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ヒストリー

ヒロシマの記録1994 7月


1994/7/1
広島県議会が「核兵器の全面禁止・廃絶と世界恒久平和の実現について」の意見書を採択。核兵器廃絶は1986年3月に県議会の議決を経て県が宣言しているが、意見書は初めて。95年の被爆50周年を控え、県議会として改めて核兵器廃絶の意思を表明
1994/7/1
作家原民喜氏(1905~51年)の遺族が、原稿や書簡など現物資料1,535点を広島市中央図書館へ寄贈。うち50点を展示する「原民喜文学資料展」始まる
1994/7/1
浄土真宗安芸門徒が原爆死没者をはじめとする戦没者を追悼供養する「『かがやきあういのち』の集い」が広島市内で開幕。初日は50回忌法要などに7,000人の門徒が集う。2日まで
1994/7/1
8月9日実施予定の「ヒロシマ・ピース・コンサート」が、市民応援団でつくる実行委員会(委員長、香川基吉広島青年会議所理事長)の主催で例年通りの8月6日にも開催へ
1994/7/4
広島市内の小、中、高校や公民館が取り組む平和学習で、被爆者の体験を聞く機会を設けているのは半数に満たないことが、広島平和文化センターの調査で判明
1994/7/4
広島市の原爆資料館東館に、軍都としての広島の「被爆前史」を展示するよう求めている市民団体「前史展示連絡会」(松江澄代表世話人)が、東館の展示内容について「侵略性についての表現が不十分」と市に要望
1994/7/4
広島市が平和記念公園の原爆供養塔に安置された遺骨のうち名前の分かる914柱の納骨名簿を全国の自治体へ郵送。10回目。全国1,486カ所の公共施設などで15日から10月末まで一斉に張り出し、遺族らの連絡を待つ
1994/7/5
被爆三輪車を題材とする絵本「伸ちゃんのさんりんしゃ」が、高校生向けの英語教材として英訳出版。別に、米で子供向け絵本として出版する計画も
1994/7/6
チェルノブイリ原発4号機で、壊れた建物を覆うコンクリート建造物(石棺)に水がたまりやすくなり、残留燃料の核分裂反応促進や、放射能を含む水が地下水に流出する危険性。現地で監視しているロシア専門家の証言で判明
1994/7/6
原爆ドームの世界遺産リスト登録を目指して広島市が呼び掛けた「原爆ドーム世界遺産化推進委員会」広島委員会が、市内で初会合を開き発足
1994/7/6
社会党、さきがけと旧連立与党でつくる被爆者援護法プロジェクトチーム(森井忠良座長)が「国家補償の精神」を明記した法案大綱まとめる
1994/7/6
広島市内で被爆者援護行政史の編集委員会が初会合。市の被爆50周年記念事業の一つとして援護行政の歩みを編さん、発行へ
1994/7/6
全国の真言宗僧侶100人が、広島市の平和記念公園で原爆死没者の50回忌追悼法要
1994/7/7
原爆ドーム世界遺産化問題で、参院文教委員会の石井道子委員長(自民)ら7委員がドーム視察
1994/7/7
ロシアの核閉鎖都市チェリャビンスク70で5.5キロのウラン238が盗難。時期は不明
1994/7/7
広島の被爆者7団体の代表らが平岡市長と懇談し、国家補償に基づく被爆者援護法の実現に向けた取り組みを継続するよう要請
1994/7/7
チェルノブイリ原発事故が原因とみられる放射線障害に苦しむウクライナの大学助教授母子が、広島大工学部の長町三生教授ら研究者仲間の支援で来日し、東広島市を訪問。19日まで滞在し、広島大原医研などで検査へ
1994/7/7
ポーランドの作曲家クシシトフ・ペンデレツキ氏が広島市内で広島交響楽団を指揮して演奏会。34年前に作曲した「広島の犠牲者にささげる哀歌」を披露
1994/7/8
広島市が市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」に対し、現地調査や渡日治療の支援は「困難」と回答
1994/7/8
広島市内で故荒木武前広島市長市民葬。2,000人が参列
1994/7/8
広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)で被爆した看護学校生が、同期生の50回忌法要
1994/7/9
旧連立与党などによる被爆者援護法プロジェクトチームの座長を務めた森井忠良氏(社会・広島2区)と被爆者団体の代表が広島市内で懇談。森井氏は「1995年度予算の概算要求に間に合わせたい。自民党が合意すれば議員立法でもよい」と早期成立に向けた政権内協議を表明
1994/7/9
広島県被団協が故森滝市郎氏の後任理事長に事務局長の伊藤サカエさんを決める
1994/7/10
広島市平和記念公園で「被爆者援護法制定を求める被爆二世ヒロシマ集会」。広島県内の6労組と部落解放同盟の被爆二世グループでつくる広島県被爆二世団体連絡協議会(部家充代表)が初めて開催
1994/7/11
訪米中の平岡広島市長がワシントンの米エネルギー省でピーター・ブラッシュ筆頭副次官補やハリー・ペティンギル副次官補に会い、放影研の移転促進を要請
1994/7/11
世界平和を考える市民団体「地球家族機構」設立を目指す広島の被爆者らが、被爆アオギリの種を各国政治指導者へ贈るキャンペーンを開始へ
1994/7/12
韓国大邱市の韓国原爆被害者協会慶北支部(李碩図支部長)の26人が、浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで広島を訪問、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝
1994/7/12
広島の「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」(代表、恵木尚広島弁護士会会長ら7人)の代表が文化庁を訪れ、推薦期限となる10月1日までに、ユネスコへの手続きを終えるよう申し入れ
1994/7/13
長崎原爆の無縁遺骨の新しい安置所「原子爆弾無縁死没者追悼記念堂」が長崎市の平和公園そばに完成、仮安置されていた8,931柱を移す
1994/7/13
長崎被災協(山口仙二会長)が1995年8月に、被爆50周年記念誌3部作の発刊決める
1994/7/13
米オハイオ州のフィンドレー大のジーン・ナイ教授と原田ふみ子助教授が、フィンドレー市の子供たちの作った折りづる1,300羽を、平和記念公園の原爆の子の像へ
1994/7/13
広島県原水禁が、核兵器使用は国際法違反か否かについて各国政府が国際司法裁判所に提出した意見陳述書の内容に関する情報を入手。内容が推測できる20カ国のうち、半数が「国際法違反」を主張。核兵器保有国は「合法」の意見目立つ
1994/7/13
広島国際文化財団(山本朗理事長)が第3回「アジア記者招請プロジェクト」の招請記者を発表。台湾、シンガポール、カンボジアの計4人
1994/7/14
広島市内で、三菱重工業長崎造船所の被爆元徴用工、金順吉さん(韓国釜山市)の戦後補償請求訴訟を支援する集会
1994/7/14
社会党広島県本部(石田明委員長)が首相官邸を訪れ、村山首相に被爆者援護法の早期制定や広島市の原爆ドーム世界遺産化など要請
1994/7/15
村山首相が8月6日の広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式と、9日の長崎の原爆犠牲者慰霊・平和祈念式典に出席。両市の式典出席は1976年の三木首相、90年の海部首相以来
1994/7/15
広島東社会保険事務所が、三菱重工業広島機械製作所、広島造船所で被爆した韓国人元徴用工54人から請求があった厚生年金の加入確認で、42人を原簿で確認
1994/7/15
岡山県と同県苫田郡上斎原村が、動燃人形峠事業所で実施する使用済み核燃料の回収ウラン再濃縮を「環境保全上問題ない」と了承。核燃料サイクル実用化試験が本格スタートへ
1994/7/15
米空軍宇宙司令部のホーナー司令官が記者団との朝食会で、東西冷戦の終結などを理由に「核兵器を廃絶した方が良いと思う」との個人的見解を表明
1994/7/15
文化財保護審議会(鈴木勲会長)が、原爆ドームの世界遺産登録の前提となる文化財指定の可能性を検討するよう、文化庁に指示
1994/7/16
「ウラルの核惨事」で知られる放射能汚染で1950年代に無人となったロシア南ウラル地方のメトリーノ村の写真を、放影研の研究グループが入手。廃虚の教会が、かつての村の面影をわずかに伝える
1994/7/16
広島市の学校法人安田学園(安田実理事長)で、建物疎開や工場へ動員されたり、登校中に原爆で犠牲になった教職員、生徒328人の50回忌法要
1994/7/19
広島駅で被爆しながら避難の被爆者に切符を発行した元国鉄出札掛の22人が、広島県宮島町に集まり「被爆50周年記念すみれ会の集い」
1994/7/19
原爆遺跡保存運動懇談会(座長、後藤陽一広島大名誉教授)が、被爆建物である広島大理学部1号館を保存するよう広島市と県へ要請
1994/7/19
広島の被爆者7団体代表らが広島県庁を訪れ、藤田雄山知事と桧山俊宏県議会議長に、被爆者援護法実現へ向けた取り組みを要請
1994/7/20
旧連立与党の被爆者援護法プロジェクトチームが、援護法案大綱の修正案を政府に提出を決定。「国家補償の精神」を「国家補償的配慮」に変える
1994/7/20
「原爆ドーム世界遺産化推進委員会」東京委員会が発足
1994/7/20
村山首相が、原発について「危険なものは使わない方がいいが、電力需要を考え一定程度必要と肯定されれば、稼働しているものはやむを得ない」と、社会党の従来の反原発政策を転換
1994/7/20
広島市南区のニュー双葉美容室(沖絹子社長)の美容師14人が、広島赤十字・原爆病院で入院中の被爆者に恒例の美容奉仕
1994/7/20
村山首相(社会党委員長)が衆院代表質問で「自衛隊は合憲」との認識を初めて公式に明言。日米安保も不可欠と強調
1994/7/20
村山首相が衆院代表質問で、原爆ドームを世界遺産条約の遺産リストに登録する意義を認めながら、ユネスコへの推薦について明確な考え示さず
1994/7/21
被爆者援護法早期成立を目指す広島と長崎の被爆者団体などの連帯組織「ヒロシマ・ナガサキ会議」(仮称)の広島側準備会が発足
1994/7/22
自民党が、8月に広島、長崎両市で開かれる社会党・旧総評系の原水禁世界大会への初の党代表派遣を決定。6日の広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式、9日の長崎市原爆犠牲者慰霊・平和祈念式典へも党首脳が出席
1994/7/22
アジアからの留学生の半数以上は広島への原爆投下を肯定的にとらえていることが、創価学会広島学生平和委員会の調査で判明。同時に調査した日本人大学生の2割以上が原爆投下の日を知らず
1994/7/22
トルコのイスタンブール市警察が、旧ソ連諸国から流出したとみられるウラン10キロを押収し、トルコ人5人を逮捕
1994/7/22
村山首相が参院本会議代表質問で、被爆者援護法の制定に慎重な姿勢。河野洋平副総理兼外相(自民党総裁)は、従来の反対方針見直しに含みを残す発言
1994/7/22
広島平和文化センターが収録を続けている被爆者証言ビデオの1994年度版が完成
1994/7/23
広島県高校生平和ゼミナール(浜井修委員長、崇徳高2年)が、広島で被爆死した南方特別留学生の足跡をたどるサマーセミナーを開始。3日間、留学生ゆかりの人から聞き取り調査
1994/7/24
市民団体「第九条の会ヒロシマ」(代表世話人、岡本三夫広島修道大教授)が、村山首相の非武装中立論放棄への抗議文を首相に送付
1994/7/25
広島、長崎両県市の知事、市長、議長でつくる広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が国の1995年度予算編成に対する要望項目をまとめる。国家補償に基づく被爆者援護法に関しては、初めて「新たな法制度の創設」と表現して制定を求める意向明確に
1994/7/25
広島市が平和記念公園の原爆供養塔納骨室を報道機関に公開。1986年5月の骨つぼ開封調査以来
1994/7/25
米のプルトニウム人体実験被害者の長女が、原水禁国民会議(社会党・旧総評系)の原水禁世界大会で来日。東京で記者会見し「広島、長崎への原爆投下後も、米では核兵器開発の目的で人体実験が行われたことを知ってもらいたい」
1994/7/25
核兵器禁止法の制定を呼び掛ける「ガンバレ!非核宣言自治体キャラバン」が、広島市の原爆ドーム前と呉市役所前から出発。反核市民グループ「ピースリンク・広島・呉・岩国」のメンバーらが、県内の非核自治体82カ所のうち45カ所と岩国市など計47自治体を回る
1994/7/25
原爆投下直後の広島に大量の医薬品を届けたスイス人医師マルセル・ジュノー博士の足跡をたどるビデオ「第三の兵士」が完成
1994/7/26
米オハイオ州の核兵器工場で被曝、健康に障害が出たとして労働者と遺族らが損害賠償を米政府に求めた集団訴訟で、原告側と被告側双方が総額約2,000万ドル(約20億円)の賠償で和解
1994/7/26
日本被団協が、韓国ソウル市で8月6日に開かれる韓国原爆犠牲者追悼式(韓国原爆被害者協会主催)に初の弔問団派遣を決定
1994/7/27
北朝鮮の姜成山首相の娘婿だった康明道氏が韓国に亡命。「北朝鮮は1993年に核爆弾5個を完成」
1994/7/27
旧連立与党7党派でつくる改革推進協議会の政策幹事会が、被爆者援護法プロジェクトチームがまとめた援護法案大綱のうち「国家補償の精神」を「国家補償的配慮」とするなどの修正案を了承。28日、井出正一厚相に政府提案するよう申し入れ
1994/7/27
日本被団協や弁護士らでつくる世界法廷運動日本センターが五十嵐広三官房長官に、国際司法裁判所に「核兵器使用は国際法違反」との意見陳述書を追加提出するよう要請
1994/7/28
中国5県の社会党県本部書記長でつくる社会党中国ブロック協議会が、党委員長の村山首相が広島、長崎の平和式典へ出席する際、国家補償の原則に基づく被爆者援護法制定と軍縮への決意を明らかにするよう要請書を送付
1994/7/29
2年7カ月かけて車で全国の非核・平和宣言自治体を回った被爆者の千葉県松戸市、尾形隆憲さんと妻てる子さんが、広島平和文化センターを訪れ、1,733自治体の非核宣言文を寄贈
1994/7/29
学識経験者や政治家らでつくる「核軍縮を求める22人委員会」(宇都宮徳馬会長)が都内で「いまこそ、核のない世界を」をテーマにパネル討論会
1994/7/29
笠岡市の職員や市民が走り継ぐ「ピースラン」が原爆慰霊碑前から笠岡市へ向け出発
1994/7/29
文化財保護審議会史跡部会(尾藤正英部会長)が、原爆ドーム世界遺産化で課題となっている近代遺跡の文化財指定について、検討委員会の設置を決定
1994/7/30
移動劇団さくら隊犠牲者の50回忌が、平和大通り沿いにあるさくら隊原爆殉難碑前で営まれる
1994/7/30
社会党広島県本部などが、広島市の原爆慰霊碑前で、国家補償に基づく被爆者援護法の早期制定を求め緊急座り込み。350人が参加
1994/7/30
猛暑による水不足で実施が危ぶまれていた平和記念公園の「平和の池」の恒例の清掃奉仕が、消防団の協力で近くの川水を使って実施
1994/7/30
広島市内で核禁会議(民社党・旧同盟系)の全国集会
1994/7/31
原爆で級友の大半が亡くなり、生存者は4人とされていた旧広島市立造船工業学校(現市立広島商高)1年生のもう1人の生存者が、市内での慰霊祭に初めて参列
1994/7/31
広島市内各地で慰霊行事。比治山女子高では原爆死没者50回忌法要があり、中国軍管区司令部に通信隊員として動員され被爆死した前身の旧比治山高女の生徒を追悼。段原中でも前身の市立第一国民学校生徒の慰霊祭。市内各地や近郊に点在する慰霊碑を回る「原爆慰霊碑巡拝」には110人が参加
1994/7/-- 
広島市平和記念公園の清掃用にと6年前から手作りの竹ぼうきを贈り続けている広島県向原町の農業岡部盛雄さんが8月6日を前に製作に精を出す。あと250本作ると通算1,000本に
1994/7/-- 
長崎の証言の会が刊行している「平和読本ながさきへの旅」が1983年の発刊以来、19版、18万部に
1994/7/-- 
閉鎖されたカザフスタンのセミパラチンスク核実験場の地下に10キロトンの原爆が放置されたままに。8月から解体撤去へ

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