年。彼らの子孫を地震と津波、福島第1原発事故が襲ったんです。

 津波を免れた仏像と出合い、真宗移民の「土徳」を感じました。土徳とは、真宗地域に伝わる理念で、生まれ育った土地に培われたあらゆるものからの恩恵。これを支えに新天地へ溶け込み、飢饉で荒れた田畑を復興させたんです。

 その地が今、原発の放射能汚染に揺れている。内陸の福島市やいわき市への避難が続き、不安を抱えながら古里に残って暮らす人もいます。証言を聞くと、決まって故郷の話になる。土徳って、復興のよりどころの一つになるんじゃないかと思う。映像という目に見える形で伝えたくて、相双地方の真宗移民の歴史と文化を追い掛けています。

 撮影は震災から1年半後の2012年9月にスタートした
 きっかけは、同じ浄土真宗で実家の真光寺(広島市中区)の原爆被災と復興を追った映画「土徳~焼跡地に生かされて」(03年)を相双地方で上映したことでした。富山県南砺市の真宗寺院住職、太田浩史さんが橋渡しをしてくれて。真宗移民史も教わりました。実は震災直後、友人に被災地訪問を誘われたけれど、目的もなく行きたくなかった。僕はこれまでジャーナリストとしてではなく、そこに生まれた縁で映画を作ってきた。でも最初は緊張して。カメラを回していいか、何を聞こうか、と。

 津波にのまれた集落は今も焼け野原のような光景が広がっています。さらに放射能汚染。被爆地広島と重ねる人も多い。震災から何年たっても、相双地方の人たちが「3・11」を忘れることはない。広島の被爆者が決してあの日を忘れないように。

 被災地入りは15回。撮影は100時間を超えた
 いつも何かを気付かされる。伝統の祭り「相馬野馬追(のまおい)」もそうでした。勇壮な騎馬が集い、「国歌斉唱」の号令がかかる。響きわたるのは民謡「相馬流れ山」。息づく相馬のクニ意識を感じましたね。

 真宗門徒が多く住み、津波が襲った南相馬市・北萱浜(きたかいばま)の稲荷(いなり)神社では、社殿を修復し、獅子頭も新調して、近く神楽を舞うそうです。自治体合併などで町や村の境界が薄らぐ中でも、地域には分厚い歴史と文化がある。それが次の一歩の活力になると思う。震災復興は除染や建物の再建で終わりではありません。

 撮影は今秋まで。完成は来年2月の予定だ
 旧相馬中村藩34代当主の相馬行胤(みちたね)さんは、広島の山あいに家族で移住し「ここにリトル相馬をつくろう」と農業に励んでいます。何年かかろうとも故郷を忘れず、帰郷するために。だからこそ、相双地方に育まれた営みや歩みを映像に記録しておきたい。希望や喜びにつながる手助けになればと思う。(聞き手は林淳一郎)

あおはら・さとし
 1961年広島市中区生まれ。88年、民族文化映像研究所に入所。2002年からフリー。作品に「望郷―広瀬小学校原爆犠牲者をさがして」など。安佐南区在住。

(2014年3月12日朝刊掲載)

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