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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 10月


1993/10/1
科学技術庁が日本のプルトニウム所有量や過去の使用量の全容を初めて公表。これまでの総供給量は8,230キロ、使用分を除いた所有量は4,500キロ。うち国内に1,600キロ、国外に2,900キロ
1993/10/1
「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」(代表委員、古田隆規広島弁護士会長ら6人)が広島市内で遺産化実現県民集会。賛同署名が122万4,825人と報告
1993/10/1
国際原子力機関(IAEA)総会が北朝鮮への憂慮を表明し、核査察受け入れを求める決議を賛成多数で可決。日本など72カ国が賛成、北朝鮮とリビアが反対、中国など11カ国が棄権
1993/10/5
放医協が主催し広島市で国際医療協力をテーマに講演会。広島大原医研の藤村欣吾助教授、国際保健医療交流センター(熊本)の蟻田功理事長らが講演
1993/10/5
米スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館への被爆資料貸与問題で、広島平和文化センターの大牟田稔理事長が同博物館視察に広島を出発
1993/10/5
平岡広島市長が中国核実験に抗議文
1993/10/5
クリントン米大統領がエネルギー省に核実験再開準備に入るよう指示。しかし、米大統領報道官は「米は当面、核実験停止を継続」と発表。中国核実験に日本政府、ロシアが遺憾の意を表明
1993/10/5
中国が約1年ぶりに地下核実験。同時に1996年までの核実験全面禁止条約の締結を呼び掛け。ロンドンの核問題監視団体の検証技術情報センターは中国時間5日午前10時、ロプノル核実験場で実験が行われたことを71カ所の地震計で確認。1992年9月25日以来
1993/10/6
台湾台北市の分譲マンションで建材に混入した放射性物質で被曝したとみられる住民13人と医師が、検診などのため広島入り。府中町のマツダ病院で検査。26日、4人に肝機能障害などが見つかる
1993/10/6
東京の二科会評議員吉野正明さんが広島赤十字・原爆病院に自作の絵4点を贈る。5回目
1993/10/6
国連軍縮フェローシップ計画の29カ国30人が原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1993/10/6
武村正義官房長官が中国の核実験に遺憾の意を表明。外務省は徐敦信駐日大使に抗議
1993/10/6
2つの広島県被団協がそれぞれ、中国の核実験への抗議文を送付
1993/10/6
ミッテラン仏大統領が、核実験について「現情勢では再開は好ましいとは思わない」との見解示す
1993/10/7
広島県被団協(森滝市郎理事長)の瀬戸高行副理事長らが広島市の原爆慰霊碑前で、5日の中国核実験に抗議の座り込み。岡山市でも「核実験座り込み岡山市民の会」が平和町の西川緑道公園平和記念像前で座り込み
1993/10/7
ピカソの「ゲルニカ」を被爆50周年に広島で展示する構想が持ち上がり、羽田孜外相が参院予算委員会で協力を表明
1993/10/7
レオタール仏国防相が「包括的核実験禁止条約に調印するとしても、その前に数回の小規模核実験が必要」と表明
1993/10/7
南方特別留学生として広島で被爆したインドネシアの元国会議員ハッサン・ラハヤさんが広島市入り 1993/10/8
中国黒竜江省革命博物館・東北烈士紀念館の馬維頤館長が原爆資料館を見学
1993/10/9
米の原爆文学研究家でワシントン大准教授のジョン・トリートさん(シアトル市在住)が、広島市を訪れ詩人の栗原貞子さんらと交流
1993/10/10
中国核実験に抗議し、広島県被団協(金子一士理事長)の被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1993/10/12
英国際戦略研究所(IISS)が「ミリタリー・バランス1993―94年」を発表。核拡散防止条約(NPT)調印国のうち、核兵器開発の疑惑が最も強いのは北朝鮮とイランと指摘
1993/10/12
動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の臨界試験が始まる。13日、プルトニウム装てん開始
1993/10/13
次期仏大統領の有力候補とされるジャック・シラク共和国連合党首が、仏の核実験一時停止は今後2年間継続できるが、再開した場合は15回の実験が必要と表明
1993/10/14
「長崎原爆松谷訴訟」の控訴審が福岡高裁で始まる(長崎新聞10・14、10・15)
1993/10/14
東京で原爆をテーマにした「ひとりオペラ・のこした影」公演
1993/10/14
「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が、衆参両院議長に134万5,700人の署名簿を添え請願書を提出
1993/10/14
広島県内の7つの被爆者団体が首相官邸を訪れ、細川首相に被爆者援護法の早期制定を要望
1993/10/15
「世界核被災者医療交流委員会」(代表、佐藤幸男広島大原医研教授)と府中市の「ジュノーの会」(甲斐等代表)の協力で、広島大医学部第2外科の武市宣雄講師らが、チェルノブイリ被災の子供の甲状腺がん手術のためウクライナのキエフへ出発
1993/10/16
広島市の修道中・高校の校庭に、取り壊された旧陸軍兵器支廠1号館の赤れんがを使ったモニュメントが完成。碑文の「歴史に生きる」は被爆当時、旧制修道中に在学していた平山郁夫東京芸術大学長が書く
1993/10/17
ロシア海軍が日本海に液体放射性廃棄物を約900トン投棄。投棄中の付近の空中放射線量は通常の10~70倍に。グリーンピースが発表
1993/10/18
米国務省がロシア政府に日本海での核廃棄物投棄の中止を申し入れ
1993/10/18
ロシアの放射性廃棄物の投棄問題で、2つの広島県被団協がエリツィン大統領にそれぞれ抗議文を送付。日本被団協も抗議の緊急声明
1993/10/18
ロシアの日本海への核廃棄物投棄で細川首相がロシアへ抗議の意向を示す。19日、抗議
1993/10/19
長崎県被爆者手帳友の会が、細川首相、連立与党幹部らに被爆者援護法制定を陳情(長崎新聞10・18)
1993/10/19
ロシアの核廃棄物投棄に広島市と長崎市もそれぞれ抗議文
1993/10/19
田中義具軍縮大使が国連総会第1委員会で演説し、日本が提唱する包括的核実験禁止条約の早期締結に向け、同条約交渉の進展を訴え
1993/10/20
名古屋市で開かれる第9回「世界テレビ映像祭」(11月4~6日)の地球の時代賞コンクール日本部門平和賞にNHK広島放送局の「核実験・戦慄の記録~旧ソ連・秘密都市の40年」
1993/10/20
動燃人形峠事業所が鳥取県東郷町のウラン残土の一部撤去作業に着手。撤去先や期限は未定
1993/10/20
ロシアが液体放射性廃棄物の2回目の日本海投棄を当面停止と決定
1993/10/20
被爆者で元広島平和文化センター職員の松原美代子さんが、米へ被爆体験を伝える旅に出発
1993/10/20
「援護法実現みんなのネットワーク」が東京都内で中央集会
1993/10/21
ロシア政府が核実験の停止継続を正式表明
1993/10/21
ウクライナ最高会議がチェルノブイリ原子力発電所の運転をこの年末までに停止するとの決議を覆し、1994年以降も運転継続を決める
1993/10/23
反核運動や環境保護運動に取り組んでいる全国の地方議員でつくる「非核・みどりの議員ネットワーク」が東京で、平和資料館の在り方を考えるシンポジウム
1993/10/24
1994年春に予定される福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」の運転開始に反対し、広島の脱原発市民団体「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」が原爆ドーム前で座り込み
1993/10/25
ロシアの核廃棄物投棄に伴う日本海の環境影響調査に当たった海上保安庁の測量船明洋の測定で調査海域から放射線反応はなし
1993/10/25
動力炉・核燃料開発事業団の石渡鷹雄理事長が原子力開発の方向性について「プルトニウムの増殖だけでなく消滅させる研究も必要」と述べる
1993/10/25
在韓被爆者の診療にあたる核禁広島県民会議派遣の医師団(防府市の神徳通也三田尻病院長ら5人)が出発。1971年の第1回以来、77、78、85年は中断したが通算20回目。派遣医師は延べ59人、診療被爆者は延べ3,251人
1993/10/26
来日中のミハイロフ・ロシア原子力エネルギー相が記者会見で「今後、ロシア海軍の日本海への核廃棄物投棄はないと思う」と述べる
1993/10/26
韓国のマスコミが「日本もロシアと同様に日本海へ放射性廃棄物の投棄を続けている」と報道。27日、市民約50人がソウル市の日本大使館前で抗議集会
1993/10/27
原爆被爆者が白血病以外のがんにかかる危険度は非被爆者に比べ、被曝線量1シーベルト当たりで1.63倍高いことが放射線影響研究所の追跡調査で判明。がん死亡の相対リスクは1.45倍。広島市で始まった日本放射線影響学会で馬淵清彦疫学部長が発表
1993/10/27
日本原水協代表団が国連のダビニッチ軍縮室長に4,314万人の「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」を提出
1993/10/27
第8回広島市民平和の集い(広島平和文化センター主催)で、村井志摩子さんの創作劇「歌物語~タツヤくんの夏」上演
1993/10/27
米エネルギー省が「放射線影響研究所の移転経費の半額を1994、95会計年度予算で確保するのは難しい」と厚生省に連絡していたことが判明
1993/10/28
韓国の詩人金芝河氏がロシアや日本の放射性廃棄物の日本海投棄を批判する論文「死の海」を朝鮮日報紙に投稿
1993/10/29
エリツィン・ロシア大統領直属の安全保障会議が新軍事ドクトリン案。非核保有国の通常兵器による攻撃でも、攻撃国が核兵器を保有する軍事ブロックに属している場合は、核兵器での報復を認める。11月4日、クリストファー米国務長官は「NPT加盟国には核を使わないなど、米政策と違いはない」と述べ、問題視せず。11月17日、新ドクトリンは、核実験全面禁止と核兵器の全廃を段階的に目指す立場が明記されていることがわかる
1993/10/29
アスピン米国防長官が「旧ソ連との全面核戦争抑止を主眼としていた米核戦略の包括的見直しに着手」と発表
1993/10/29
ロシア海軍のカサトノフ第1副司令官が、ウラジオストクで会見し「日本海での液体放射性廃棄物の投棄を続行」と言明。30日、太平洋艦隊のグリノフ司令官は「政府の許可なしには投棄しない」
1993/10/30
東京都被団協(東友会)が、結成35周年を記念し「原爆犯罪を裁く都民法廷」開く。250人の参加者が陪審員
1993/10/31
日蓮宗が広島市内で原爆・戦争死没者50回忌法要
1993/10/-- 
「全米放射線被曝者協会」(NARS)が、湾岸戦争に従事した兵士の間に劣化ウランによる被曝症状が出ていると訴え
1993/10/-- 
長崎被爆の父親を持つニューヨーク在住の画家飯塚国雄さんが広島と長崎に原爆をテーマにした作品を寄贈へ
1993/10/-- 
放医協がまとめた「原爆放射線の人体影響1992」の要約版を英訳した「A‐BombRadiationEffectsDigest」発刊
1993/10/-- 
広島市の被爆建物、旧陸軍被服支廠の初期の建築状況を示す1905年のパノラマ写真が見つかり、広島市公文書館に寄贈
1993/10/-- 
宇品港停泊中の民間輸送船で被爆した鹿児島市の有馬公記さんが「一緒に約10人の台湾出身者が被爆し、うち半数は先住民の若者で残りは中国系」と、広島平和会館原爆被害者相談所で証言していることが判明
1993/10/-- 
米ジャーナリスト、リチャード・ローズ氏の「原子爆弾の誕生」(1988年ピュリツァー賞受賞)の日本語訳が出版。訳者は神沼二真、渋谷泰一氏。啓学出版
1993/10/-- 
「ウラジオストクから120キロのボリショイカメニ港には解体原子力潜水艦が野ざらしに」-。共同通信が伝える

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