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ヒストリー

ヒロシマの記録2000 12月


2000/12/4
二井関成山口県知事が、中国電力上関原発建設計画に関し、安全性確保を前提に原発の必要性に初めて言及
2000/12/5
広島市の平和記念公園内の原爆の子の像に寄せられた千羽づるを雨などから守る屋根付き施設のデザイン案が決まる。ガラス張りで像を中心に半円上に配置
2000/12/6
「原爆の火」を手に、東京から歩き続けてきた米先住民族の平和運動家トム・ダストウさんたち「ピースウオーク」参加者約40人が、広島市の平和記念公園に到着。慰霊碑前で平和の祈り
2000/12/6
広島県の原水禁、原水協、2つの県被団協の役員や大学教授、弁護士たちが広島市内で会合を開き、「核兵器のない21世紀をめざすヒロシマの会」設立を申し合わせる。2001年春発足を目標に、市民に参加を呼び掛ける
2000/12/11
広島市の元安川周辺で、竹筒2、001個を燭 (しょく)台にしてろうそくに灯をともすセレモニーと灯ろう流し。市民グループの主催で、原爆犠牲者の鎮魂と新世紀の平和を祈願
2000/12/13
広島市立大広島平和研究所の所長に、南山大総合政策学部教授の福井治弘氏が内定し、広島市役所で記者会見。「世界水準の研究所をめざす」と抱負。平和研所長は、初代所長だった明石康・元国連事務次長が都知事選立候補で辞職して以来、1年10カ月にわたり空席だった
2000/12/14
決着が長引いていた米国の新大統領にブッシュ氏決まる。8年ぶりの共和党政権。広島の被爆者たちは「核軍縮に指導力を」と注文
2000/12/14
米エネルギー省がネバダ州の地下実験場で臨界前核実験。通算13回目、今年5回目で、米国が97年に臨界前核実験を始めて以来、年間最多
2000/12/15
旧ソ連時代史上最悪の放射能漏れ事故を起こし、多くの犠牲者を出したウクライナのチェルノブイリ原子力発電所が14年ぶりに全面閉鎖
2000/12/19
日本原子力発電東海第2発電所と東京電力福島第2原発の使用済み核燃料計約24トンを積んだ専用輸送船が青森県六ケ所村のむつ小川原港に入港。日本原燃の再処理工場貯蔵プールへの本格搬入は初めて
2000/12/22
広島市は、平和記念公園内にある「原爆の子の像に折りづるを寄せた個人、団体名を記録するデータベースの作成作業に、来年度 から取り掛かることを明らかにした
2000/12/23
政府は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の被爆者実態調査のため来年2月にも政府担当者と専門医などの調査団を北朝鮮に派遣する方針を固める
2000/12/26
秋葉忠利広島市長と、伊藤一長長崎市長が初めてそろって在日米国大使館を訪れ、21世紀を核兵器のない世紀とするよう文書で要請した

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