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ヒストリー

ヒロシマの記録2006 3月

2006/3/1
第五福竜丸事件から丸52年を迎え、母港だった静岡県焼津市などでビキニデー集会
2006/3/2
インド訪問中のブッシュ米大統領が、シン首相と会談、両国間の戦略的関係を強化し、焦点だったインドの原子力発電などに米の核技術を提供する協力実施で合意
2006/3/8
広島県被団協(坪井直理事長)が理事会で、被爆から県被団協結成の56年まで、10年間の被爆者の暮らしぶりなどを問う、5000人規模のアンケート実施を決める
2006/3/10
爆心地に最も近く約400人が亡くなった本川小(中区)が被爆に耐えたソメイヨシノの苗木を植樹。
2006/3/14
日本被団協の呼び掛けに応えて、広島市など全国の被爆者計30人が、原爆症認定を求める申請書を各自治体の窓口に提出
2006/3/15
原爆投下直後の1945年8、9月に広島市に入った報道カメラマン2人の写真展が原爆資料館で始まる。旧日本軍と連合国軍総司令部(GHQ)の報道統制で当時は公開できなかった病院や救護所など惨状を示す写真も
2006/3/15
チェルノブイリ原発事故の影響を総括してIAEAなど国際機関と関係3カ国が05年9月にまとめた報告書について、ベラルーシ政府が将来のがん発生の可能性など「健康影響について結論を急ぎすぎている」と不満を表明、内容の変更をIAEAに提案していたことが判明
2006/3/17
米英が2月に共同で行った臨界前核実験を受け長崎市が送った抗議文に、米側が「実験は必要」との返事をシーファー駐日米大使名で出していたことが判明
2006/3/18
反戦反核の思想を貫いた原爆詩人、栗原貞子さんの没後1周年を記念する企画展「栗原貞子とその周辺―追悼ヒロシマの詩人」が、中区の市立中央図書館で始まる
2006/3/22
臨界前核実験を共同実施した米、英両国首脳に抗議文を送った広島市と長崎市に対し、英外務省のキム・ハウェルズ閣外相からの返事が届いていたことが判明
2006/3/25
被爆間もないころ中区基町の本川河岸に植えられ、台風で倒れたポプラの二世が、東京都中野区の平和の森公園に植樹される。ヒロシマの人間模様を描く漫画家こうの史代さん=広島市西区出身=が協力して実現
2006/3/29
広島市立大(安佐南区)の学生と被爆者が共同制作した「原爆の絵」4点が完成し、市平和文化センターに寄贈
2006/3/29
原爆資料館を定年退職する畑口実館長が市役所で会見
2006/3/31
被爆者の高齢化による遺品や手記の散逸防止を目的に、広島、長崎両市にある原爆資料館と国立原爆死没者追悼平和祈念館の計4館が初めて共同展開した全国収集キャンペーンが、1年8カ月余の期間を終える
2006/3/31
青森県六ケ所村の日本原燃再処理工場で、使用済み核燃料を操業と同じ工程で処理する試運転(アクティブ試験)が始まる。プルトニウムを抽出する民間初の再処理工場は、07年8月操業を目指し実質上の運転を開始
2006/3/31
原爆ドーム近くで建設中の14階建てマンションをめぐる問題で、住民団体「世界遺産『原爆ドーム』の景観を守る会」が、業者に計画変更、市には新築建物の高さ制限導入を求める街頭署名を始める方針を決める。秋葉市長は、高さについて再考を求める文書を業者に送る

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