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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 6月 ①


1995/6/1
全農林労組青年部(菅野光一部長)が原爆慰霊碑前で座り込み集会。全国から約350人が参加、原爆被害の実態を学ぶ
1995/6/1
渡日治療で広島市西区の福島生協病院に入院中の韓国・釜山市の被爆者、厳粉連さん(65)が広島市役所を訪れ、在外被爆者として初めて被爆者援護法の特別葬祭給付金の請求手続きについて相談
1995/6/2
広島市西区の古田、観音両公民館で、被爆50周年事業として被爆写真と被爆資料の展示会が開会。11日まで。両館を含め同区内9公民館で7月30日まで巡回展示へ
1995/6/2
米シアトル市に住む長崎県出身のシンガーソングライターみち子・パンピアンさん(40)が、広島平和記念公園の「原爆の子の像」をテーマに日本語と英語の混合詞の歌を作り、カセットテープを広島市に寄せる
1995/6/2
読書会グループ「うさこクラブ」が、広島市こども図書館で原爆をテーマにした絵本の読書感想会を開き、約30人が意見交換
1995/6/2
アフリカ統一機構(OAU、加盟53カ国)と国連の核軍縮専門家会議がヨハネスブルク郊外ペリンダバで開会。アフリカ大陸を非核地帯化する条約草案を採択
1995/6/2
ロシア安全保障会議のヤブロコフ環境問題委員長がイズベスチア紙で、ロシア原子力省とイランの原子力機関が大量のウランや核兵器製造の可能なウラン濃縮用遠心分離装置の売却で原則合意していた文書を公表。イランの核開発疑惑が一層強まる
1995/6/2
河野外相が中国の李鉄映国務委員と外務省の飯倉公館で会談。中国核実験について「日本国民の核に対する特別の感情を理解してもらいたい。核保有国は世界の中で特別の地位と責任がある」と強調。中国が包括的核実験禁止条約(CTBT)を早期に締結し、核実験を即時停止するよう要求
1995/6/2
中国電力の島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)の低レベル放射性廃棄物200リットルドラム缶1,600本分を7月7日に海上輸送で青森県六ケ所村の日本原燃・低レベル放射性廃棄物埋設センターに運ぶ-と中国電力から連絡があったことを島根県が発表
1995/6/3
カザフスタン共和国セミパラチンスクの核実験被害の実態を聞く「東広島市民・国際交流の集い」がサンスクエア東広島で開会。広島大原医研に派遣されている医師ナイラ・ヤカノブバ・チャチュノソバさんが実験場の様子など被曝(ばく)実態をスライドで説明。市民ら約30人が参加
1995/6/3
平和大通りの将来像を考えるため、広島市が広島国際会議場でフォーラム「輝け!平和大通り」を開催。インダストリアルデザイナー栄久庵憲司氏、建築家安藤忠雄氏の講演や平岡広島市長との対談
1995/6/3
広島県原水協が広島県情報プラザで全県理事会。日本原水協などの原水爆禁止世界大会実行委員会が主催する大会日程について、広島は8月5、6両日、長崎は8、9両日と確認。今年の運動方針を決める
1995/6/3
広島に原爆投下した米爆撃機エノラ・ゲイの乗員で、きのこ雲を写真に撮ったボブ・キャロン氏がコロラド州デンバーの病院で死去。75歳
1995/6/4
広島で被爆した韓国・釜山市の金萬岳さん(75)が49年ぶりに広島を訪問、実家跡などを探す。大韓赤十字社から診療補助費を受けるため、1934年に卒業した中島尋常高等小学校(現中島小)の卒業証明書の入手が目的
1995/6/4
米歴史家ガー・アルペロビッツ氏が外交専門誌「フォーリン・ポリシー」の論文で「原爆投下はソ連をけん制する目的だったとする自らの学説を、多くの歴史家が支持する立場を取り始めた」と主張
1995/6/4
日本被団協が東京都内で総会。「被爆者援護法は被爆者の願いを満たしていない」と国家補償を明記した法改正など1995年度運動方針を決定
1995/6/4
福山市の市民図書館が戦後50周年企画として「被爆証言をきく会」を開会。尾道市の無職島田四郎さんら被爆者2人が市民ら約30人に被爆体験を話す
1995/6/5
中国新聞の被爆50周年企画「核と人間・旧ソ連編」が連載開始。7月2日まで、5部計6回
1995/6/5
中国電力が定期検査中の島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)2号機の原子炉内を報道関係者に公開
1995/6/5
日本被団協の被爆者約100人が、被爆者援護法に国家補償を盛り込むよう訴え、国会議員や各政党に要請行動。衆参両院の厚生委員会の議員59人と自民、社会など各党の代表を訪問
1995/6/5
韓国大邱市の被爆者、朴竜珠さん(58)ら7人が50年ぶりに広島市を訪れ、市役所で被爆者健康手帳の交付申請。韓国では日本で手帳取得しないと事実上、医療費補助が受けられず、取得希望者が増加
1995/6/5
戦時中に強制連行され、広島で被爆した中国大連市の于瑞雪さん(70)が死亡-との手紙が広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」に届く。長男の手紙では「5月9日に死亡」
1995/6/5
広島県山県郡戸河内町の上殿小学校(武田勝之校長、73人)6年生14人と保護者らが、町内で採った山ユリを持って広島赤十字・原爆病院を慰問。1951年から続けて45回目
1995/6/5
広島市中区の幟町中学校(益田末夫校長、638人)で、中国新聞の作製した平和学習テキスト「核兵器のない地球へ~ヒロシマからあなたへの手紙」を使った特別授業。広島県内の中高校で実施へ
1995/6/5
日本被団協が若い世代に被爆の実相を伝えるため、原爆被害とその後の歩みをまとめた紙芝居「被爆者からの伝言」を製作。被爆50周年に合わせ、2年がかり。32枚の写真やイラスト、効果音テープも使う
1995/6/6
ミヨン仏国防相が仏アンテル放送で「軍参謀総長を長とする作業部会が、核実験再開は必要との報告書をまとめた」と語り、核実験再開を示唆
1995/6/6
仏核実験再開に抗議し、国際環境団体グリーンピースがパリで記者会見。南太平洋ムルロア環礁に抗議船を派遣すると発表
1995/6/6
連合広島の招きで来日している中国四川省総工会(労働組合)の広島友好訪問団の楊滋・副主席(49)ら6人が広島平和記念公園を訪れ、名峰の峨眉(がび)山の岩清水を原爆慰霊碑に供える
1995/6/6
呉市が市役所ロビーで、戦後50周年事業として原爆資料・写真展。呉に進駐した英連邦軍が撮影した15点を初公開
1995/6/7
世界平和につながる広島の貢献策を検討する「広島国際貢献構想策定委員会」(座長・藤田雄山知事)が発足、初会合。地元選出の与野党国会議員が3月に結成した国会議員研究会(会長・宮沢喜一元首相)と連携を図り、平成8年3月末までに具体的構想
1995/6/7
仏核実験再開の動きに対し、広島県原水禁が実験凍結の継続を求めるシラク大統領あて要請書を在日仏大使館へ送付
1995/6/7
反核市民団体「ピース・リンク・広島・呉・岩国」が呉市議会に、同市広黄幡町の在日米陸軍広弾薬庫の返還に向けた具体的行動を起こすよう請願。危険度の高い弾薬の陸揚げ、輸送基地になっている-との理由
1995/6/8
原爆投下時のトルーマン米大統領の性格に焦点を当てた著書「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したか」を出版したロナルド・タカキ米カリフォルニア大教授が東京で中国新聞のインタビューに応じる。「原爆投下は大統領の劣等感と人種的偏見が影響」
1995/6/8
神奈川県城ケ島沖で海上自衛隊岩国基地の掃海ヘリコプターが墜落した事故で、防衛庁が科学技術庁へ「装備のストロンチウム6個が所在不明」と報告
1995/6/8
核禁会議(旧民社党・同盟系)が東京都の全電通会館で被爆50年全国平和集会。核兵器廃絶へ向けた取り組みを確認
1995/6/8
山口県内56市町村を走り継ぐ「反核平和の火リレー」(日本青年学生平和友好祭県実行委員会)が玖珂郡和木町をスタート。22日の山口市ゴールまで、非核自治体宣言の決議と国家補償に基づく被爆者援護法の改正を訴える
1995/6/9
衆院本会議が戦後50年の国会決議(歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議)を与党の賛成多数で採択。国会が太平洋戦争に対する歴史認識を決議で表明するのは初めて。決議は戦争犠牲者に追悼の意を示し、「植民地支配」「侵略的行為」の言葉を明記。「わが国が過去に行った行為や、特にアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」と強調。平和な国際社会を築く決意を明かす。本会議は与党3党が強行開会、新進党、民主の会などは欠席、共産党は出席し反対。全会一致が慣例の決議が大会派の欠席で強行されたのは極めて異例
1995/6/10
米と北朝鮮がクアラルンプールの米大使館で軽水炉提供問題をめぐる準高官協議。首席代表レベルでの暫定合意に達する
1995/6/10
福山市の霞小学校(水川孝子校長)が「20万の折り鶴を21世紀へ」キャンペーンに賛同、児童や保護者ら約100人が体育館で平和への願いを込めてつるを折る
1995/6/12
国連軍縮長崎会議が長崎市のホテルで開幕。米、ロ、英、仏、中国の核保有国や北朝鮮、インド、パキスタンなど36カ国91人の政府関係者が参加。「過去半世紀における軍縮努力と将来への展望」をテーマに5日間討議
1995/6/12
国連軍縮長崎会議に出席した核拡散防止条約(NPT)延長・再検討会議議長のジャヤンタ・ダナパラ駐米スリランカ大使が記者会見。無期限延長の決定に批判が根強いことについて「核保有5カ国の核兵器を永久に認めたわけではない」と保有国の一層の軍縮努力を要求
1995/6/12
北朝鮮の徐昌植外交部軍縮課長が長崎市内で記者会見。衆院で採択された戦後50年決議について「日本は過去の罪に対して完全に謝罪、補償していない。わが国に対して特にそうだ」と批判
1995/6/12
国際原子力機関(IAEA)がウィーンの本部で定期理事会を開会。5日間の日程で、北朝鮮への核査察再開問題が焦点
1995/6/12
制御回路の設定ミスで自動停止した動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」が、初送電を目指し原子炉を三たび起動。早ければ8月にも初送電
1995/6/13
河野洋平外相が閣僚懇談会で、国際司法裁判所が各国に求めている核兵器使用に関する陳述書について「核兵器は人道主義に合致しない」とした内容を報告、了承を得る
1995/6/13
米アメリカン大が7月8日から27日まで「広島と長崎を越えて」と題する原爆資料展を学内で開催すると発表
1995/6/13
マカリー米大統領報道官が仏核実験再開表明に対し声明。「米はこの決定を残念に思う」としながら、来年5月まで実験を終了し、包括的核実験禁止条約(CTBT)に調印するとの決定に理解を示す 1995/6/13
シラク仏大統領が記者会見し、1992年4月以来中止している地下核実験を9月から再開すると発表。南太平洋ムルロア環礁にある地下核実験場で96年5月末までに計8回を予定
1995/6/13
中国電力の島根原子力発電所の増設事前調査に関連し、島根県八束郡鹿島町の御津漁協(岸宏組合長)が原発事前調査対策委員会を開き、調査受け入れを決定
1995/6/13
広島市が、原爆ドーム沿いの元安川護岸の整備を中国地建に要望。市民が水辺に下りられるよう求める
1995/6/13
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が、核保有宣言国の持っている核弾頭数は1995年初め時点で計2万発と指摘
1995/6/13
国際司法裁判所に提出する核兵器使用に関する陳述書について、広島の被爆者らが「国際法違反が明言されていない」と不満
1995/6/13
原爆で倒壊し、戦後再建された長崎市の浦上天主堂で、ボストン交響楽団の小沢征爾音楽監督が指揮した「長崎『復活』コンサート」。グスタフ・マーラーの「復活」など荘厳な音色に聴衆約1,500人 1995/6/13
ロシア原子力省幹部が、米ロ両国合意に基づき、ロシアの核兵器から取り出された濃縮ウラン約1トンが米に向け発送された-と明かす
1995/6/13
米と北朝鮮の軽水炉問題をめぐる準高官協議合意を受け、米代表ハバート国務副次官補と北朝鮮代表の金桂寛外務次官がクアラルンプールで共同声明を発表。焦点の軽水炉型式について、北朝鮮側が実質的に韓国型を受け入れて決着
1995/6/14
シラク仏大統領がクリントン米大統領とのホワイトハウスでの首脳会談後に記者会見。国際的な非難を浴びている核実験再開決定について「撤回する意思はない」と言明
1995/6/14
長崎市で開催中の国連軍縮長崎会議の全体会議で、多くの出席者が仏核実験再開表明を批判
1995/6/14
米アメリカン大の原爆資料展開催決定を受け、広島市が資料22点の発送準備に着手。現地を訪れる平岡広島市長の日程調整、同行の被爆者の人選など急ぐ
1995/6/14
河野洋平外相が仏ドシャレット外相と電話会談。核実験再開決定に対し「核兵器非保有国の信頼を著しく裏切るもので、遺憾の意を表明せざるを得ない」と抗議
1995/6/14
仏核実験再開表明に対し、広島の被爆者や平和団体などが一斉に怒りの声。広島県被団協(伊藤サカエ理事長)は在日仏大使館へ抗議文を電子郵便で送付
1995/6/14
仏核実験再開表明に対し、オーストラリアとニュージーランドが仏との軍事面の協力関係凍結を発表 1995/6/14
河野洋平外相がカナダのウェレット外相と会談し、仏核実験再開決定に懸念を表明。「実験が行われれば非核保有国の信頼を失う」と警告。ウェレット外相も「他の核保有国に実験が拡大していく危険性がある」と懸念を表明
1995/6/14
原爆投下直後、広島市中心部で被爆者援護にあたった韓国人部隊、旧陸軍中部第8876部隊の元隊員7人が平岡広島市長に面会。被爆者健康手帳が取得できない隊員たちへの支援を訴える。元隊員は中区で開かれた「感謝する市民の集い」に出席
1995/6/15
シラク仏大統領がニューヨークの国連本部でガリ事務総長と会談後、記者団に表明。「仏核実験が生態系に悪影響を与えることはない。実験場に科学者を招き、それを確かめてもらう用意がある」
1995/6/15
広島県原水禁、広島県被団協(金子一士理事長)がそれぞれ、核実験再開を表明した仏大統領に抗議文を送付。県原水禁と平和・民主主義広島県労働組合会議は16日、平和記念公園で抗議の座り込みへ
1995/6/15
広島の被爆者7団体が核実験再開を決めた仏に対し、共同の抗議行動を申し合わせ
1995/6/15
沖縄のミュージシャン喜納昌吉さんが、広島を訪れ沖縄から手こぎ舟で広島、長崎を結ぶ祈りの旅「サバニ・ピース・コネクション」への賛同を呼び掛ける
1995/6/15
肝臓がんと闘いながら京都-広島間約400キロを一人で徒歩旅行していた京都市北区等持院中町、無職岩崎龍男さん(67)が23日を歩き抜き広島平和記念公園にゴール
1995/6/15
全盲にめげず生きるあかしとして千羽づるを折ってきた広島市中区基町、マッサージ業仁井山トヨ子さん(61)が1万羽を広島平和文化センターへ寄贈
1995/6/15
ジュネーブ軍縮会議本会議で日本をはじめ10数カ国の代表が仏を激しく非難、核実験再開の決定撤回を要求
1995/6/15
反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」が核実験再開を表明した仏シラク大統領に抗議文を送付
1995/6/15
2つの県被団協など広島の被爆者7団体代表が、8月6日に予定されている村山首相への合同要望について意見交換。首相に手渡す要望書は国家補償が中心に
1995/6/15
国際原子力機関(IAEA)理事会が現行の保障措置(核査察)協定の枠内で査察強化を図ることで合意
1995/6/15
日本被団協の小西悟国際委員長(65)ら広島、長崎の被爆者5人が、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館を訪問。玄関前の石段に原爆犠牲者の写真を並べ黙とう
1995/6/15
米エネルギー省が、核兵器解体作業が進められているテキサス州アマリロのパンテックス施設を内外報道陣に公開
1995/6/15
中国電力の島根原子力発電所の増設事前調査について、島根県八束郡鹿島町の恵曇漁協(青山善太郎組合長、1,246人)が調査に同意。関係3漁協のうち2番目
1995/6/15
原発に反対している山口県都濃郡鹿野町の「鹿野の自然を大切にする会」(山本茂代表世話人、5人)が、中国電力山口支店を訪れ上関原発計画の白紙撤回を文書で申し入れ
1995/6/16
広島県安芸郡坂町の原爆被害者の会(中伊三夫会長、1,600人)が同町北新地運動公園に建立した「原爆被爆犠牲者追悼碑」が完成。約70人が除幕式
1995/6/16
中国電力の島根原子力発電所の増設問題で、島根県八束郡鹿島町の山本清澄町長が町会本会議で答弁。「中電から申し入れがあれば、これまで通り、出来るだけ多くの住民の声を聞く機会を持ちたい」
1995/6/16
シラク仏大統領が核実験再開を表明したことに抗議し、被爆者や原水禁運動関係者、労働組合員ら約50人が広島平和記念公園の原爆慰霊碑前で座り込み
1995/6/17
広島県立府中高校の文化祭で、生徒が戦後50周年を記念し原爆ドーム壁画や模型など展示。平和への願いを込め、折りづるや割りばしなど使って製作
1995/6/17
米政府が計画中の高レベル放射性廃棄物の「ごみ捨て場」として最有力候補地に上がっている米ネバダ州のミラー知事が、州内での同種施設の建設に反対する決議に署名
1995/6/17
クリントン政権が国防総省からの小規模地下核実験の再開要請を受け、翌週にも高官レベル会議を開催-と米紙ロサンゼルス・タイムズが報道
1995/6/17
米歴史学者でスタンフォード大教授バートン・バーンスタイン氏が日本平和学会の春季研究大会に論文を送付。米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示が退役軍人らの反対で中止されたことについて、「米国人が原爆使用を支持していると解釈すべきではない」と強調
1995/6/17
「敗戦50年と21世紀の平和研究」をテーマに日本平和学会(鈴木佑司会長)が広島市立大学で春季研究大会を開催。国内とアジア太平洋地域の研究者ら約150人が、ヒロシマの役割や戦後の対日関係などについて報告と討論
1995/6/17
仏核実験再開決定に強い反発が起きる西オーストラリア州パースで仏領事館が全焼。「太平洋人民戦線(PPF)」を名乗るグループが地元紙に犯行声明
1995/6/18
国連軍縮長崎会議に出席した軍縮問題専門家による「国連と軍縮シンポジウム」(広島県、広島市など主催)が広島国際会議場で開会。「核軍縮の促進と核兵器廃絶」がテーマ。仏を除く核保有4カ国やオランダ、インド、パキスタン、広島の専門家ら8人のパネリストが核兵器廃絶の道を討議
1995/6/18
米国防総省が地下核実験再開を検討中で、1~2週間以内に結論を出す-とペリー米国防長官が明かす
1995/6/18
日本のアジア侵略や被爆の実相を伝えるため、韓国、広島、長崎で開く「戦争と原爆展」実行委員会が発足。韓国での開催日程やパネル展示の概要など決定
1995/6/18
市民の劇団「一誠一座」(南一誠座長)が広島市中区のアステールプラザで「天神町一番地 広島・あの頃・消えた町」を公演。2回の舞台で観客約3,000人が原爆投下前の爆心の町のにぎわいをしのぶ
1995/6/18
広島平和記念公園で故マルセル・ジュノー博士の記念祭。市民約150人が参加、平和大橋西詰めにある博士の記念碑に献花。5月に完成した博士の足跡をたどる映画「第三の兵士」を鑑賞
1995/6/18
広島在住の画家らが描いた原爆絵本の原画展が、広島市のJTインフォプラザ広島で開幕。23日まで。1989年に原爆絵本シリーズとして汐文社(東京)から発行された7冊の絵本の原画約160枚を展示
1995/6/18
広島「折鶴の会」の子ども5人が、ブラジル・サンパウロ州立ヒロシマ市中学校に贈る折りづるを、同国から里帰りし広島赤十字・原爆病院で治療中の被爆者4人に託す
1995/6/18
原爆映画「夏少女」の子役オーディションが呉市文化ホールで開会。一次書類審査をパスした小中学生414人が参加。クランクインは7月下旬の予定
1995/6/18
広島県内の通訳者でつくる「ひろしま通訳・ガイド協会」(井上鎮雄会長)がひろしま国際センターで「被爆50周年記念講演会」を開催。国際的視野から見たヒロシマを考える
1995/6/19
村山首相がパリのエリゼ宮でシラク仏大統領と会談。核実験再開表明について「唯一の被爆国であるわが国の国民にとり、敏感にならざるを得ない。再考してほしい」と計画中止を強く要請
1995/6/19
ペリー米国防長官が「地下核実験再開を検討」と表明したことについて、五十嵐官房長官が記者会見。「米が核実験のモラトリアム(凍結)を継続するよう強く期待する」
1995/6/19
バーンズ米国務省報道官が記者会見で「現時点で米核実験再開の計画はない」と述べ、来年9月末までの成立を目指している包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉期間中は実験凍結(モラトリアム)を続けると言明
1995/6/19
中国電力の島根原子力発電所の増設問題で、島根県八束郡島根町の島根町漁協(大西隆組合長、880人)が役員会で調査への同意を決定。中電の奥谷昌士原子力事務所長に回答。関係3漁協の同意が出そろう
1995/6/19
山口県会本会議で平井知事が、熊毛郡上関町長選(4月)の結果について、「これまで通り、町民が原発立地による町づくりの方向を選択した」と言明
1995/6/20
郵政省が8月1日に発行する「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)郵便切手」3種類のデザインを発表
1995/6/20
社会党広島県本部(石田明委員長)が村山委員長(首相)に対し、核廃絶の立場から中国核実験、仏核実験再開表明に断固とした政治姿勢を示すよう要請文を送付
1995/6/20
仏核実験再開に抗議し、パリのバスチーユ広場で市民ら約500人が集会
1995/6/20
ベーコン米国防総省報道官が記者会見。同省が核実験再開を検討していると報じられたことについて「検討しているのは包括的核実験禁止条約(CTBT)調印後、貯蔵核兵器の安全性や信頼性維持のため、どんな核実験が許されるかという問題だ」と実験再開を否定
1995/6/20
ヘンリー英国防次官が英上院議会で労働党議員からの質問に対し、米が核実験を再開した場合に英が追随する可能性を否定せず
1995/6/20
反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」がクリントン米大統領に核実験を再開しないよう求める要請書。村山首相にも日本が核保有国に対して実験中止を呼びかけるよう求める要請書を送付
1995/6/20
第2次世界大戦後に米政府が実施した放射線人体実験に、病院などから無断で運び出された約1,500人もの子どもの死体が利用された-と米ABCテレビが報じる
1995/6/20
「原爆遺跡保存運動懇談会」(後藤陽一座長)と「元大正屋呉服店を保存する会」(河瀬正利代表世話人)、広島県被団協(金子一士理事長)の3団体が、広島平和記念公園にある市レストハウス(元大正屋呉服店)を被爆体験証言の場として利用できるよう市に文書要請
1995/6/20
ドイツ・ポツダム市で開かれた「ポツダム映画祭」審査委員会が、新たに設けた「ヒロシマ記念賞」をボグダン・ドゥミトレスク監督(ルーマニア)の「海への回帰」とセルゲイ・リフネフ監督(ロシア)の「槌(つち)と鎌(かま)」に決定

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