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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 2月


1993/2/1
国連軍縮カトマンズ会議がネパールで開幕。広島平和文化センターの大牟田稔理事長が参加
1993/2/1
広島市の被爆建物、旧陸軍被服支廠の再生策を探る広島県の「保存・活用方策懇話会」(座長、丸山茂樹日本はきもの博物館長)が「文化、歴史・平和、アジアの視点を基本に活用すべき」との意見で一致
1993/2/3
原水禁国民会議が全国活動者会議で、労組依存型運動からの脱却打ち出す
1993/2/4
中国電力の島根原発1号機が排出水(ドレン)増加のため、原子炉を手動停止
1993/2/4
米下院のピート・スターク議員が「米日パートナーシップ法案」を提出。被爆50周年に向け1995年に広島、長崎で「世界核軍縮会議を開こう」と提案
1993/2/4
新日本婦人の会安佐南支部(名越浪江支部長)が「橋のたもとで多くの被爆者を火葬した広島市川内の昭和橋の一部保存を」と広島市に要請
1993/2/4
広島大医学部構内にある被爆建物の旧陸軍兵器支廠1号館取り壊し始まる。1910年に完成、2階建て延べ2,300平方メートル。被爆直後は救護所に
1993/2/4
ベラルーシ共和国最高会議が第1次戦略兵器削減条約(START1)と核拡散防止条約(NPT)を批准
1993/2/5
ロシア環境省当局者が「ロシアの原子力潜水艦、砕氷船は低レベル放射性廃棄物を依然、海中に放出」と表明。旧ソ連が1960年代を中心に北極海周辺のカラ海に原子炉17基を廃棄したことも明らかに
1993/2/5
米エネルギー省ネバダ事務所の核実験記録集に、広島、長崎への原爆投下が「実験」と記載されていたため、同事務所が記述を変え原爆投下の正当性を付記
1993/2/8
社会党の赤松広隆書記長が、30年後の全廃を条件に原子力発電所の更新建設認める。6月5日、山花委員長が「原発容認には新設、更新は含まない」と否定
1993/2/8
外務省の招きで放射線医学などの研修を受けるロシア、ベラルーシの医師や研究者12人が来日。うち8人が広島入り。チェルノブイリ原発事故の被災者支援のため同省が始めた専門家招へい事業による初来日
1993/2/9
「北朝鮮に招かれた旧ソ連の核兵器技術者多数を、1992年10月、渡航寸前にロシア当局が阻止」-。タス通信が報道
1993/2/10
原爆遺跡の保存・活用に取り組むよう求めた考古学研究会(事務局岡山市)の要請書が平岡市長に届く。被爆建物の広島市レストハウスの現状保存、原爆ドームを国史跡に指定するよう文化庁への働きかけ-など要望
1993/2/11
核拡散防止条約(NPT)非加盟のパキスタンが、日本との事務レベル協議で「核開発は一定水準に達したが、平和目的のみで核兵器は製造しない。200発近い核爆弾を製造できるプルトニウムをインドが貯蔵しているのが心配」と表明
1993/2/12
原爆遺跡保存運動懇談会(後藤陽一座長)などが、被爆建物の広島赤十字・原爆病院の旧本館を保存するよう日赤広島県支部に要請
1993/2/12
広島市内で第8回広島・長崎宗教者平和会議開く
1993/2/13
北朝鮮の党機関紙「労働新聞」が、国際原子力機関(IAEA)の特別査察拒否を表明
1993/2/15
カザフ共和国放射線医学生態学研究所のアレクサンダー・セケルバエフ副所長ら2人が、放医協の受け入れで広島入り
1993/2/15
日本被団協が原爆ドームを世界遺産条約の文化遺産として推薦するよう政府に要請へ
1993/2/16
ウクライナ国防省のクルシコ核兵器局長が「戦略核兵器の維持管理にロシアが協力しないため整備に欠陥が生じ、放射能漏れの懸念」と表明
1993/2/17
日本政府から在韓被爆者への拠出金40億円が全額韓国へ
1993/2/18
ジュネーブ軍縮会議の1993年核実験禁止特別委員会が開幕。議長に田中義具軍縮大使
1993/2/18
米ロが、ロシアの廃棄核兵器から取り出す高濃縮ウランの再利用協定に調印。5年間で50トン
1993/2/18
原水禁国民会議が飯田功事務局長の後任に町田有三自治労副委員長を決める
1993/2/19
ミッテラン仏大統領が「他の核保有国が再開しない限り、核実験停止を継続」と表明
1993/2/20
日本原水協提唱の「核兵器廃絶・東京国際シンポジウム」が開催。マーシャル諸島と米の核実験被害者3人を含む300人が参加。21日、広島市で開催
1993/2/21
「カーター元米大統領の在韓米軍撤退計画に危機感を抱いた朴正煕元大統領が、極秘に核兵器開発計画を進めていた」-。「月刊朝鮮」3月号で元韓国大統領側近が証言
1993/2/21
「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」の江口保さんが呼びかけ、東京で「第6回ヒロシマ修学旅行を語る会」開く。アジアの特派員2人が講演
1993/2/22
広島市平和大通りの将来構想を検討する「平和大通り将来構想検討連絡協議会」(議長、山野宏助役)が市役所内に発足
1993/2/23
広島県原水禁の宮崎安男代表委員らが中国大使館に核実験の停止を要請
1993/2/23
日本被団協が都内で、国の「原爆死没者慰霊等施設」計画に関するシンポジウム開催
1993/2/23
長崎市が、在韓被爆者援護のため被爆者認定情報の提供などで市職員を韓国派遣へ
1993/2/23
米カリフォルニア州バークレー市議会がプルトニウムの生産と使用禁止決議を採択。広島、長崎、チェルノブイリなどにも賛同求める。同地は52年前、カリフォルニア大バークレー校でプルトニウムを発見
1993/2/24
広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)の医師、看護婦らの手記集「いのちの塔」映画化で、橘祐典監督らが旧本館を撮影。共同映画全国系列会議が製作
1993/2/24
米中央情報局(CIA)が上院に提出したロシア外務省の資料で「イスラエル、パキスタン、インドは既に核兵器を持ち、南アフリカ、北朝鮮は核兵器製造用核物質を保有」と分析。イスラエルの保有数は200発
1993/2/25
国際原子力機関(IAEA)理事会が北朝鮮に、核疑惑が持たれている寧辺の2施設への特別査察を1カ月以内に受け入れるよう求める緊急決議を採択
1993/2/25
広島県教委が広島市中区の被爆建物、頼山陽記念館を改築へ
1993/2/25
「非核の政府を求める会」(事務局長、中島篤之助中央大教授)が、核兵器廃絶の追求や被爆者援護法制定などを宮沢首相に申し入れ
1993/2/26
「ロシア海軍が日本海などで原子力潜水艦の使用済み原子炉を含む核廃棄物を秘密裏に投棄していた」-。英テレビのチャンネル4が報道
1993/2/27
日本原水協が静岡市で国際交流会議など、第五福竜丸被災39周年の「3・1ビキニデー」集会開く。日本生活協同組合連合会も同市で「93生協3・1・ビキニデー虹の広場」。28日、焼津市で3・1ビキニデー集会(同県実行委員会主催)。2,000人が参加
1993/2/-- 
終戦後数年間、原爆ドーム南側にあり原爆絵画展の会場などとなった「五流荘」の写真見つかる。1948年から53年まで呉市に駐留していた元オーストラリア兵ビル・シェリフさんが撮影
1993/2/-- 
内紛から組織分裂した米国原爆被爆者協会(本部サンフランシスコ)の新会長にケン・ナカノ氏(シアトル市)が選ばれる
1993/2/-- 
仏のミホ・シボさんが呼びかけた反核アニメ「つるに乗って」が製作開始

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