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ヒストリー

ヒロシマの記録1994 2月


1994/2/1
1945年から49年にかけ米テネシー州の大学病院で多くの妊婦に放射線人体実験が行われ、子供ががんで死亡-。「実験台」となった女性らが当時の原子力委員長らを相手にナッシュビル連邦地裁へ損害賠償を求め提訴
1994/2/2
中国電力が、山口県上関町に計画している上関原発を1994年度の施設計画に組み入れる方針を表明
1994/2/2
日本被団協など3団体が、核兵器使用の違法性を審理する国際司法裁判所に対し、広島、長崎への原爆やビキニ海域での水爆実験などについての被害陳述書を提出するよう政府に申し入れ
1994/2/3
広島市中区大手町1丁目、島外科病院の敷地内にあった原爆の爆心地を示す説明板が、島外科病院の旧館取り壊しに伴い16メートル北側に移設
1994/2/3
子供たちに百万分の一の大きさの地球を作らせ、相互理解や平和の大切さを体験させる「ビルディング・ア・ニューワールド」計画を各地で進めている米ミネソタ大の国際関係研究所次長ウォルター・エンローさんが広島平和文化センターなどを訪れ、広島での実行を提案
1994/2/3
ウクライナ最高会議が、核兵器を全廃して非核国となることを規定した第1次戦略兵器削減条約(START1)とリスボン議定書を批准する決議を採択
1994/2/5
爆心地そばの広島市本川尋常高等小学校(現本川小)を1941年に卒業した同窓生20人が、50回忌で母校に集まり、級友や恩師のめい福祈る
1994/2/5
故森滝市郎さんの合同お別れ会が広島市内であり、1,000人が参列
1994/2/6
英外務省が、1950年代の水爆実験の放射能を帯びたチリを外交行のうに隠し、通常の航空便でロンドンに不法輸送していた-。英日曜紙オブザーバーが報道
1994/2/8
1986年10月に大西洋で沈没した旧ソ連のヤンキー級原潜のミサイルから放射性物質が漏れ出している-。ニューヨーク・タイムズ報道
1994/2/9
日本画家平山郁夫さんが自らの被爆体験を基に描いた「広島生変図」を陶製の壁画にして平和記念公園内に建設中の原爆資料館東館に展示しようと、有志による「製作会」が発足。カンパ募る
1994/2/10
米国防総省が、1994年国防報告を大統領と議会に提出。従来の「拡散防止」から兵器の破壊や押収も辞さないとする「拡散阻止」に比重を移す方針を強調
1994/2/11
南アフリカが1970年代半ば、核兵器開発のためイスラエルと協力し、酸化ウランやトリチウムを相互に売買-。南アの週刊紙ウイークリー・メールが報道
1994/2/12
米国立ロスアラモス研究所でマンハッタン計画に指導的役割を果たした物理学者チャールズ・クリッチフィールド氏が死去。83歳
1994/2/13
広島県加計町の安野発電所建設工事に強制連行され、広島刑務所で被爆したとみられる中国人がもう1人生存。河北省の河北大の劉宝辰講師らの調査で判明
1994/2/13
中国電力の原発立地を争点とした山口県上関町議選が投開票され、原発反対派6人は全員が当選。定数2減の中で前回より1議席増
1994/2/14
広島大原爆放射能医学研究所の大幅な改組が国の1994年度予算の復活折衝で認められる
1994/2/14
プルトニウム利用政策について国内外の意見を聞く「プルトニウム国際専門家円卓会議」が東京で開幕。15日まで
1994/2/14
チェルノブイリ原発事故の障害に悩むウクライナの母子を救おうと、広島大工学部の長町三生教授らが広島に招いて診断や治療を計画。カンパ呼びかけ
1994/2/14
クリントン米大統領が訪米中のナザルバエフ・カザフスタン大統領と会談し、カザフスタンが核拡散防止条約(NPT)に正式加盟するとの署名文書受け取る
1994/2/15
島根県鹿島町が、中国電力島根原発3号機誘致を町議会で表明。17日に中電へ申し入れ
1994/2/15
広島市が改築中の平和記念館(原爆資料館東館)について、完成後は隣接の原爆資料館と一体運営し、名称も両施設合わせて、現在の原爆資料館の条例上の名称と同じ「広島平和記念資料館」とする方針
1994/2/15
長崎県被爆者手帳友の会が、連立与党に期待できないとして、被爆者援護法の制定運動を断念。現行二法の充実目指す
1994/2/16
日本被団協顧問で長崎原爆被災者協議会名誉会長の小佐々八郎氏が死去。88歳
1994/2/16
日本赤十字社広島県支部の招きで、チェルノブイリ原発事故の被災者治療に当たるロシアの医師ら3人が研修のため来日。小児甲状腺がんの増加を懸念
1994/2/17
米側の財政事情で足踏みしている放射線影響研究所の移転問題で、日米両国政府担当者が交渉、物別れ。厚生省は今後1、2年内移転は無理との感触
1994/2/18
中国政府が20日から中国領海内で核廃棄物投棄の禁止を決定-。新華社電が報道
1994/2/19
第五福竜丸平和協会が東京で、ビキニ被災40周年記念シンポジウム。元乗組員大石又七さんが「被曝の苦しみは今も続いている」と訴え
1994/2/19
インドが国産中距離弾道ミサイル「アグニ」の発射実験に成功
1994/2/21
ロンドン条約締約国会議が1993年11月に採択した低レベル放射性廃棄物の海洋投棄を全面禁止する条約改正に、ロシアが異議を申し立て-。国際海事機関が発表。ロシアの海洋投棄再開の不安高まる
1994/2/21
中国が過去に実施した大気圏内核実験で、爆発後90分内に陸軍が軍事演習を実施し核爆発下での実戦経験-。上海紙「文匯報」が国防研究書「当代中国国防科学技術事業」の内容を紹介し報道 1994/2/21
動力炉・核燃料開発事業団がプルトニウムの広報用に作ったビデオに対し、米エネルギー省のオレアリ長官が「危険性を過小評価」と回収を求める手紙を同事業団に送っていたことが判明
1994/2/21
原爆資料館に展示の被爆三輪車を題材に、元中学校教諭児玉辰春さんがまとめた絵本「伸ちゃんのさんりんしゃ」が英訳され、ビデオ絵本に
1994/2/22
「比叡山宗教サミット」などを通じて恒久平和実現を訴え続けた天台座主で総本山延暦寺住職の山田恵諦氏が死去。98歳
1994/2/22
フランス首相府が、事故続きの高速増殖炉実証炉スーパーフェニックスを、放射性廃棄物処分を目的とする研究炉として運転再開と発表
1994/2/23
「ロシアは、韓国と日本がロシア国内の核廃棄物処理場の建設を支援しない場合、原子力潜水艦150隻分の核廃棄物を日本海に廃棄処分すると通告」-。聯合通信が韓国政府当局者の話を報道。外務省は「聞いていない」
1994/2/23
仏政府が22年ぶりの国防白書を議会に提出。核抑止力は維持するが、核実験再開問題は棚上げ
1994/2/24
核軍縮を訴えて来日している米の平和運動家ダニエル・エルズバーグ氏が江田五月科技庁長官に、プルトニウムの生産中止など申し入れ
1994/2/24
イスラエル国会のシェバハ・バイス議長が広島市を訪れ、平岡市長と会談
1994/2/24
広島市の市民団体「元大正屋呉服店を保存する会」が、平和記念公園内に残る被爆建物、市レストハウス(元大正屋呉服店)の保存と活用を中本弘議長に請願
1994/2/24
「1954年3月のビキニ水爆実験で、米原子力委員会は人の住んでいる方向に風が吹いているのを知りながら実験を強行」-。ビキニ島住民の法律顧問ジョナサン・ワイスゴール弁護士が米下院で証言
1994/2/24
1993年度から受け入れ枠が二倍になった米在住被爆者の長崎治療で、女性4人が長崎で被爆者健康手帳を取得。25日、日赤長崎原爆病院に入院
1994/2/25
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が広島で平和アピールを発表して13周年、原爆慰霊碑前でカトリック信徒らが記念の祈り。広島訪問中のイスラエル国会のシェバハ・バイス議長も慰霊碑前で詩を朗読
1994/2/25
米ビキニ水爆実験で被曝したマーシャル諸島ロンゲラップ島の元村長ジョン・アンジャインさんが、静岡県での「3・1ビキニデー集会」参加のため来日。中国新聞のインタビューに、日本へ治療や調査団派遣を希望
1994/2/26
広島市内で日本被団協など主催の「被爆者総決起集会・広島」。900人が参加
1994/2/28
「放射線被曝者の歯のエナメル質から、被曝線量がほぼ正確に測定できる可能性」-。放射線影響研究所の中村典・遺伝学部副部長らが、広島市で開かれた「原爆症に関する調査研究班」報告会で発表
1994/2/-- 
ウラジオストクにあるロシア太平洋艦隊の原子力潜水艦修理工場「ズベズダ(星)」が、深刻な経営悪化で従業員大量解雇が必至の状況。工場に係留されている原子力潜水艦の安全確保が問題に

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