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ヒストリー

ヒロシマの記録2002 2月

2002/2/2
広島市でインド映画「戦争と平和・非暴力から問う核ナショナリズム」上映。アナンド・パトワルダン監督が反核を訴える
2002/2/6
被爆米兵捕虜の遺族の存在を広島市の歴史研究家、森重昭さんが突き止め、捕虜の名前を原爆死没者名簿に登載するよう広島市に代理申請。ノーマンド・ブリセット三等兵曹で7人目
2002/2/9
原爆資料館などで若者たちが被爆体験の意味を考える「平和のキャンパス」が始まる。留学生8人も参加
2002/2/12
広島市が02年度当初予算案を発表。「広島・長崎講座」の開設準備や国内ジャーナリスト研修など内外に被爆体験を発信する新規12事業を盛り込む
2002/2/13
広島市が、原爆ドームの内壁の下部を覆っている土を取り除く作業を始める。内壁が土に含まれる水分の影響をどの程度受けているかを調べるため
2002/2/14
米ネバダ州の地下実験場で、英との合同による臨界前核実験。英は初、米は通算16回目
2002/2/15
原爆資料館にある地球平和監視時計の「最後の核実験からの日数」が「0」にリセット。01年8月の設置以来3回目
2002/2/15
米英共同の臨界前核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で広島県被団協(藤川一人理事長)や県原水禁などが座り込み。県被団協(金子理事長)や県原水協なども
2002/2/15
米英の臨界前核実験に、秋葉忠利広島市長と藤田雄山広島県知事がそれぞれ、ブッシュ米大統領とブレア英首相に抗議文を送る
2002/2/15
広島大原爆放射能医学研究所(原医研)が広島市でシンポジウム「セミパラチンスクにおける放射線影響研究とその展望」開催。カザフスタンから医学以外で初めて歴史学者を招き、核実験被害について講演
2002/2/15
ブッシュ米大統領が、原発の高レベル放射性廃棄物などの地下処分場をネバダ州ユッカマウンテンに建設すると発表。約100年かけて7万トン以上を運び込む計画
2002/2/16
ヒロシマを題材にした美術作品と被爆資料を展示した「ヒロシマをみる」が広島市現代美術館で始まる
2002/2/17
原爆の子の像前で折り鶴約5万羽が焼失。放火の可能性が高い。不審火は7回目で94年6月以来
2002/2/18
1925年に架設され、被爆した広島市南区の愛宕跨線橋の架け替えが決まり通行止めに
2002/2/19
広島市が、原爆の子の像の周辺にビデオカメラを設置し警備強化
2002/2/19
広島の被爆者や市民団体有志がベトナム・ホーチミン市で初の原爆写真展を開催
2002/2/20
核兵器研究を進める米のローレンス・リバモア国立研究所で建設中の実験装置に、日本のガラスメーカーHOYAの現地法人が特殊ガラスを納入している問題で、原水禁国民会議などが同社に納入中止を求める約32万人の署名を提出
2002/2/21
脚本家の早坂暁さんが、原爆資料館所蔵の「市民が描いた原爆の絵」を陶板画の碑にして広島市内に建立する運動を始めると発表
2002/2/27
「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」を発行する米の科学者組織が「終末時計」の針を2分進め、世界滅亡の7分前の午後11時53分に設定
2002/2/28
48年目のビキニデーを前に日本原水協が静岡市で国際交流会議
2002/2/28
ベトナム戦争中の72年4月、ニクソン米大統領が北ベトナム(当時)への核攻撃を提案していたことが、米国立公文書館が発表した肉声の録音テープで判明

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