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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 8月


1993/8/1
広島の市民団体が平和のイベントをネットワーク化し、集中開催する「ピースウイーク93inヒロシマ」が始まる
1993/8/1
松江市で主婦らが原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」を上演
1993/8/2
日本青年学生平和友好祭実行委員会が広島市で「アジア青年平和フォーラム」開催
1993/8/2
ドイツ・ドルトムント市の市立フィルハーモニーオーケストラのビオラ奏者沖田孝司さん(広島県三良坂町出身)が原爆養護ホーム舟入むつみ園を慰問
1993/8/2
米ニューメキシコ州ロスアラモスに「原爆の子の像」の姉妹像を建立する運動をしている女子高生ボニー・マルコムさんが平和記念公園を初めて訪問
1993/8/2
広島市内で核禁会議が広島地方集会。150人が参加し、友愛会議が1994年1月に友愛政治連盟に切り替わるのを受け、「連合への運動の継承」を論議
1993/8/2
政府が広島市の平和記念式典への宮沢首相の出席を正式断念。新内閣の決定に一任へ
1993/8/2
広島原爆投下の日に上空を陸軍機で飛んだ徳山市の安沢松夫さんが、当時の飛行帽や手記を並べた資料館を自宅につくり、公開始める。8日、被爆当日に安沢さんに下関市小月基地まで飛行機で運んでもらった三重県鈴鹿市の中村保夫さんが資料館を訪ねる
1993/8/3
広島市が米スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館から届いた「展示計画書」を発表。「クロスロード(岐路)-第2次世界大戦の終結、原子爆弾、そして冷戦の始まり」の名称で1995年5月から96年1月までの9カ月間開く。キノコ雲などを映像で映し出す導入部に続き、「終結への戦い」「原爆投下の決定」「原爆輸送」「広島1945年8月6日午前8時15分/長崎8月9日午前11時2分」の4つのユニットを設け、結論部で米退役軍人の意見とともに広島、長崎の市長メッセージを展示する計画 1993/8/3
日本原水協の原水爆禁止1993年世界大会の国際会議が広島市で開幕。18カ国、10国際組織の海外代表54人を含む280人が参加。チェルノブイリ医療センターのアウスレレ・ジブテ・ケスミニエネ医師らがチェルノブイリ原発事故の処理に当たったリトアニア人の中に悪性腫瘍にかかる患者が増えていると報告
1993/8/3
広島教育会館(高橋晋作理事長)が1泊2日で3回目の「親と子のヒロシマ体験学習」。費用はすべて会館が負担し2日間にわたり平和学習
1993/8/3
中国の呂学文さんと孟昭恩さんが広島市の西松建設中国支社に対し、同社が請け負った広島県加計町の安野発電所建設工事に強制連行されたことへの謝罪表明や補償などを要求
1993/8/3
被爆敷石を展示している岐阜県蛭川村の博石館が広島市に入館者の募金17万円を寄付。1986年の開館以来毎年
1993/8/3
広島県被団協(森滝市郎理事長)が、平和宣言から被爆者援護法の字句が消えることについて市に異議申し入れ
1993/8/3
写真家土田ヒロミさんが東京で「ヒロシマ・モニュメント2」開く。1979年に撮った広島の遺跡、遺物50点と現在の姿を並べ姿を消す被爆遺跡を示す
1993/8/4
チェルノブイリ原発被曝者の治療を続けているウクライナの国立臨床放射線学研究所のウラジーミル・ベベシュコ所長が放医協の招きで広島入り。広島大原医研で研修へ
1993/8/4
米スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長が広島入り。平和記念式典、世界平和連帯都市市長会議に非公式に出席へ
1993/8/4
日本の市や町と姉妹都市縁組を結んでいるドイツ13市の若者代表26人が各姉妹都市から広島入り。広島国際青少年協会とドイツ・ハノーバー市が交流25周年を記念し開く。5日、「平和の灯」を採火
1993/8/4
生協ひろしまが主催し「93ヒロシマ文化のつどい」。「ねむの木学園」園長の宮城まり子さんが講演
1993/8/4
中国新聞が元気に語り部活動をする府中市の下江武介さんの健在ぶりを連載「草の根の8・6備後の継承」で紹介
1993/8/4
ニューヨークの「広島『原爆の子』記念財団」(内田仁理事長)主催の英訳「原爆の子」読書感想文コンクールに入賞した米国の高校生2人が広島入り
1993/8/4
原水禁国民会議の「被爆48周年原水爆禁止世界大会」広島大会が、広島市の中央公園で開幕。6,000人が参加
1993/8/4
広島の学者、文化人でつくる「核不拡散条約を考える会」(庄野直美代表)が、核拡散防止条約(NPT)の無期限延長論反対を訴えるアピールを全国の有識者らに発送へ
1993/8/5
東京芸大講師で琴の宮城会大師範、砂崎知子さん(東京都在住)が広島市へ箏独奏曲「祈りの夏-広島に捧ぐ」を贈る
1993/8/5
広島市教組など主催の「似島少年少女のつどい」が広島市似島で。20回目
1993/8/5
1993年反戦反核広島集会実行委員会(松江澄代表)主催の「平和に生きる社会を創るヒロシマのつどい」始まる。憲法九条の条文を書いたリボンで原爆ドームを取り囲む行動で幕開け
1993/8/5
原水禁国民会議の世界大会の国際分科会として初の「アジア被爆者フォーラム」。中国、韓国在住の被爆者らが体験話す
1993/8/5
第3回世界平和連帯都市市長会議が広島国際会議場で開会式。海外47カ国79都市、国内35都市の代表250人が参加。平岡市長が都市連帯の拡大強化、被爆50周年に広島で国連軍縮総会を開催するよう要請など4項目の平和創造の具体策を提案。ストヤン・ガーネフ国連総会議長(ブルガリア)が特別講演
1993/8/6
「広島-長崎ピースラン」(同実行委員会主催)のランナー6人が平和記念公園をスタート。国内2人と米、英、スイス、中国各1人
1993/8/6
広島市内で非核宣言自治体全国大会
1993/8/6
連合が広島市内で軍縮、国際協力をテーマに「平和ヒロシマフォーラム」。1,000人が参加。国連難民高等弁務官事務所のギィ・プリム駐日代表が援助を訴え
1993/8/6
被爆後の広島市で犠牲者の救護に当たった広島県警警備隊が「県警察警備隊友の会」を発足
1993/8/6
モンゴルの歌手オユンナさんが広島で、母国で広く歌われている「ヒロシマの少女の折鶴」を披露。歌詞はモンゴル語で作詞・作曲者は不詳。オユンナさんも「幼稚園のころから歌っていた」
1993/8/6
広島県外でも山口市、岡山市などで追悼式や慰霊祭
1993/8/6
長門市大津原爆被爆者友の会が、結成20周年記念と犠牲者の慰霊のために結成した「広島・長崎原爆殉難平和祈念碑」の除幕式
1993/8/6
平岡広島市長が平和宣言「…核拡散防止条約を無期限の条約にしようとする核保有国の動きに私たちは強い危惧の念を表明する。…核兵器を持つ国と持たない国との関係を不安定にするだけでなく、核兵器廃絶の願いに反するからである。…技術の進歩が著しい原子力平和利用についても、安全最優先の見地から放射性物質、とりわけプルトニウムの国際管理体制を確立し、国家を越えて、その透明性を確保することが急務である。…日本がかつての植民地支配や戦争でアジア・太平洋の人々に苦難を与え、その心に今も深い傷を残していることを私たちは知っており、率直に反省する。特に隣国の朝鮮半島にすむ多くの原爆被爆者がたどった戦後の足跡を思うとき、私たちの心は痛む。…いまだに清算されていない、いわゆる戦後処理問題に速やかな決着をつける日本政府の決断が不可欠である。…」
1993/8/6
広島被爆48周年。広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式。新たに確認された原爆死没者4,878人の名簿を奉納、名簿記載総数は18万1,836人に。平岡市長が「核兵器の開発・保有は人類に対する罪」「NPT無期限延長は核兵器を持つ国と持たない国との関係を不安定にする」と平和宣言。政局激動と重なり、宮沢首相や閣僚、衆参両院議長が1人も参列しない異例の式典となり、政府からは文田久雄総理府次長が参列。捕虜として長崎に収容中に原爆を見たオーストラリア・ワリンガ市の元市長ポール・クーバレイトさん出席
1993/8/6
中国新聞が連載「体験なきヒロシマ」で、被爆者をテーマとした小説「暗い森を抜けるための方法」で1993年群像新人文学賞の佳作を受賞した足立浩二さん(呉市出身)を紹介
1993/8/6
「第九条の会ヒロシマ」(世話人代表、岡本三夫広島修道大教授)が、中国新聞朝刊に意見広告「平和への希望『憲法九条』を世界に広めよう」を掲載
1993/8/6
中国新聞社が平和宣言を世界各地の新聞社78紙にファクス送信し、掲載してもらう初の「8・6プロジェクト」を実施
1993/8/6
岡山県浅口郡里庄町の主婦らでつくる人形劇グループが被爆朗読劇「この子たちの夏」を同町で上演
1993/8/6
原爆問題を主題にした「広島の女」シリーズの上演を続けている広島市出身の村井志摩子さんの第7作「螺旋階段」が東京で初演
1993/8/6
平和を託す「1,000人似顔絵描き」に挑戦している鹿児島県の画家徳永隆さんが広島市内で公開制作。4年ぶりに目標達成
1993/8/6
広島市御幸橋のたもとで撮った松重美人さんの写真に写る坪井直さんが広島県被団協(森滝市郎理事長)の事務局員として被爆者の世話へ
1993/8/7
広島市江波地区で初の原爆死没者慰霊・追悼式典
1993/8/7
1945年8月6日、広島市に入り約1週間、遺体の処理や犠牲者救援に当たった東広島市や周辺の出身者でつくる「賀北部隊」が、東広島市の「賀北部隊・原爆被災者救援の碑」前で記念式典
1993/8/7
広島市内で各国の子供らによるミュージカル「ピースチャイルド〓93」公演
1993/8/7
6日終わった原爆罹災者名簿公開で、原簿の破損のため死亡場所を確認できないケースも出る
1993/8/7
広島市の江波山気象館で、元広島地方気象台の技術主任として黒い雨などの調査に当たった広島市の北勲さんの体験を聞く会開く
1993/8/8
第3回世界平和連帯都市市長会議が長崎市で再開。海外35カ国72都市、国内21都市の計196人が参加
1993/8/8
被爆者の体験を次世代に継承する市民運動を起こそうと日本被団協や日本生協連、日本青年団協議会などが長崎市内で「市民平和シンポジウム」
1993/8/9
第3回世界平和連帯都市市長会議が「ヒロシマ・ナガサキアピール」を採択し閉幕。アピールは「包括的軍縮を進め、軍事費削減で生じる『平和の配当』を飢餓などに振り向けること」などを要求。9月14日、アピール英文にある「戦争手段としての組織的なレイプ」の表現が、日本語アピールからは抜けていることが問題に
1993/8/9
長崎市で2万5,000人が参列し、原爆犠牲者慰霊・平和祈念式典。23年ぶりに首相や閣僚が参列しない式典に。新たに死亡が確認された3,400人の名簿を奉安し総計、9万9,245人に。本島等市長が、核兵器全面禁止国際協定の締結を求める平和宣言
1993/8/9
本島等長崎市長が平和宣言「…今過去を振り返り、現在を見つめ、未来に決意しよう。日本はアジアへの侵略を反省し、戦争責任を明確にし、戦後処理を誠実に行わなければなりません。…この条約(核拡散防止条約)は核兵器廃絶をめざした条約ではありません。速やかに核実験の全面禁止と、多国間交渉により核兵器全面禁止国際協定を締結すべきであります。また、ロシアでは核兵器の解体、処理が進まず、そのうえ放射性廃棄物が日本海などに捨てられていることが明らかになりました。今こそ地球的規模の核汚染を防ぐため国際的な協力体制が必要であります…」
1993/8/9
細川内閣が発足。大内啓伍厚相が記者会見で被爆者援護法の制定に慎重姿勢
1993/8/9
韓国の大学生ら若者37人が朝鮮半島から日本への強制連行の足跡をたどる旅を企画し、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝
1993/8/9
中国人被爆者の呂学文さん、孟昭恩さんが福岡から帰国。広島市が原爆特別措置法に基づく「保健手当」1カ月分を交付。中国人被爆者への被爆者手当は初
1993/8/10
ジュネーブ軍縮会議が、包括的核実験禁止条約締結のための多国間交渉を1994年初め開始と決定
1993/8/10
細川首相が記者会見。核拡散防止条約(NPT)無期限延長を支持。被爆者援護法については明確な方針を示さず
1993/8/10
米弁護士協会がニューヨークで、米ローゼンバーグ夫妻に対する「再審」の模擬裁判。夫妻は原爆開発の機密をソ連に渡そうとしたとして1953年6月にスパイ罪で死刑に。陪審は無罪を評決
1993/8/10
広島県が旧陸軍被服支廠の保存活用策を探るため検討委員会を設置
1993/8/11
「広島への原爆投下3カ月前に日本軍上層部の降伏の意向を示唆する情報を米が通信傍受で入手」-。ニューヨーク・タイムズが報道
1993/8/11
ナウルで南太平洋諸国会議。核廃棄物の海洋投棄全面禁止や南太平洋非核条約調印の訴えなどのコミュニケを発表し閉幕
1993/8/17
仏南部のツーロン港で仏原子力潜水艦リュビスと仏タンカーのリリアが衝突。タンカー船腹に亀裂が入り、原油50トンが漏れる
1993/8/18
広島の被爆者らによる「日韓被爆者交流団」(豊永恵三郎団長)の17人が広島を出発。5回目。元徴用工と交流へ
1993/8/18
「レーガン政権時に軍、政府当局者が戦略防衛構想(SDI)で実験データをねつぞう」-。ニューヨーク・タイムズが報道
1993/8/20
長崎市が「原子爆弾被爆建造物の取り扱い基準」を策定(長崎新聞8・21)
1993/8/23
核拡散防止条約(NPT)無期限延長支持の細川首相所信表明演説に対し、平岡広島市長が「核兵器廃絶へのワンステップ」と理解示す
1993/8/25
厚生省の1994年度予算概算要求で、被爆50周年の95年度に被爆者実態調査を実施するための準備費200万円を計上。原爆死没者慰霊等施設の設計費は、建設場所の決定が広島、長崎ともできなかったため見送り
1993/8/27
細川首相が参院本会議で、被爆者援護法について「一般戦災者との均衡という基本的な問題がある」と慎重な答弁
1993/8/27
「原爆乙女」渡米治療や平和運動に貢献した広島名誉市民の医師原田東岷さんに、1993年度の「日本医師会最高優功賞」が決まる。11月1日、東京で授賞式
1993/8/31
平岡広島市長が、9月末の国連総会で演説する細川首相に「被爆50周年の1995年に国連軍縮特別総会または核兵器の速やかな廃絶を誓う軍縮会議を開催するよう国連に求めてほしい」と要望書
1993/8/31
在日米軍三沢基地の軍曹が、車に張っていた「核兵器廃絶」などと記したステッカーを上官の命令ではがしたのは、上官の越権行為と後に謝罪
1993/8/-- 
神奈川県鎌倉市の詩人橋爪文さんが被爆時に看病してくれた命の恩人をテーマに詩「出会い」をつくり広島市在住の遺族に贈る
1993/8/-- 
大阪府豊中市が同市内にある峠三吉氏の生家を探す
1993/8/-- 
「日本の平和度は過去最高の79.0点、世界の平和度は過去最低の41.0点」。広島の出版社が全国の高校2年生を対象(約1,000人が回答)にアンケート調査
1993/8/-- 
広島市の劇作家尾津訓三さんが「占領下における広島県内の文芸活動と検閲」を「広島市公文書館紀要」に発表。原爆関連の検閲は7カ所
1993/8/-- 
東京在住の神戸美和子さんが被爆体験記「ひろしまの夏」を発刊。草の根出版会
1993/8/-- 
福井県小浜市の僧侶中島哲演さんの被爆者救援托鉢が600回に。25年前から毎月6日、9日に地元の80戸の民家を托鉢

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