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ヒストリー

ヒロシマの記録1998 10月


1998/10/1
青森県六ケ所村への使用済み核燃料の初搬入に向け、東京電力福島第2原発(福島県富岡町、楢葉町)の専用港から輸送船「六栄丸」が出港
1998/10/1
韓国原爆被害者協会の郭貴勲元会長が、被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を帰国を理由に大阪府が打ち切ったのは違法として、府と国を相手取り、打ち切り処分の取り消しなどを求める訴訟を大阪地裁に提訴
1998/10/2
広島市とユネスコが、99年夏に開く「オーガスト・イン・ヒロシマ」の概要がまとまる。広島市内で約1カ月間コンサートを開催
1998/10/5
放射線影響研究所が、被ばく線量をめぐる施設案内パンフレットの記述に関し、広島県被団協(伊藤サカエ理事長)など3団体に、現行の被ばく線量推定式「DS86」の問題点に言及する修正案を示す
1998/10/6
藤田雄山広島県知事が、国連のアナン事務総長を訪ね、核軍縮推進を強く要請
1998/10/7
広島県内の被爆者7団体の代表が、広島市内で外務省の柳井俊二事務次官と懇談。柳井次官は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に住む被爆者の渡日治療について前向きの姿勢を示す
1998/10/7
外務省の柳井俊二事務次官が、パキスタンで日本政府主催の初の原爆展を開くことを発表
1998/10/8
使用済み核燃料の輸送容器に使われる中性子遮へい材の性能試験データ改ざんが分かり、科学技術庁が、輸送容器のデータについての調査が終わるまで、新たな使用済み核燃料輸送を認めない方針を明示
1998/10/10
高村正彦外相が、露の臨界前核実験についても容認する考えを表明
1998/10/12
広島大原爆放射能医学研究所の田中公夫助手が、広島市でのシンポジウム「放射線による生物影響」で、広島原爆の低エネルギー中性子線が、長崎では見られない白血病患者の多発や、小頭症の発症に関連がある可能性が出てきたと報告
1998/10/13
国連安全保障理事会が、イラクが査察再開に応じれば、IAEAの核査察を、抜き打ち的な査察から監視・検証活動に緩和する可能性を示唆
1998/10/15
中国新聞が、広島市の平和記念公園内に計画される国の原爆死没者追悼平和祈念館の建設予定地、旧天神町北組で爆死した163人の記録をまとめ、133人の遺影を掲載
1998/10/15
「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」が、米マサチューセッツ州のタフツ大で開幕。大学が主催し、広島・長崎両市が協力
1998/10/17
広島市の原爆資料館・広島国際会議場が、建設省創立50周年記念事業の「公共建築百選」に選ばれる
1998/10/21
国が95年に初めて募り、広島市がデータベース化を進める被爆体験記の入力件数が、作業開始から1年で2万件突破
1998/10/22
元中国新聞カメラマンの松重美人さんが、広島原爆の投下当日に撮影した写真など5コマのフィルムを中国新聞社に寄贈
1998/10/22
上関原発(山口県熊毛郡)建設を計画している中国電力が、予定地周辺海域の共同漁業権第107号管理委員会のうち、推進7漁協でつくる交渉委員会と初の漁業補償交渉を開催。反対派の祝島漁協は会場で「反原発」を訴える
1998/10/26
財団法人「ヒロシマ・ピース・センター」が、谷本清平和賞の受賞者に「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」元主宰者の故江口保さんを決定
1998/10/26
広島市が、99年度の主要事業に関する国への要望項目に初めて「国による原爆展の開催」を盛り込む
1998/10/26
日本が、核保有5カ国全体で核軍縮交渉に入るよう求める核廃絶に関する決議案を国連総会の第1委員会(軍縮)に提出
1998/10/28
広島平和文化センターなどが、インド、パキスタンの平和運動家を交えた「ヒロシマ・インド・パキスタン市民フォーラム」を開催。核実験を強行した両国の市民と被爆地が連帯して反核運動に取り組む必要性の声が相次ぐ
1998/10/30
広島大が、医学部付属病院の老朽化病棟の建て替えに伴い、医学資料館として活用している赤れんが造りの被爆建物を正門近くに移築保存することを発表
1998/10/31
広島県被団協(金子一士理事長)などが、広島市内の商店街で被爆者の写真や絵を紹介する「原爆と人間展」を開催

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