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連載・特集

緑地帯 「アトム書房」を歩く 山下陽光 <7>

 筆者は長崎市で生まれた。ふと考えるのは、もし長崎に原爆が落とされていなかったら、自分は生まれていただろうかということだ。長崎が無傷で、戦後もっと人がひしめいていたら、果たして両親は出会えただろうか?

 原爆は、広島、長崎ではなく新潟や小倉に落とされていた可能性だってある。そう考えると、新潟や小倉出身の友人は生まれていなかったかもしれない。

 東日本大震災の時に東京にいて、初めて大きな地震を体験した。自分は生きているというより、生かされているんだと気が付いた。生かされたことを喜び、しぶとく生き抜いて、原爆、原発ふざけんなと声を上げていく。これは、亡くなられた方に不謹慎な考えだろうか?

 福島第1原発事故の放射能が怖くて、広島に一時避難した。その時に入った食堂で、居合わせた地元の人に「避難するなんて大げさだ、広島は原爆で何万人も亡くなった、原発事故で人は直接亡くなってないだろ」と言われ、悲しかった。「ヒロシマは特別だ」と身構えている感じがした。

 勝手な期待かもしれないが、ここは被爆と被曝(ひばく)を生き抜いた先輩面で「大丈夫、とにかく飛び込んでこい!」と余裕をかましてほしかった。

 アトム書房や周辺のことを調べて回ったのは、真面目で悲しい顔をしないと原爆を語れないような雰囲気を何とかしたいという思いもあった。アトム書房の不謹慎な存在感に対しては、不謹慎な態度で調査することが、最大の敬意ではないかと思う。(アーティスト=長崎県諫早市)

(2014年3月12日朝刊掲載)

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