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ヒストリー

ヒロシマの記録1995 7月 ①


1995/7/1
広島国際文化財団(山本朗理事長)が1995年度から創設した「平和創造基金 ヒロシマピースグラント」の第1回助成団体に、ワールド・フレンドシップ・センターなど6団体を発表
1995/7/1
長崎市でシンポジウム「核時代の半世紀」が開かれ、マーシャル諸島ビキニ環礁のトマキ・ジュダ市長や本島等・前長崎市長ら3人をパネリストに核被害の現状など討論
1995/7/1
被爆者援護法が施行。特別葬祭給付金の請求受け付けも始まり、広島市役所の特設窓口に多くの被爆者が詰めかける
1995/7/1
広島県被団協(金子一士理事長)が、広島市婦人教育会館で総会。被爆者援護法について「特別葬祭給付金は遺族の中に差別を持ち込む矛盾に満ちた制度」と批判
1995/7/1
広島市内の小中高校の校区単位で被爆者の体験を子どもに語り継ぐ「地域の体験継承学習」がスタート。初日は東区矢賀2丁目の矢賀小など8小学校で
1995/7/1
中国電力が島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)の増設を目指し、陸、海域の事前調査を開始。建設計画を策定するため約1年かけ16項目を調査
1995/7/1
岡山市で原水禁県民会議など4団体約20人が、仏核実験再開表明に抗議して実験再開撤回を求めるビラを配布
1995/7/1
グリンピース・ジャパンなど平和、環境団体約60団体150人が、仏核実験再開決定に反対して東京都内で共同デモ
1995/7/2
イランのラフサンジャニ大統領が米CNNテレビとの会見で、イランには米が主張するような核兵器開発計画はなく、ロシアからの原子炉購入計画を「変更する理由は見当たらぬ」と強調
1995/7/2
仏の核実験再開表明に抗議し、2つの広島県被団協や在日韓国・朝鮮人の被爆者組織など被爆者7団体約80人が広島平和記念公園で座り込み
1995/7/2
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)の慰霊墓参団が、被爆50周年に合わせ20年ぶりに広島訪問。参加の被爆者は平和記念公園や家族の眠る寺などを巡る
1995/7/2
米スミソニアン航空宇宙博物館で、一般公開されている広島原爆投下機エノラ・ゲイに人間の血とみられる液体や灰を浴びせ、3人が逮捕
1995/7/3
被爆者援護法の施行で新設された特別葬祭給付金の請求受け付けが山口県内16保健所で始まる。山口県内の給付対象者は約5千人
1995/7/3
韓国釜山市に住む被爆者、金仁祚さんが広島市役所を訪れ、被爆者援護法で新設された特別葬祭給付金の受給を申請。「母国でなぜ請求ができないのか」と不満
1995/7/3
放射性廃棄物の安全管理を定めた条約策定を目指す初の国際会議が、国際原子力機関(IAEA)の本部ウィーンで開幕。59カ国が参加
1995/7/4
広島県内の全市町村を走り継ぐ「反核平和の火リレー」(県青年婦人平和友好祭実行委員会主催)が福山市入り。到着した市中央公園野外音楽堂では約50人が「反核平和の夕べ」
1995/7/4
岡山原爆被爆者会の高尾光信会長(71)と早川耐子さん(72)が、岡山市の就実学園で高校2年生510人に被爆体験を語る
1995/7/4
広島原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の入園者46人が原爆慰霊碑に参拝。「50年」「平和祈」などと折りづるで飾った花輪をささげる
1995/7/4
下関市内の被爆者や家族でつくる下関原爆被害者の会が、同市内の西部公民館で被爆者援護法の施行に伴う特別葬祭給付金の説明会を開く。約30人が出席、援護法の矛盾を指摘する声が相次ぐ
1995/7/4
韓国原爆被害者協会の郭貴勲元会長(71)が広島市役所で記者会見。被爆者援護法について「外国の被爆者にも日本の被爆者と同じような措置を取ることが望ましい」と訴え
1995/7/4
広島市議会の共産党を除く5会派が、被爆・戦後50年の決議案を提出することで合意。戦争でアジア諸国に犠牲と苦痛を与えたことを反省、再び繰り返さないよう誓うとともに、核兵器廃絶と平和への決意を表明。「植民地」「侵略」の言葉を使わずに加害責任と不戦、平和の決意を表すことで合意
1995/7/5
広島市議会の本会議で、「被爆50周年・戦後50周年にあたり、核兵器の廃絶と平和への決意を表明する決議」を賛成多数で可決。「植民地支配」「侵略的行為」「謝罪」などの文言は盛り込まれなかったが、アジア諸国への戦争加害責任に言及。その上で「戦争や原爆投下が多くの人を苦しめた歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない」と強調。「地球上から核兵器を廃絶し、世界の国々と手を携えて人類共生の未来を切り開く」と決意を表明。共産党を除く5会派が共同提案
1995/7/5
長崎市の伊藤一長市長が市議会で、核保有国の軍艦の長崎入港に反対してきた市の方針を変更、米艦に限り入港を支持する意向を表明
1995/7/5
中国電力の島根原子力発電所(島根県八束郡鹿島町)が、低レベル放射性廃棄物を青森県六ケ所村の埋設センターに運ぶため、船積み開始
1995/7/5
広島県山県郡千代田町の中央公民館のコーラスグループ(鷹野主照波代表)と広島市の「ピースウェーブ合唱団」が、同公民館で合同「平和コンサート」
1995/7/6
ロシアで解体された核兵器から取り出されたウランを米が購入する計画について、米ウラン濃縮公社が契約総額20億ドルのうち1億ドルを近く支払うことを明かす。購入を進める姿勢
1995/7/6
ニューヨーク在住の図書館司書シャローン・コーネルさん(49)が、広島市安佐北区安佐町、鈴張小学校を訪れ、米42州の子どもたちが書いた平和の手紙や折りづるを届ける。日米小中学生の平和交流を図る
1995/7/6
日本語と日本文化を学ぶため来日中の米大学生ら20人が、広島平和記念公園で被爆者の松原美代子さんから被爆体験を聞く
1995/7/6
包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉を焦点とするジュネーブ軍縮会議が、1995年第2会期を実質的に終了。CTBTを「無期限」に有効な条約とすることで合意、核実験の禁止範囲など重要項目では進展なし
1995/7/6
欧州議会の外交委員会に所属するアイルランドのバーニー・マローン議員が仏の核実験再開決定に抗議し、フランス革命記念日の式典(14日)を国際的にボイコットするよう呼び掛け
1995/7/6
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部大会に出席のため広島を訪れたラクラン・フォローIPPNW事務局長が中国新聞のインタビューに応じ、「社会的責任のための医師の会」が夏以降、全米10都市で原爆展を計画していることを明かす
1995/7/6
米ワシントンのアメリカン大で開かれる原爆資料展に出席する平岡広島市長が広島空港から韓国経由で米へ出発
1995/7/6
日本原水協などの「´95原水爆禁止国民平和大行進」の広島・長崎コースが、広島平和記念公園から長崎市へ向けスタート。約100人参加
1995/7/6
広島県医師会が派遣した第10回在北米被爆者検診団(団長・柴田醇広島市民病院副院長、9人)が広島に帰り、記者会見。被爆者415人と被爆二世48人の計463人を受診
1995/7/7
広島市が原爆供養塔に安置されている原爆死没者の遺骨のうち、名前が分かりながら遺族が見つからない877柱の遺骨名簿を全国の自治体など1,064カ所へ発送
1995/7/7
米ワシントンのアメリカン大で原爆資料展が開催されるのを前に、展示資料25点と写真パネルなど81点が日米マスコミ関係者に公開
1995/7/7
アジア太平洋ジャーナリスト会議(東京)の参加者9人が、広島県庁に藤田知事を訪問。戦争責任や謝罪問題に関する質問が相次ぐ
1995/7/7
長崎県議会が「さきの大戦における戦没者への追悼および恒久平和に関する決議」を自民、新進、公明などの賛成多数で可決。社会は「過去の歴史への反省がない」として「侵略戦争」などの文言を入れた対案を出したが否決
1995/7/8
原爆資料展「平和な世界を築く-ヒロシマ・ナガサキを超えて」が米ワシントンのアメリカン大学で開幕。開会式には学生や市民ら約350人が出席。主催者代表のベンジャミン・ラドナー学長、平岡広島市長のあいさつに続き、被爆者3人が体験を話す。ワールド・フレンドシップ・センターの森下弘理事長、広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の池田精子副理事長、長崎原爆被災者協議会の山口仙二会長
1995/7/8
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部大会が広島市の中国電力大会議場で開幕。海外25人を含む医師ら約300人が参加。9日、2000年までに核兵器廃絶条約に調印することを求める「ヒロシマ・ナガサキ宣言」を採択し、閉幕
1995/7/8
中国新聞社が、原爆展を起案しながら米退役軍人協会などの反対で辞任に追い込まれた米スミソニアン航空宇宙博物館の前館長マーティン・ハーウィット氏(64)のインタビュー記事を掲載。ハーウィット氏は「原爆展の中止で米国民は歴史から多くのことを学ぶ機会を逃した」
1995/7/8
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部大会に参加したアジア太平洋地域副会長ロナルド・マッコイさん(75)=マレーシア=が、広島市役所旧庁舎の被爆石を使った平和祈願碑が8月6日にクアラルンプールの公園に設置される-と明かす
1995/7/8
広島県被団協(伊藤サカエ理事長)が原爆資料館で総会。学識経験者の加入を認める規約改正。個人加入を認めるのは初めてで、援護法の改正運動強化を狙う
1995/7/8
広島市西区を中心に活動しているミュージカルグループ「ドレミファ合唱団」(日越喜美香代表)の小学生28人が、原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を慰問。オペレッタ(小歌劇)を上演
1995/7/9
仏核実験再開に抗議して仏領ポリネシアのムルロア環礁に接近していた環境保護団体グリーンピースの船「虹(にじ)の戦士2」が領海に入ったところを、仏海軍が急襲。一時は23人を拘束
1995/7/9
米ワシントン・アメリカン大の原爆資料展(2日目)の公開フォーラム「平和な世界構築を目指して」で、平岡広島市長が「希望の広島-核兵器のない世界へ」と題して基調講演。「現在の核状況をどう変えるのかを論ずるべき」と訴え
1995/7/9
障害者の立場で戦争や被爆体験を考える「戦後50年フォーラム 戦争・平和・障害者」が広島市東区の牛田公民館で開会。障害者が軍国主義の中で圧迫された状況を証言
1995/7/9
被爆者を真夏の日差しから守った広島市東区牛田旭2丁目の「ピカドンたけやぶ」を残すため、住民や画家らでつくる「竹やぶへの恩返し実行委員会」メンバーら14人が、竹やぶ(約200平方メートル)の枯れ竹伐採や間引き作業
1995/7/9
人類初の核実験が行われた米ニューメキシコ州の全米規模の平和集会に参加する書家・月下美紀さん(54)=広島市中区=が広島平和記念公園の「平和の灯」を採火。10日に米へ
1995/7/10
広島市が被爆50周年の原爆死没者慰霊式・平和祈念式の概要を発表。初めて市内の小学生代表が「平和への誓い」を読み上げるなど、21世紀に被爆体験と平和の訴えを継承することに重点
1995/7/10
核兵器解体に伴うプルトニウムの処理方法について米政府の諮問を受けていた全米科学アカデミーの専門家委員会が、ウランの入った混合酸化物(MOX)燃料にして商業用原子炉で燃やす方法と、ガラス固化体にして埋設する方法を勧告する最終報告書をまとめる
1995/7/10
日本原燃(青森市)が青森県六ケ所村に建設中の使用済み核燃料再処理工場について、工事遅れのため再処理事業の開始時期を当初計画の1996年4月から97年6月に延期することを科学技術庁に届け出
1995/7/10
米アメリカン大での原爆資料展の開会式や平和フォーラムに出席するなどワシントンの日程を終えた平岡広島市長が、次の訪問地ミネアポリス市に到着
1995/7/10
広島市民生局が、無縁仏約7万柱の安置されている原爆供養塔の納骨室を報道機関に公開。「一人でも多くの遺族に遺骨を渡したい」
1995/7/10
仏海軍が核実験再開に抗議する環境保護団体グリーンピースの船「虹(にじ)の戦士2」を急襲したことについて、オーストラリアとニュージーランドが強く反発。対仏制裁を求める声が強まる
1995/7/10
仏核実験再開決定に抗議しているオーストラリア東部のニューキャッスル市から、平岡広島市長あてに連帯を呼び掛ける書簡が届く。仏製品不買運動への参加など12項目の行動計画も同封
1995/7/10
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部大会に出席した北朝鮮と中国の代表5人が放影研を訪問。施設見学や研究内容の成果を聞く。北朝鮮関係者の訪問は初
1995/7/10
米紙ニューヨーク・タイムズがワシントンのアメリカン大で開会した原爆資料展を半ページ割いて報道。「小規模だが力強い訴え」
1995/7/11
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が間借り入居する自治労県本部ビルの起工式が山口市元町のゆだ苑跡地で行われる
1995/7/11
環境保護団体グリーンピースが仏核実験再開決定への抗議行動の様子を明らかにする。抗議船「虹(にじ)の戦士2」が仏海軍に急襲される直前(9日未明)、「虹の戦士」とヨット「ベガ」からゴムボート5隻がムルロア環礁に向けて発進。4隻が仏軍に捕まったが、残る1隻は行方不明
1995/7/11
原爆映画「夏少女」のクランクインを前に、森川時久監督らが撮影場所の広島県安芸郡下蒲刈町、蒲刈町などでロケハン
1995/7/11
米がマンハッタン計画から現在までに、核兵器開発や配備、冷戦後の核廃棄に投じた費用は総額4兆ドルと算定した報告書「核兵器のコスト」を、米シンクタンクのブルッキングズ研究所が発表
1995/7/11
反核市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」が、仏海軍の環境保護団体グリーンピース監視船の急襲に対し、抗議文を在日仏大使館経由でシラク大統領に送付
1995/7/12
広島、長崎両県、市の知事と市長、議会議長でつくる「広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会」(八者協)が、国の1996年度予算の概算要求に向けた陳情内容をまとめる。被爆者援護法の施行を受け、前年求めた「国家補償の精神に基づく新たな法制度の創設」要望は盛り込まず
1995/7/12
訪米中の平岡広島市長がボストン・タフツ大学での平和フォーラムで講演。「スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の中止は残念」
1995/7/12
ミネアポリスのシャロン・ベルトン市長が、訪問中の平岡広島市長に「私たちの都市(ミネアポリス)で11月をめどに原爆展を開きたい」と約束。平岡市長は市民約200人との交流会などに参加し、「ヒロシマの願い」を訴える
1995/7/12
英実業家リチャード・ブランソンさん(44)が、世界中の戦争終結への願いを込めたブロンズ像「レコンシリエーション(和解)」を広島市に寄贈し、設置場所の広島国際会議場で除幕式
1995/7/12
長崎県や長崎大などでつくる「長崎・ヒバクシャ医療国際協力会」が、被爆者医療に貢献した個人や団体を表彰する「永井隆平和記念・長崎賞」の創設を明らかにする
1995/7/12
岡山市原爆被爆者会の「被爆50周年原爆平和展」が岡山市の天満屋で始まる。17日まで
1995/7/13
訪米中の平岡敬広島市長が、ニューヨーク・聖ヨハネ教会での反核平和集会で約700人の米市民に世界平和確立と核兵器廃絶を訴え
1995/7/13
爆心に近い広島市の本川小の全児童約400人が、平和の願いを書いたリボンをつなぎ、原爆ドームを囲む
1995/7/13
広島原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」で、広島市東区の化粧品店「いちはら」の呼び掛けで美容部員が被爆者に化粧奉仕。3回目
1995/7/14
中国新聞の企画「被爆者´95 半世紀を生きて」の第2部「老いの中で」が連載開始。被爆者の高齢化問題を取り上げる。18日まで5回
1995/7/14
仏のシラク大統領が記者会見で、世界の抗議が高まる南太平洋での核実験再開決定に変更がないことを断言
1995/7/14
「平和・市民」(田英夫代表)の金田誠一衆院議員が、仏の核実験再開決定に抗議する「反核・平和の船」派遣を提唱
1995/7/14
広島市で開かれた私鉄総連の定期大会が最終日、仏核実験再開決定に抗議するアピールを採択
1995/7/14
反核市民グループ「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」の主婦ら約30人が、仏核実験再開の中止を求め原爆ドーム前で抗議はがきを出すよう呼び掛け
1995/7/14
フランス革命記念日に合わせ、オーストラリア、ニュージーランド両国で仏核実験再開決定を非難する多彩な抗議行動。シドニー国際空港では運輸労組に給油拒否されたエールフランスのパリ便など2便が運航取り止め
1995/7/14
岡山県と同県苫田郡上斎原村が、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の人形峠事業所の旧ウラン濃縮パイロットプラント解体実験を了解すると同事業所に連絡。実験は青森・六ケ所村のウラン濃縮プラントが操業を終えた際の装置の処分技術を確立する狙い
1995/7/14
オーストラリアのロレトモンデビルホール校の中高校生から2千羽の折りづるが届き、平和記念公園の原爆の子の像にささげられる
1995/7/14
広島市中区江波地区の住民が原爆犠牲者を追悼し核兵器廃絶を願う慰霊碑「母子愛之像」が、設置場所の江波山公園展望広場に到着。8月7日に除幕へ
1995/7/14
広島県豊田郡川尻町で町民全員に一羽ずつ折ってもらう「折りづる運動」が進み、人口の7割の約7千人分が集まる。広島国際文化財団などが呼び掛けた「20万の折り鶴を21世紀へ」キャンペーンに協力
1995/7/14
山口県の原子力カレッジが柳井市内で開会、2市8町の職員や議員約120人が参加。5回目で、「原子力利用と放射線防護」がテーマ
1995/7/15
米アメリカン大の原爆資料展出席や各市での講演などのため訪米していた平岡広島市長が帰国。16日、広島市役所で記者会見。原爆資料展や講演について「大きな反響があった。反発などはなく、(原爆被害という)広島の出来事を真剣に受け止めてもらった。米市民に直接働きかけることができ、意義があった」と強調
1995/7/15
被爆50年と原爆資料館の開館40年に合わせ、資料館東館地下展示室で広島復興の歴史を写真でたどる「ヒロシマの軌跡」展が始まる。8月27日まで
1995/7/15
被爆の混乱で卒業式に出席できなかった広島市の本川国民学校(現本川小)の1946年卒業生が、同小で「50年目の卒業式」。当時の児童23人と教諭3人が出席
1995/7/16
第45回パグウォッシュ広島会議(24日から)を前に、中国新聞が名大名誉教授の豊田利幸さんに科学者の平和運動についてインタビューを掲載
1995/7/16
米が史上初の原爆実験を行ったニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」が実験50年で一般公開
1995/7/16
米ニューメキシコ州アラモゴードで行われた史上初の原爆実験の様子を連続写真のように描いたスケッチ9枚を、中国新聞が掲載。米カリフォルニア大ロサンゼルス校の図書館が所蔵する「ウォーレン・ペーパー」の中から入手
1995/7/16
史上初の米原爆実験50年に合わせ、ロンドンのトラファルガー広場で英反核団体「核軍縮運動」が主催し約2千人がダイ・イン
1995/7/16
原爆資料展が開かれている米ワシントン州アメリカン大で原爆投下の是非をめぐる公開討論。中国系市民らから「原爆が日本のアジア侵略、捕虜虐待を終わらせた」などの意見が相次ぐ
1995/7/16
ロサンゼルス・タイムズが16日付の社説で、原爆実験50年について論評。「『核時代』はおぞましい大量の核兵器が、結果として平和を保つという二面性を持っている」
1995/7/16
ワシントン・ポスト紙が米原爆開発計画と日本への投下を焦点にした特集。その中で、トルーマン大統領が日本に計18発の原爆を投下する軍事・科学顧問提出のプランを承認していた-と報じる
1995/7/16
広島市の竹屋公民館が被爆50周年事業で市内の原爆犠牲者慰霊碑の「碑めぐりウオーク」。市民20人が参加
1995/7/16
「ヒロシマの基地を問うシンポジウム」が広島市内で開会。反核市民グループ「ピース・リンク広島・呉・岩国」が主催
1995/7/17
武村正義蔵相(新党さきがけ代表)が東京での街頭演説で、仏核実験再開の決定に対し「仏製品不買の先頭に立つ」と国民的な反対運動を呼び掛け
1995/7/17
日本ペンクラブが中国の核実験再開と仏の実験再開計画に抗議する声明文を発表。両国大使館や国内の各政党には10日に送付
1995/7/17
欧州連合(EU)の外相理事会で7カ国が仏核実験再開決定に反対を表明。スウェーデン、デンマーク、フィンランドなど
1995/7/17
長崎市議会が核兵器廃絶と原爆犠牲者への追悼を盛り込んだ被爆50年決議。過去の戦争への評価は言及せず
1995/7/17
米紙ワシントン・ポストが「極東の米戦略空軍スパーツ司令官が東京に日本3個目の原爆を投下するよう提案していた-と報じる
1995/7/17
原爆開発に参加した米科学者が、投下前の示威実験を求める請願書をトルーマン大統領に送った経緯を明らかにするシンポジウムが米国立公文書館で開会。請願書に署名した3科学者が「大統領は原爆に無知で、悲惨な影響を考えず」などと科学者の心の葛藤(かっとう)を明かす
1995/7/17
原爆供養塔に安置されている死没者の遺骨名簿が全国一斉に公開
1995/7/17
オーストラリアのマウントバーカー町の私立ウオルドルフ学校の小学6年生28人が折った千羽づるを、現地の日本語教師、坂井緑さんが平岡敬広島市長に届ける
1995/7/17
全米鉄鋼労組が日本の現地子会社である米ブリヂストンの労使紛争で、会社側がスト参加者の職場復帰を拒否しているのに抗議し、「エノラ・ゲイをもう一度」と日本大使館前でデモ
1995/7/17
広島市が実施した「ひろしま21世紀へのはがき」の応募を締め切る。50年後のヒロシマにあてた平和のはがきは17日現在、約5万枚
1995/7/18
長崎被爆者手帳友の会が仏核実験再開表明に抗議し、フランス製品ボイコット運動を決定
1995/7/18
戦後50年に戦争や平和を考える企画展「ヒロシマ・ナガサキ-50年目の暑い夏」が福山市の市人権平和資料館で始まる。8月9日まで
1995/7/18
広島、長崎両県市の知事、市長と議長で構成する「広島、長崎原爆被爆者援護対策促進協議会」(八者協)が、1996年度予算の概算要求に向け、7月から施行の被爆者援護法の強化、充実を厚生省に要望
1995/7/18
広島の2市民団体が、仏領ポリネシアで広島インランドシー・ヨットクラブが計画する仏核実験再開への抗議航海に支援募金を呼び掛け。「広島グリーンパワー」と「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」
1995/7/18
仏領ポリネシアのガストン・フロス行政長官が、仏核実験の安全性をアピールするためムルロア環礁で海水浴
1995/7/18
府中市の府中第二中学校の生徒会が仏核実験再開決定に抗議の署名運動を開始。31日、校内や街頭で集めた2,185人分の署名と反対要望書をシラク大統領あてに在日仏大使館へ郵送
1995/7/18
広島市内の3つの原爆養護ホームが共同で発刊している被爆体験記「紙碑」第4集の聞き取り作業が舟入むつみ園で始まる。神田山やすらぎ園、倉掛のぞみ園の被爆者と合わせ計50人の体験を収録へ
1995/7/18
社会、自民、新党さきがけの与党3党が仏核実験再開の中止を求める国会決議の共同提案で合意
1995/7/19
仏核実験再開の決定に反対し、埼玉県所沢市のジュゲ・ユージェン神父ら日本在住のフランス人宣教師グループ4人が署名簿と抗議文を駐日仏大使館に提出
1995/7/19
日本の非政府組織(NGO)71団体が仏核実験再開決定に抗議し、フランス製品不買運動の声明を発表
1995/7/19
広島市の本川小で、市内の古美術商から寄贈された1952年発行の原爆紙芝居「平和のちかい」を使って平和学習
1995/7/19
演劇「原爆ドーム ヤン・レツル3部作」が広島市内で初上演。ドームと設計者レツルがテーマ。原爆で同級生を亡くした広島市出身の劇作家、村井志摩子さん=東京在住=の作品
1995/7/19
村山首相が参院選遊説で広島市を訪れ、原爆病院の被爆者を激励
1995/7/19
参院選遊説で広島市入りした村山首相が記者会見。秋の国連総会に日本政府として核実験禁止の決議案提出を目指す方針を明らかにする
1995/7/20
国際環境保護団体グリーンピースが仏核実験再開決定に対し、新たな抗議船「MVグリーンピース」を仏領ポリネシア・ムルロア環礁に派遣すると表明
1995/7/20
田中真紀子科学技術庁長官が仏核実験再開決定に関しシラク大統領に「包括的核実験禁止条約に寄せる人々の願いを無視」と抗議の手紙を書く
1995/7/20
広島県が核兵器保有5カ国の在日大使館に「核兵器廃絶に関する県宣言」と藤田知事のメッセージを届け、本国政府への送付を要請。宣言は1986年3月に県議会で決議。核兵器保有国への送付は3回目だが、核実験に関しては初
1995/7/20
五十嵐広三官房長官がウーブリュー駐日仏大使に、仏核実験再開決定は「極めて遺憾」と厳重抗議。「日本国民の総意」として実験中止を要請
1995/7/20
中国新聞の被爆50周年企画の一つで、核超大国アメリカの有識者へのインタビューを通じて核時代の意味を探った「核時代 昨日・今日・明日」が発刊
1995/7/20
92歳で亡くなった故・森滝市郎さんの反核の足跡をたどる追悼集「人類は生きねばならぬ-核時代を乗り越えて」が発刊。広島の原水禁、被爆者運動の関係者やジャーナリストらが刊行委員会を組織
1995/7/20
ロシア原子力省幹部が、同省設立50周年記念としてモスクワで8月28日から原爆展を開催し、旧ソ連製原子爆弾を公開することを明らかにする。核兵器が一般公開されるのはロシアでは初
1995/7/20
広島市西区の観音小で、原爆に耐えたプールが取り壊しのため「お別れ式」。戦前の1933年、当時の広島二中の施設として完成、被爆者が水を求めて集まる
1995/7/20
原爆の悲惨さを伝える映画「夏少女」の制作発表が広島市役所で。脚本の早坂暁さんや少女役の廿日市市の中学1年八崎朝子さん、少年役の呉市の小学6年藤岡貴志君らが出席
1995/7/20
光市の光高校で、全校生徒が教師の被爆体験を聞く会を開く

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