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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 6月


1993/6/1
米スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のトーマス・クローチ航空学部長が広島市で、被爆50周年の展示会について「威力を誇示する内容にしない」と語る
1993/6/2
厚生省の「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」(座長、森亘元東大学長)が「慰霊施設と個別弔意の区別を明確にする」と決定
1993/6/2
1992年度に平和学習で広島を訪れ、語り部団体の被爆者から体験を聞いた修学旅行生らは91年度より5%増の約24万人。広島平和文化センターが集計
1993/6/3
国連軍縮室などが、被爆50周年に長崎市での国連軍縮会議開催を検討
1993/6/3
日本航空と全日空が広島赤十字・原爆病院に北海道のスズラン。日本航空32回目、全日空38回目
1993/6/4
エリツィン・ロシア大統領が「米が核実験を再開しなければロシアも6月末で期限切れとなる核実験凍結を延長」と表明
1993/6/5
1991年11月、ロシア軍ミサイル運搬船の「新型ミサイル」が、サハリン南部でしけのため海中に転落。ロシア国防相が指揮したが回収できず
1993/6/5
日本ユネスコ協会連盟(栗野鳳理事長)が、原爆ドームの世界遺産化運動に協力を決める
1993/6/5
日本被団協が1985年に実施した原爆被害者調査の最終結果を発表。死を免れた被爆者のうち63%の8,281人が「何らかの罪意識」。「助けられなかった」(7%)「負傷者に水をやらなかった」(3%)など
1993/6/5
日本被団協が総会で、被爆50周年に向けた運動方針を決定。1995年の国勢調査に合わせた被爆者実態調査の実施と「原爆被害白書」の作成を国に求める。「核兵器ゼロ・核兵器被害者補償制度の確立をめざす国際シンポジウム」(仮称)開催を準備など
1993/6/6
広島市内で原子爆弾後障害研究会。広島大原爆放射能医学研究所(原医研)と広島原爆障害対策協議会(原対協)が広島の被爆者が受けた放射線量の新算定方式DS86‐GENを共同考案し発表
1993/6/7
広島市内で連合広島が呼びかけ県内13団体が「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」の結成総会。100万人署名を目標。19日、初の街頭署名
1993/6/7
「被爆者援護法実現みんなのネットワーク」(呼びかけ人、大江健三郎氏ら53人)が全国会議員に被爆者援護法早期制定を要請
1993/6/7
インドにあるダライ・ラマのチベット亡命政権が「チベット・事実から真実を証明する」と題した報告書を発表。中国がチベットに多数の核製造施設を保有するとともに「約90発の核弾頭を配備」と指摘
1993/6/7
「長崎原爆松谷訴訟」で厚生省が福岡高裁に控訴。「判決全体が、現代の放射線医学の知見に反する見解に基づいて理論構成されている」
1993/6/8
市民団体「原爆の被害展示と合わせて『軍都広島』の前史展示を求める連絡会」(代表、松江澄広島原水禁常任理事)が、新しい平和記念館に軍都広島の歴史を展示するよう広島市に申し入れ
1993/6/9
南アフリカの国営兵器会社アームスコー当局者が「6月初めからカラハリ砂漠にある核実験用竪坑2本の埋め戻し、封鎖作業を開始」と発表
1993/6/10
1955年に広島市で開かれた第1回原水爆禁止世界大会に参加したインド代表ソムチャンド・シャーさんの息子マユール・シャーさんが原爆慰霊碑に参拝
1993/6/10
西シベリアの軍事閉鎖都市トムスクの再処理施設で起きたウラン溶液貯蔵タンク爆発事故で、約1,100ヘクタールが放射能汚染-。新潟市で開かれた「第1回日露北東アジア医学交流国際シンポジウム」で、シベリア医科大のビチェスラフ・ノビツキー教授らが発表
1993/6/10
広島県双三郡三良坂町出身のビオラ奏者沖田孝司さんの呼び掛けで、ドイツのドルトムント市立フィルハーモニー管弦楽団が同市で被爆者のためのチャリティー・コンサート
1993/6/11
北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)脱退が正式発効する12日を前に、米と北朝鮮が脱退棚上げなどで合意し、危機をいったん回避
1993/6/11
広島県被団協(森滝市郎理事長)が「県被団協ニュース」の創刊など本年度の運動方針決める
1993/6/11
放射線影響研究所が理事会で、重松逸造理事長の4選決める
1993/6/11
ワシントン・ポスト紙が「クリントン米政権が核実験再開方針固める」と報道
1993/6/12
広島市の市民団体「第九条の会ヒロシマ」(世話人代表、岡本三夫広島修道大教授)が憲法九条全文を書いた布で原爆ドームを取り囲む
1993/6/13
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が米の核実験再開に反対する声明を発表
1993/6/15
米国原爆被爆者協会が2つに分裂後初めて広島県医師会が派遣する第9回在北米被爆者検診団が出発。団長、広島原爆障害対策協議会健康管理センターの伊藤千賀子副所長。19日、検診開始前に6月末で引退のトーマス・ブラッドレー・ロサンゼルス市長を表敬訪問。長年の協力に対し、広島市、広島県医師会から記念の盾
1993/6/16
指揮者ウラジーミル・フェドセーエフさんがモスクワ放送交響楽団の一部を率いて広島赤十字・原爆病院でミニコンサート。広島訪問は4回目
1993/6/18
衆院解散に伴い被爆者援護法案が廃案に。1989年12月、参院で初めて可決されたが衆院で審議未了、廃案。92年2月、再び参院で可決されたが、衆院では議院運営委員会で預かりの後、11日に厚生委員会に付託
1993/6/18
島根県鹿島町議会原子力発電特別委員会が中国電力島根原子力発電所の3号機増設請願採択を決める。23日、議会が採択
1993/6/19
山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑を財政的に援助する「ゆだ苑を支える会」が山口市内で設立総会。初代会長に安部一成ゆだ苑理事長決める
1993/6/21
韓国陜川に着工予定の被爆者福祉施設を運営する大韓赤十字社原爆福祉事業所長と在韓被爆者代表が、長崎市を訪れ被爆者施設を視察(長崎新聞6・22)
1993/6/22
ウォルコゴノフ・ロシア大統領軍事顧問が「朝鮮戦争で1951年7月に始まった休戦交渉は、当時のスターリン首相が米の核兵器使用を恐れて命令」と公表
1993/6/22
広島県被団協理事長で同県原水協理事長の市岡正憲氏が脳腫瘍のため死去。74歳。1945年8月8日、小学校の教諭で学童疎開先から広島市に帰り入市被爆。93年1月から現職
1993/6/24
大韓赤十字社原爆福祉事業所の崔榮奎所長と韓国原爆被害者協会の鄭相石副会長が、韓国陜川郡に建設する在韓被爆者の福祉施設の参考にするため広島市の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」など視察
1993/6/24
「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」(座長、森亘元東京大学長)が最終報告書を厚生省に提出。基本理念を「原爆の資料・情報を収集整理し後代に引き継いで行くのはわれわれの歴史に対する責任」とし、施設の機能として(1)慰霊・平和祈念(2)資料情報の収集、利用(3)国際協力・交流-を挙げる
1993/6/25
広島県賀茂郡黒瀬町議会が「アウシュビッツ平和記念館建設基金設置条例」廃止案を可決。町は賛同寄付金約1,000万円を返還へ
1993/6/26
広島県被団協の故市岡正憲理事長の後任に副理事長の金子一士氏が決まる。金子氏は広島市安芸区出身で、松江市から救援に来た医師らを案内し入市被爆
1993/6/28
平岡広島市長が市会本会議で、国内外の平和や戦争に関する博物館とのネットワークづくりを表明 1993/6/29
「チェルノブイリ救援・中部」(名古屋市)の招きでウクライナの少年が名古屋市で治療へ
1993/6/29
中国電力株主総会で、原発反対派「脱原発へ!中電株主行動の会」(木原省治代表世話人)が、初めて株主提案をした原発推進路線からの撤退を求める議案を否決
1993/6/29
平岡広島市長がクリントン米大統領に核実験を再開しないように求める書簡送る
1993/6/30
クリントン米政権が核実験再開を断念の方針。「他の核保有国が先に実験しない限り、実験再開しない」。30日付のワシントン・ポスト紙が伝える
1993/6/30
広島市で「旧燃料会館の保存を考える語り部の会」(栗栖洋世話人代表)と「原爆遺跡保存運動懇談会」(後藤陽一座長)が主催し旧燃料会館(現市レストハウス)の保存を考える集い
1993/6/30
広島の学者、文化人が中心の「核不拡散条約を考える会」(庄野直美氏ら)が宮沢首相に、「NPT条約の無期限延長に反対」の声明書送る。(1)延長すれば核保有5カ国の核兵器を無期限に容認(2)核保有国の核軍縮に対する誠実さが認められない-などが理由
1993/6/-- 
ニューヨークで開いた核拡散防止条約(NPT)延長会議のための第1回準備委員会が、1995年の会議を同年4月17日から4週間、ニューヨーク開催と決める
1993/6/-- 
笠岡市の森昭胤岡山大医学部教授宅で仁科芳雄博士らが昭和10年代に開発した放射線測定器見つかる
1993/6/-- 
小説家の中山士朗氏が「原爆亭折りふし」出版。西田書店
1993/6/-- 
被爆建造物の調査を進めている長崎市が市内237の老人クラブ会長にあて、被爆建物の情報提供の調査票を送付(長崎新聞6・16)

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