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ヒストリー

ヒロシマの記録2004 5月

2004/5/6
日本原水協などの国民平和大行進の第1陣が、東京・夢の島の第五福竜丸展示館前を出発
2004/5/6
秋葉広島市長が、カナダの4大学との間で「広島・長崎講座」の05年春開設で合意したと表明
2004/5/6
スイス・ジュネーブ郊外で、原爆投下直後の広島に大量の医薬品15トンを届けた故マルセル・ジュノー博士の生誕100年記念展示が始まる
2004/5/7
NPT再検討会議の第3回準備委員会が、核軍縮・不拡散をめぐり実質的な合意が成立しないまま閉会
2004/5/10
1960年代に米政府の軍備管理軍縮局が、日本は70年代初頭に年間で最大30個の核を製造する能力を持つとの機密報告書をまとめていたことが判明
2004/5/11
在外被爆者からの被爆者健康手帳の事前審査申請が2003年秋以降、広島県に集中していることが判明。審査に時間がかかる広島市を避けたためとみられる
2004/5/11
原爆投下直後の廃虚の広島から「原爆の火」を持ち帰った福岡県星野村の山本達雄氏が死去、88歳
2004/5/12
戦後に呉市に進駐した英国海軍の元兵士と遺族が、原爆投下後の広島市内で拾った陶器や放射線防護用として軍から支給された手袋などを呉市を通じて原爆資料館に寄贈
2004/5/12
米政府核安全保障局のブルックス局長が米ワシントンでの講演で「(核実験の再開に)ためらいはない」と言明
2004/5/17
国際平和貢献のノウハウ蓄積のため、広島県が国際人道支援組織「ジャパン・プラットフォーム」の評議会事務局(東京)に職員1人を派遣する方針
2004/5/19
広島地裁での原爆症認定集団訴訟の口頭弁論で、国が認定審査の議事録を作成していないことが明らかに
2004/5/19
カザフスタンのボラト・ヌルガリエフ駐日大使が広島市内で講演し、セミパラチンスク核実験場周辺の健康被害を説明
2004/5/20
有事関連7法案が衆院本会議で可決され、広島市内で抗議の座り込み
2004/5/21
次期国連総会議長を務めるガボンのジャン・ピン外相が原爆資料館を見学
2004/5/24
原爆慰霊碑の原爆死没者名簿を取り出し、湿気を取り除く風通し
2004/5/25
「原爆1号」と呼ばれた被爆者の故・吉川清さんが1954年にインドのネール首相から受け取った書簡が原爆資料館に贈られ、館内に展示される。首相は「原水爆を二度と爆発させてはならない」
2004/5/25
米国がネバダ州で通算21回目の臨界前核実験。ブッシュ政権下で8回目
2004/5/26
米国の臨界前核実験に抗議し、原爆資料館東館にある地球平和監視時計の「最後の核実験からの日数」をゼロにリセット。秋葉広島市長は抗議文。被爆者団体などは原爆慰霊碑前で座り込み
2004/5/26
広島県被団協が総会で、藤川一人理事長が顧問に退き、後任に事務局長の坪井直氏の就任を決める
2004/5/27
原爆投下直後に多数の負傷者が運ばれた広島市南区の似島で、市の試掘調査で人骨11点が見つかる
2004/5/28
スウェーデンでの多国間組織「原子力供給国グループ(NSG)」の総会が、中国などの新規加入を承認して閉幕
2004/5/31
市民団体「元大正屋呉服店を保存する会」と「原爆遺跡保存運動懇談会」が広島市に、平和記念公園の被爆建物である市レストハウスの保存を文書で要望
2004/5/31
平和記念公園内の原爆供養塔の納骨堂が漏水しているため市が補修する方針

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