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ヒストリー

ヒロシマの記録2002 9月

2002/9/1
「黒い雨」の指定地域から外れている広島市佐伯区の住民たちが、地域拡大などを求めて「黒い雨の会」を結成
2002/9/1
広島の爆心地の惨状を撮った写真家の林重男氏が死去、84歳
2002/9/2
広島市で日本ジャーナリスト会議広島支部主催の「不戦のつどい」
2002/9/5
被爆画家増田勉さんの作品がローマ法王ヨハネ・パウロ2世に贈られることになり、広島市で作品展が始まる
2002/9/5
秋葉広島市長がモスクワで、核兵器廃絶や被爆地への訪問を求めるプーチン大統領あての要請文を露政府に手渡す
2002/9/6
全国の被爆者63人が原爆症の認定を求め、15都道県の自治体窓口に一斉に申請。日本被団協の集団申請第2弾
2002/9/6
山口のヒロシマデー。山口市での原爆死没者追悼・平和式典に400人参列
2002/9/9
広島に投下された原爆の爆心地が現在地の西約16メートルだったことが放影研の調査で判明。爆心地推定に使ってきた米陸軍地図に、ずれがあったため
2002/9/11
米中枢同時テロから1年。広島県原水禁などは原爆ドーム前に座り込み。県原水協や県被団協(金子理事長)などは市中心部をデモ行進。秋葉市長はニューヨーク市長に追悼メッセージを送る。原爆資料館では「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が集会開催
2002/9/11
広島県がシンポジウム「21世紀平和を創り出す地方自治体の役割」を広島市内で開催
2002/9/11
露を訪問した秋葉広島市長が市役所で帰国会見し、モスクワ市長からチェルノブイリ原発事故被曝者と広島の被爆者によるシンポジウム開催の提案があったと説明
2002/9/11
広島、長崎の被爆者が浴びた放射線量の推定方式「DS86」を再検討する「日米合同線量実務研究者会議」が放影研で始まる。12日に新たな推定方式「DS02」の策定で合意し閉会。原爆の爆発高度を580メートルから600メートルに修正
2002/9/11
広島への原爆投下の約15分後とみられる「きのこ雲」の写真5枚が、撮影者の小平信彦さんから原爆資料館に提供される。金輪島から撮影
2002/9/14
広島市で中国新聞社の「原爆報道展」が始まる。22日まで
2002/9/14
近畿大非常勤講師金松伊さんが漫画「はだしのゲン」全10巻を7年がかりで韓国語に翻訳
2002/9/14
川口外相がオーストラリア、オランダ両国外相と共同し、国連本部で計18カ国の外相、外相代理による会合を開催、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早急な署名と批准を求める共同声明を発表
2002/9/15
広島修道大で「全国平和教育シンポジウム」。初めて「被爆体験の継承」をテーマにした特別分科会を設置。16日まで
2002/9/17
広島市内に残る被爆建造物が相次いで取り壊されているため、原爆遺跡保存運動懇談会が保存方策の抜本的な見直しを市に要請
2002/9/20
広島市が平和大通りの新世紀リニューアル事業で、車道を現行の片側2車線を3車線に拡幅し、増設車線はバスや二輪車の走行支援レーンにする方針
2002/9/20
米中枢同時テロから1年のニューヨークなどを訪れ、被爆体験を語った松原美代子さんが広島市役所で帰国報告
2002/9/20
10月の「第11回日米草の根交流サミット」に参加予定だった故ノーマン・カズンズ氏の長女アンドレアさんが来日できなくなり、代理に笹森恵子さん
2002/9/24
原爆で亡くなったろう者を慰霊するため、広島市の県立広島ろう学校の卒業生たちが校庭に碑の建立を計画。03年夏の除幕を目指す
2002/9/26
パグウォッシュ会議が被爆60周年の05年に被爆地で核兵器廃絶を討議する国際会議を開催する意向が判明
2002/9/26
米原子力規制委員会(NRC)がテネシー渓谷開発公社(TVA)に、水爆の核融合反応に欠かせないトリチウムの製造免許
2002/9/26
米がネバダ州の地下実験場で臨界前核実験を実施。97年以来、通算19回目。ブッシュ政権下で6回目
2002/9/27
原爆資料館にある地球平和監視時計の最後の核実験からの日数表示が「0」に戻される。前回の実験から28日と最短
2002/9/27
秋葉広島市長と藤田広島県知事がそれぞれ、臨界前核実験への抗議文をブッシュ米大統領に送る。広島県原水協や県被団協(金子理事長)などが原爆慰霊碑前で座り込み。県被団協(藤川理事長)や県原水禁、連合広島などは原爆資料館下で座り込み。日本被団協はブッシュ大統領あての抗議文を米大使館に提出
2002/9/28
中央アジア5カ国が中央アジア非核地帯条約調印で合意
2002/9/30
広島市立大広島平和研究所が市内で初の市民向け研究成果発表会を開催

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