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ヒストリー

ヒロシマの記録1993 12月


1993/12/2
チェルノブイリ原発近くに住むウクライナの子供5人が、府中市の「ジュノーの会」(甲斐等代表)の招きで診察と交流のため広島入り
1993/12/2
国際原子力機関(IAEA)の定例理事会が2日間の日程で開会。北朝鮮への核査察問題が焦点
1993/12/3
原爆ドームの世界遺産化をすすめる会(代表、古田隆規広島弁護士会会長ら6人)に寄せられた賛同署名が150万人を超す
1993/12/4
北朝鮮が3日の米との交渉で7施設のうち5施設の核査察受け入れを表明。ただし寧辺の核廃棄施設2カ所は含まず-。ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが米政府当局者の話として報道
1993/12/6
クリントン米大統領が「米ロが互いに相手を戦略核の目標から外すよう協議中」と表明
1993/12/6
英で初めて原潜をめぐる放射線被曝で賠償が認められる。造船所元作業員が「白血病にかかったのは修理中の被曝が原因」と国防省に損害賠償を求めていた
1993/12/6
連立与党が被爆者援護法に関するプロジェクトチーム設置を決定
1993/12/7
広島県被団協(森滝市郎理事長)が米スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館への被爆関係資料貸し出しを決めた平岡広島市長に対し、展示が被爆地の意見を反映した内容になるよう文書で要請 1993/12/7
連合山口周南地域協議会(小川富生議長)が、山口県の原爆被爆者福祉会館ゆだ苑(安部一成理事長)に80万6,000円を寄付
1993/12/7
米エネルギー省が「米は過去204回の地下核実験を秘密にしていた」と発表。実験総数は1,051回に。マンハッタン計画でのプルトニウムの人体注入実験についても機密資料を公開する方針
1993/12/9
ロシア政府代表団が外務省で林穴軍備管理・科学審議官と会い、ロシアの放射性廃棄物を貯蔵・処理するための陸上施設を極東ロシアに建設することが緊急課題との認識で一致
1993/12/9
米の秘密核実験に対して、広島県原水禁がクリントン米大統領に抗議文
1993/12/9
英国防省が「1952年から67年のクリスマス島での核実験に参加した英元軍人らに健康被害はない」との調査結果を公表
1993/12/9
米の秘密核実験に対して、広島県被団協(金子一士理事長)が米の情報公開などを求める声明
1993/12/10
広島市が、被爆50周年に計画していたピカソの「ゲルニカ」展示を、スペイン政府の許可が得られず断念
1993/12/11
原爆被爆者相談員の会(代表・鈴木勉広島女子大助教授)が広島市内で、被爆者援護法の制定を訴えるシンポジウム開催
1993/12/12
広島県被団協(金子一士理事長)などが、米の秘密核実験に抗議して平和記念公園で座り込み
1993/12/13
カザフスタン最高会議が核拡散防止条約(NPT)を批准
1993/12/13
日米英の国会議員43人が、英の新核燃料再処理施設「ソープ」の運転開始中止を求める連名書簡をメージャー英首相、細川首相、クリントン米大統領に送る。日本からは堂本暁子、栗原君子(参院)、秋葉忠利、小森龍邦(衆院)の4社会党議員が署名
1993/12/13
ジリノフスキー・ロシア自由民主党党首が北ドイツ・ラジオとの会見で、日独がロシアの内政に干渉するなら「新たなヒロシマ、ナガサキを作り出すことをためらわない」と威嚇発言。広島の被爆者は強く反発
1993/12/15
1948年から52年にかけ米政府原子力委員会(当時)と米軍部が放射能を意図的に大気中に放出する13回の実験を行っていた-。米会計検査院が報告書
1993/12/15
ガマー英環境相が、日本などの使用済み核燃料を受け入れる再処理施設「ソープ」の稼働許可
1993/12/16
被爆者援護法の原案を作る連立与党のプロジェクトチームが初会合。座長は森井忠良社会党議員
1993/12/16
国連総会で、核兵器用の核分裂物質の製造禁止条約の作成を提唱する決議。ジュネーブの軍縮会議に包括的核実験禁止条約の作成を求める決議も
1993/12/17
広島市議会が放射線影響研究所の早期移転を求める意見書を採択。細川首相と外務、大蔵、厚生大臣あて。1980年3月、92年9月に次いで3回目。共産党は「放影研のあり方を根本から考え直すべき」と反対
1993/12/18
原水禁国民会議が広島市内で「被爆者援護法制定!被爆者交流集会」。中国地方をはじめ8府県の被爆者代表ら60人が出席
1993/12/19
「核と戦争はごめんだ」と、京都市議の鈴木正穂さんらが1981年に毎月始めた京都市内のデモが150回に
1993/12/20
米の核科学者会報「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」の1994年1・2月合併号が「米の戦略核弾頭数が1993年中に約500個減少し、総計は7,900個になった」と報道
1993/12/20
英の使用済み核燃料再処理施設「ソープ」に反対する広島の被爆者らが、英タイムズ紙に意見広告 1993/12/20
ウクライナのシマロフ副首相が「国内の戦略核ミサイルSS24計46基のうち20基を1993年中に、94年中に残りすべてを廃棄」と表明
1993/12/20
大内啓伍厚相が、強制連行され日本で被爆した中国人問題で、中国日本友好協会に日本の原爆二法による被爆者救援措置を説明する書簡を12月14日付で送っていたことが明らかに
1993/12/21
米国平和行脚の松原美代子さんが12月15日帰国し、記者会見。計35カ所で2,400人に被爆体験を話す
1993/12/22
政府の放射能対策本部が「10月17日のロシアの放射性廃棄物投棄で日本近海への影響はなかった」と中間報告
1993/12/22
防府市議会が核兵器廃絶平和都市宣言を決議
1993/12/23
放射性廃棄物で健康を脅かされたとしてマレーシアの日系企業エイシアン・レアアース(ARE)の周辺住民が起こした訴訟で、クアラルンプールの最高裁が工場の操業停止を命じた一審判決を破棄し、同社勝訴の逆転判決。「廃棄物が原因で放射能レベルが上昇したとの原告の主張は証明が不十分」
1993/12/27
ロシアの国土の15%が放射性物質のたれ流しなどによる「環境汚染地帯」とダニロフダニリャン環境相が表明
1993/12/28
オレアリ米エネルギー長官が、CNNテレビとの会見で「放射線人体実験の実験台になった市民へ政府が補償すべき」と表明
1993/12/-- 
強制連行され長崎市の浦上刑務支所で服役中に原爆の犠牲になった中国人遺族らが、12月8日に長崎市内で開かれる反戦、反核の集いに参加(長崎新聞12・3)
1993/12/-- 
浄土真宗本願寺派安芸教区が1994年6月の「全戦没者追悼法要・原爆50回忌法要」に向け、日本に強制連行された朝鮮人も含むすべての戦争死没者名の調査開始
1993/12/-- 
広島県出身の洋画家南薫造が1948年に原爆ドームを描いた縦11センチ、横18.6センチの水彩画が、南の105冊のスケッチブックを整理していた広島県立美術館大井健地主任学芸員が見つける
1993/12/-- 
コープやまぐち(田村茂照理事長)が、山口県の原爆被爆者福祉会館ゆだ苑(安部一成理事長)に手作りのひざかけなど84点と現金約42万円を寄付
1993/12/-- 
広島「折鶴の会」(河本一郎世話人)の白島小児童が中国南京市の小学生と文通始める
1993/12/-- 
琴の宮城会師範、東京芸術大講師で岡山市出身の砂崎知子氏が筝の独奏曲「祈りの夏-広島に捧ぐ」のシングルCDを自主制作
1993/12/-- 
ヒロシマをテーマに取材活動続けた羽原好恵中国放送記者の追悼集「駆けぬけて」を友人らが出版 1993/12/-- 
被爆直後の広島、長崎を撮影した記録フィルムを、日本映画新社が全編ビデオ化する方針

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